府中研究会 3/27
昨日は,上記の研究会の最終回だった。
昨年7月に始まったこの研究会も,25回(見落とし・単独行動も含めると+数回)を超えるロングランとなった。
また,量だけではなく,川瀬さんのおかげで質も大変高いものになったこと,あらためてお礼申し上げます。
(お礼として,先日の主要遺構でか分布図を差し上げました。B4判を8枚貼り合わせました)
最終回の昨日は,「夢ブログ」にもコメントで登場していた「E地区の四面庇建物の
竪穴式住居との切り合いから年代が判明した」という件から。
発掘報告書というのは,そういう細かいところまで書かれているところに価値がある。
それをたどって年代判定という価値づけができるからである。
その他の話題。
・東偏の多磨評庁ー多磨寺(評寺)ー正倉院群ーその他の役所ー評督の邸が近接している
・それが正方位へと形態を変えていく。掘立柱建物→礎石建物
・国府は3回移動した~
(1)武蔵国分寺と接したところ・・・飛鳥時代
(2)E地区と呼ばれているところ・・・飛鳥時代
(3)今「国衙」と呼ばれているところ・・・奈良時代
(4)B地区のクルル鉤の出土地域・・・平安時代
・黄金の西偏7度トリオ・・・【武蔵国分寺の金堂院】
/ \
【府中熊野神社古墳】 ーー 【E地区の四面庇建物】
・飛鳥でもなく,難波でもなく,“府中編年”というものがある!?
・図に描いてみるとよくわかる~ごちゃごちゃになってしまいましたが・・・(笑)
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肥沼さんへ
府中研究会。長い間お疲れ様でした。遺跡発掘報告書を通読してみると、本当に遺跡は嘘をつきませんね。
府中における、武蔵国庁・多摩郡衙の変遷。いちどちゃんとした図にしてみたいと思います。図での説明付でないと、部外者にはわかりませんからね。
しばらく時間をください。
投稿: 川瀬 | 2019年3月28日 (木) 14:03
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 府中研究会。長い間お疲れ様でした。遺跡発掘報告書を通読してみると、本当に遺跡は嘘をつきませんね。
本当にありがとうございました。今後にとっても.大変貴重な経験ができました。
〉 府中における、武蔵国庁・多摩郡衙の変遷。いちどちゃんとした図にしてみたいと思います。
図での説明付でないと、部外者にはわかりませんからね。
しばらく時間をください。
この9か月+αの研究は,多元的「国分寺・国府」研究の先駆けとなると思います。
ぜひよろしくお願いいたします。
投稿: 肥さん | 2019年3月28日 (木) 15:24