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2019年3月28日 (木)

「エビノコ郭」の堀について

9間×5間の四面庇という建物の規模は,飛鳥宮のどの建物よりも大きい。

したがって,一元説に従うと,近畿の天皇のものだということにならざるを得ない。

しかし,私たちは九州王朝説をはじめとした多元史観で考えていい訳だから,

素直に「一番大きい建物を使えるのは,一番偉い人=九州王朝の天皇(天子)だ」と考えよう。

 

では,これは大極殿なのか,というとこれも意見が分かれるようだ。南面していない,宮の中央にない等の理由でだ。

しかし,飛鳥宮に日本の中心がある間も「詔」は出されていると思う。誰によってか。当然九州王朝の天皇によってだ。

では,どこでか。それは「エビノコ郭」に於いてではないか。それが九州王朝の天皇(最高権力者)にふさわしいからだ。

 

でも,「エビノコ郭」は大極殿ではないんでしょ?そりゃそうだ,確かに大極殿ではない。じゃあ・・・

ここで「拉致説」が生きてくると考える。私たちはなんとなく「天皇が大極殿で南面した大勢の配下の前で

高らかに詔が出される」というイメージを持っているのではないか。本当に必要なものは大極殿なのか。

私は違うと思う。本当に必要なものは,「御名」「御璽」だけで,理想的には大極殿でやるのがベストだが,

天武・持統期というのは,政権が移り変わる「異常事態」だということを忘れてはいけないだろう。

 

先日やった「詔」の全文検索では,天武63・持統51という結果が出た。これらは「拉致」された九州王朝の天皇によって

出されたと私は思っている。合計114の詔のたびに,「大極殿」で「南面する大勢の配下の前」で出したのではないと・・・。

先日入手した『古代国家形成の舞台~飛鳥宮』には,「エビノコ郭」の周囲に深さ1メートルの堀がめぐっていると書かれていた。

深さだけ書いてあって幅は書いていなかったが,1メートル以上はあるものと思われる。つまり,そこから脱出できないということだ。

立派な「エビス御殿」は,一方では堅固な「拉致」施設でもあったのではないか,そして脱出されたり九州王朝の勢力によって,

「再拉致」されないように見張られていたのではないか。(出入り口は西門しかない)

 

参考までに,3回「続日本紀」に出ている「山沢亡命記事」を書いておく。当時はこのような異常事態なのであった。

(1)707年,山沢に逃げ,軍器(正規軍である証拠のしるし)をしまい隠している・・・

(2)708年,山沢に逃げ,禁書をしまい隠している・・・

(3)717年,山野に逃亡し,兵器を隠し持ち・・・

こういう状況は,政権が代わってもずっと続いていたのであった。

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