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2019年2月10日 (日)

墨書土器の「国寺」について(川瀬さん)

私の読解力では川瀬さんのお話は誤解されるようなので,
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そうではなく、前回報告した国分寺北方遺跡の創建期1期a期に属する竪穴住居(つまり正方位の北向きの塔1と同じ時期のもの)から出た土器に「国寺」という墨書があった。この墨書を発掘者は「国分寺の略であり、当初からこの寺が国分寺と呼ばれていた証拠」とした。だがそうではなく、当初のこの寺は「国々の国府に置かれた寺で、こういう寺は国寺と呼ばれていた」と解釈すべきなのだ。つまりこの寺の性格は「武蔵の国の国寺」で、おそらく名称は「武蔵寺」。
 以前続日本紀を分析してた時、文武紀の冒頭に、筑紫の筑紫観世音寺と筑紫尼寺に給付されていた官からの禄を停止するとの記事があった。この筑紫尼寺が何であるか不明とされているのだが、これを、筑紫の国府に置かれた国ごとの尼寺の名と私は解釈し、諸国の国府に置かれた僧寺と尼寺は、○○(国名)+寺、と○○(国名)+尼寺とされていたのではないかと解釈した。この時には国府に置かれた国立寺院は「国府寺」と総称されていたのではないかと考えていたが、今回武蔵国分寺の北方にあった、塔1と同じ時期の同じく正方位の建物群から出た墨書土器にあった「国寺」との墨書が、九州王朝時代の国府に置かれた国立寺院の名前だと判断したということです。
 したがって武蔵国の国府に置かれた国立寺院(国寺)の名前は、「武蔵寺」と「武蔵尼寺」であったという結論に達したのです。

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