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2019年2月21日 (木)

鞠智城(熊本県)と「方位の考古学」

今までほとんど触れないできたが,発掘も進んだようなので,
九州王朝から近畿王朝に至る鞠智城(熊本県)の変遷について,
私も少々書いてみたいと思う。

奈良文化財研究所のデータベースによると,
この官衙遺跡の活動時期は「7世紀後半~9世紀後半」と書いてある。
とりあえず九州の遺跡ということで,編年を100年遡らせて,
「6世紀後半~8世紀後半」としてみよう。
すると,ONラインがちょうど真ん中へんになる。

建物の「方位」の変遷と比較してみた。
この遺跡は5期に分類されている。

Photo

第Ⅰ期・・・7世紀前半まで(九州王朝の進出・中央部と長者山の西側)
第Ⅱ期・・・7世紀判半ば(九州王朝の発展期・最も広い範囲に広がる・2つめの八角建物の登場)
第Ⅲ期・・・7世紀後半(白村エの戦い→滅亡/中心が西側だけに)
第Ⅳ期・・・8世紀前半(近畿王朝の支配開始・再び広い範囲に広がり,正方位の大型建物)
第Ⅴ期・・・8世紀後半(律令制が崩れ始める・長者山の東側に倉庫群)

方位の画期も,第Ⅲ期と第Ⅳ期の間にあり,
東偏建物群の中に巨大な正方位の建物や倉庫が登場してくる。
そして,第Ⅴ期になると「長者山」の倉庫が4棟残るのがメインで,
平地には倉庫と八角建物1棟のみとなる。

これは,数字的にカウントしても同じで,
各時期の建物数と礎石建物数と倉庫数と八角建物数を書き出すと
以下のようになる。(若干カウントミスはあるかも。汗)

        総建物数 礎石建物数 倉庫数 八角建物数         

第Ⅰ期・・・  20       0       5     0
第Ⅱ期・・・  23       0       6     2
第Ⅲ期・・・  14       5       5     2
第Ⅳ期・・・  16       6       7     1
第Ⅴ期・・・   6       5       5     1

鞠智城もまた,「建物数の変遷」と「方位の考古学」で読み解ける」と言ったら,
言い過ぎだろうか。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

第Ⅰ期:これは西偏 長大な二つの棟の長辺の向きは北西ー南東。だから西偏。でも西の長者山にほぼ正方位の倉が二棟ある。

第Ⅱ期:これは東偏。東のほうにある長大な棟の長辺の向きが北東ー南東だから。でもここに西側にほぼ正方位の大型倉庫が出現している。

第Ⅲ期:ここも東偏と見て良いがなぜか全部倉庫。

第Ⅳ期:ここで初めて正方位の長大な棟が二つ出現。西側にも大きなほぼ正方位の棟が出現。

方位は 西偏⇒東偏⇒東偏⇒正方位 でしょう。
方位の画期は Ⅰ期とⅡ期 そしてⅢ期とⅣ期。二つある。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 方位は 西偏⇒東偏⇒東偏⇒正方位 でしょう。
方位の画期は Ⅰ期とⅡ期 そしてⅢ期とⅣ期。二つある。

そうでした。Ⅰ期とⅡ期 の画期を見逃していますね。
ありがとうございます。

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