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2019年2月10日 (日)

年代比定の大きなズレについて(川瀬さん)

追伸がコメントに入っていたので,
そのままコピーを掲載します。

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追伸
>・文字史料に引っ張られて,年代判定が50年,100年後ろにずらされている。
これを直していくために,編年のし直しをしなければならない。
信州50年,関東100年等・・・。遺跡調査は,東山道を長野から群馬・栃木といく。

 正しくは、国府や国分寺の年代比定は、文字史料に引っ張られて、年代判定が50年とか100年後ろにずれているのではないか。国府の場合は、諸国に国・郡・里の制を置くとの詔が出たのが、いわゆる大化改新詔で、同じくこの詔で、中央に都城制の都を築き、中央と地方を駅制で結ぶとあった。つまり都と国府を置くと宣言したのが650年頃と考えられてきた。ここから国府の年代は早くても7世紀中頃、多くは7世紀末から8世紀初と、中央からの遠いものほど後の時代と判断されて年代比定されているのではないかということ。そして国分寺は聖武のいわゆる「国分寺詔」が743年だから、最も早い国分寺で8世紀中頃と判断され、遅いものは8世紀末と考えられたのではないかということ。
 こう判断してしまうと、実際の年代とは50年とか100年ずれたのではないか。
 いわゆる「大化改新詔」はその年に九州王朝が出した全国一元統治宣言を近畿王朝が盗用したのだと思うが、一元統治がここから始まるのではなく、これは「一元統治の完成宣言」と思われるので、これ以前に諸国に国と評が置かれ、それぞれに国府と評衙が建設され、これと都を結ぶ大規模な官道が建設されてきたのだと思う。
 他の所で肥沼さんが書いてくれたが、九州王朝による全国一元統治の試みの開始は、近畿王朝の年譜で言うと継体の時代。530年頃に東では武蔵国造の乱、西では筑紫君磐井の乱がある。これは九州王朝が列島の在地豪族勢力の縮減に手を付けた証拠。そしてこの乱ではそれぞれに屯倉という朝廷の直轄領が置かれた。屯倉は継体の次の安閑の所にきわめて設置記事が多く、かつ安閑紀には、諸国の屯倉から税を集める倉庫が、難波(これはもちろん九州の難波)に置かれ、諸国の屯倉から税を難波に集める役目が、有力な家臣に命じられたとある。
 この時期が全国一元統治に向けた動きの起点。
 その後どこかの時期で九州王朝の屯倉を拠点に評制が敷かれ、その評制が九州王朝の畿内にまず拡大され、そして全国に評制を敷き終わったとの宣言が、前期の大化改新詔群ではないだろうか。
 こう考えると九州王朝の畿内である九州と近国では国府や評衙の設置は7世紀中頃ではなくもっと以前になり、それは6世紀末まで遡るのではないか。その後この動きは九州王朝の領域に拡大され、畿内以外の領域、つまり中国四国地方とおそらく関東にこれを拡大し終わったのが、7世紀中頃だと思うのです。そしてこの動きに従って半ば独立の王国である近畿天皇家の領域にも同じ制度が行き渡ったのが7世紀中頃だと。
 こう考えると国府は、早い地方で6世紀末、遅い地方で7世紀中頃なのではないか。だから地方によっては50年から100年年代がずれる。
 この国ー評制の拡大に伴って、諸国と諸評に官立寺院が建てられたと思うのだ。つまり国寺と評寺。したがってこの官立寺院の早いものは6世紀末で、遅いものでも7世紀中頃。
 この国府に置かれた国寺に8世紀に入って近畿王朝が10巻本の金光明経を配り、これを配られた寺院の名を「国分の金光明経を持つ寺院」という意味で「国分金光明寺」と呼び換え、この「国分金光明寺」にあまねく七重塔を建立せよというのが聖武の国分寺詔だと考えます。
 したがって諸国の国寺は8世紀の前半に「国分金光明寺」と呼び換えられ、その略称として「国分寺」という名称がつかわれたのだと考えます(同じ時期に諸国の尼寺には法華経が配られたので、諸国の尼寺も「国分の法華経を持つ尼寺」という意味の「国分法華尼寺」という名称に変えられ、略称としての「国分尼寺」が広がったのだと考えます)。
 したがって国分僧寺と尼寺の年代を聖武詔ににそって8世紀中頃創建としてしまうと、実態とは150年から100年はずれてしまうということです。

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コメント

コメントではないですが

こんなチラシを見つけました。

「企画展・埼玉の官衙・律令時代のお役所」
埼玉県立歴史と民俗の博物館~2月17日まで

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

〉 「企画展・埼玉の官衙・律令時代のお役所」
埼玉県立歴史と民俗の博物館~2月17日まで

通説による解説だと思いますが,
先日の下野国府の際パンフと展示が興味深かったもので,
何かと組み合わせて行ってみますかね。(大宮公園。ただし月曜休館)

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