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2019年2月 1日 (金)

下野国・古代史の旅 2019

木下良著『国衙』(教育社・歴史新書)に東偏の官衙候補Dを見出した私は,
九州王朝の痕跡を求めて栃木県へと旅立った。

「犬も歩けば棒にあたる」というが,私は還暦なのでちょうど「戌年うまれ」。
昨日は長距離を考慮して,一日300円の観光用自転車を借りた。宇都宮線の自治医大駅下車。

前回は,下野薬師寺のことが中心だったが,今回は下野国府(あるいは都賀評衙)が中心である。
さあ,何か収穫はあっただろうか?

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(1) 下野国府跡資料館に,「サイズアップ」の変遷資料と展示あり

正殿は上に「宮野辺神社(宮目神社)」が乗っかっているため未発掘なのだが,
その南の前殿は発掘されている。それによると,Ⅰ~Ⅳ期に層が分類され,(↑上の資料参照)
ⅠとⅡが小さめのもの,ⅢとⅣがサイズアップされた大き目のものなのだ。
しかも,堀が二重になったり,礎石の上に柱が立てられたりと工法も違う。
これに東偏のD候補地のものを先頭に付け加えると,まるで泉官衙遺跡の変遷と瓜二つにならないか。
私はつくづく発掘し記録することの大切さを感謝せずにはいられなかった。
残念ながらこの遺跡は,東偏のものと正方位のものが違う土地に作られていて,
泉官衙遺跡のようにすっきり行かないが,D候補地の地下には東偏の建物の穴が埋まっていると信じる。
(サイズもⅠ期と同じで)

(2) 大宮神社の規模の大きさ

D候補地の北・には,信仰の中心・大宮神社である。
一番南方の鳥居から本殿までなんと300m以上あり,
どちらかといえばさえない感じの本殿とあまりにも不釣合いだ。
きっとかつては300m四方の境内をもつ大きな神社ではなかったかと想像される。
なお,創建年代はわからないとのこと。

(3) 印役神社としての日枝神社

さらに大宮神社の北1キロ行くと,日枝神社があった。カッコして(印役神社)と書いてある。
印と鍵のことで,これも重要な国府候補地の証拠である。
その神社が他の候補地より最も近い東偏のD候補地近くにあることが九州王朝の傍証であると思う。
こちらも,創建年代はわからない。

位置関係

印役神社=日枝神社

  ↑ 北1キロほど

大宮神社

  ↑ 道路を挟んですぐ北

東偏の候補地D

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

国衙の変遷については、その県の県史を見られるとあらましが理解できると思います。
私も『神奈川県史』で学びました。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

東偏  → 正方位(ここまで九州王朝) → 正方位(サイズアップした近畿王朝のもの)

という仮説を立てています,まだ類例があると思いますので,頭の片隅にでも置いておいて下さい。

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