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2019年3月 6日 (水)

坂田氏の測定による絶対年代

古田さんと40年ほど前に知り合いだった坂田武彦さんという人がいて,
『ここに古代王朝ありき』の中にもでてくるが,
その人が古田氏に測定した絶対年代の例を送って来たそうだ。
(その後坂田氏は64歳で亡くなり,「遺言」となってしまった)

(1) 古代製鉄登釜(上窯?)の木炭・・・350~410(380∓30)
(2) 都府楼,基礎石下の炭・・・110年頃
(3) ちいさこべ製鉄製鋼所跡・・・BC240~BC140(190∓50)
(4) 水城堤防の中の杭・・・BC380~BC220(300∓80)

これは信じられないくらい古い値で,にわかには信じられない。
しかし,実際に測定されているのだから,「信じられない」ばかり言っていても始まらない。
特に水城については,「日本書紀」の天智天皇が作ったという通説は信用できないとしても,
白村江の戦いくらいには考えるところだが,それはスタートではなかったということだ。
すでにそれより早く水城は,外敵から太宰府(水城の内側)を守るべく,
造り始められていたということになる。

たとえば卑弥呼は,やはりこの水城の中にいただろうと推測される。
また,神武もこの政権の配下の王だったろう。
しかし,それでもせいぜい3世紀で,紀元前3世紀や4世紀には達しない。
いったい誰が水城を造り始めたのか?その仮想敵国はどこなのか?
そうなった時,出雲やその前の越について,思い浮かべずにはいられない。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 ここに示された坂田氏の年代測定データはどこに掲載されているのでしょう。ご教示ください。

 また一つ質問
>たとえば卑弥呼は,やはりこの水城の中にいただろうと推測される。
 この発言の根拠はなんでしょうか。またこう推測すると卑弥呼の都が水城の中、つまり太宰府の地だという結論になりますが、それで良いのでしょうか。
 データが正しくてもそれが示しているのは、水城堤防の基礎部分は紀元前から作られていた可能性を示すだけで、それが現在の太宰府防衛ラインの水城のための施設であるかどうかは不明です。もしかしたら田地のための灌漑用の堤防だったのかもしれませんよ。水城の基礎部分が古いからといって、それが水城であると断定するのは論理の飛躍だと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 ここに示された坂田氏の年代測定データはどこに掲載されているのでしょう。ご教示ください。

昔の古田さんの『ここに古代王朝ありき』では,P331のあたり,
ミネルヴァ書房版では,P325のあたりに出ています。

〉 この発言の根拠はなんでしょうか。またこう推測すると卑弥呼の都が水城の中、つまり太宰府の地だという結論になりますが、それで良いのでしょうか。

強大なライバル国がいる当時ですから,
それなりの守りが必要だと考えますが…。
ほかにそういう施設がありますか。

〉 もしかしたら田地のための灌漑用の堤防だったのかもしれませんよ。

もちろんその可能性もあります。
前に『太宰府は日本の首都だった』に掲載の「木樋」では,
400年代~500年代でした。
水城も何段階かに分けて高くしていったのだと思います。
だから,「地層ごとにC14で調べてほしい」というのが私の願いです。

肥沼さんへ
>(4) 水城堤防の中の杭・・・BC380~BC220(300∓80)
 の元データを「ここに古代王朝ありき」(朝日新聞社版)で確認しました。
 そこに詳しい但し書きがありました。
 「杭は人工的なもの。木の樹齢を50年として、BC200年頃にはすでに水城が増堤されている。水城の基礎は天然の地山であって、それを人工的に一貫して仕上げたものである。板付水田の農業用溜池として築かれていたものと考えられる」と。

 やはし農業用溜池ですね最初は。
 これがいつから軍事的な目的の構造物に変わったか。ここからはわかりませんね。

>前に『太宰府は日本の首都だった』に掲載の「木樋」では, 400年代~500年代でした。
 このデータはのちに水城として首都太宰府の防衛ラインの一環に組み込まれた構造物の「木樋」が5・6世紀のものとの事実を示しただけで、この構造物がこの時代にすでに軍事目的に転用されていたかどうかを示すものではないですよ。

 太宰府は7世紀初頭の物だと思います。したがって水城が軍事施設に転用されたのもこの時代だと思う。でもこの「想定」を科学的根拠もなく、5・6世紀や3世紀ましてや紀元前3世紀まで遡らせて捉えるのは、妄想以外の何物でもありません。

>強大なライバル国がいる当時ですから,それなりの守りが必要だと考えますが…。ほかにそういう施設がありますか。
 これは卑弥呼の時代西暦3世紀のことですね。でもこの時代の防御施設は発見されていないと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

水城についての本を読んでみたいです。

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