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2019年2月 7日 (木)

スサノオは高天原も制圧

河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の読書が続いているが,
昨日読んだところの話を紹介しよう。

古志(越)からの独立運動に成功した出雲・伯耆のスサノオは,
彼らと同盟していた北九州のイザナギや天照たちを襲い,制圧する。
イザナギ(吉武高木に関係が深いようだ)は死に、天照も壱岐・対馬に逃れる。
壱岐では田を荒らし,神聖な場所も汚す。
対馬では,天の岩戸の隠れるものの,追っ手は厳しく,
とうとう見つけ出されてしまう。

天照とスサノオが姉弟という記紀の設定は,まったく違っていた。
違う王朝のリーダーだったのである。w(゚o゚)w

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 この日下さんの考えは何か根拠があるのでしょうか。まったくの荒唐無稽な与太話に思えます。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

ぜひ読んでから批判していただけるとありがたいです。
神話といえども、史実の反映があると考えます。

肥沼さんへ

>神話といえども、史実の反映があると考えます。
 もちろんそうです。でもどんな史実がその裏にあったかは、そう推定する資料を元にしなければなりたちません。日下氏のスサノオは高天原も制圧したという論は一体どういう資料を元にした推論なのでしょうか。それをが示されていないのであれば、日下氏の論は与太話です。
 そんな本を読む気にはなりません。
 読ませたいのなら、日下氏の論の根拠となる資料をお示しください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  読ませたいのなら、日下氏の論の根拠となる資料をお示しください。

それは,「古事記」「日本書紀」ですよ。
あれらすべてを「皇国史官」の造作だと考えれば,読む気にならないでしょう。
河村日下さんはそれにチャレンジしているわけです。
でも,川瀬さんも「主語有無」の論証にチャレンジしているわけですから,
古田さんが読み解けなかった古代史の部分を,
独自の方法で読み解こうとする一人だと思いますが・・・。

あまりきついことは言いたくありませんが、良書を読む条件は悪書を読まないことです。
少なくとも、このうさんくさい本は「古田史学」のカテゴリーではありません。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

〉 良書を読む条件は悪書を読まないことです。

ご忠告ありがとうございます。

私は肥沼さんの読書レポートを楽しみにしている一人なのですが・・・

私の母校野球部には「いつも心は白き海綿たれ」という言葉がありました。
(過去形なのが残念ですが)
海綿は綺麗な水も吸えば汚れた水も吸います。
だけどしっかり絞り出せば、また白い海綿に戻ります。
ようは

綺麗なもの、正しいものばかり選んで吸収していてはダメで、たとえ汚いもの、間違ったものでもかまわないからとりあえず吸収しなさい。
もしそれが汚いもの、間違ったものだとしても、それを絞り出して、また新しい知識を吸収すればいい。

簡単にいえばそういうことです。実際はもう少し奥の深い言葉でもありますけどね。
私は知識を得るということには常に「心を白き海綿」にして挑むことを心がけています。
たとえ悪書・与太話の類であっても読まなきゃ「何も得られない」わけですから。
私ならその本の著者がどのような考察でそのような認識に至ったのかを再認識(フィロロギー)してみますけどね。
(もちろん支持するかどうかは別問題)

肥沼さんの読書観は私のそれと似ているんじゃないかと思いますが。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

〉 いつも心は白き海綿たれ

初めてお聞きする言葉ですが・・・。

私が読書するのは,「面白そうだな」とか「何かつかめるかもしれないな」という時で,
皆さんとはだいぶ違うかもしれません。
でも,隠れて読むのではなく,わざわざ「今こんな本を読んでいますと」いうことを
公開しているのですから,静かに見守っていただくのがいいのかと思います。
人間は「それはやめておとけ」と言われると,ますますやりたくなるものです。
中学生が酒やたばこに興味を持ち,やめさせようとしてもだめなのと似ています。
私が2000ページの読書時間に値しないと思えば途中でやめるわけですし,
いっしょに読んでくれる方がいれば意見交換ができるのですが,
マイナスのコメントが増えるようだと私も内容や感想をアップするのがいやになり,
「陰で読む」という事態を招きます。(その方が目障りな記事がなくていいのかなあ?)

ツォータン(佐藤浩史)さんへ

>たとえ悪書・与太話の類であっても読まなきゃ「何も得られない」わけですから。 私ならその本の著者がどのような考察でそのような認識に至ったのかを再認識(フィロロギー)してみますけどね。

 おっしゃるとおりです。問題は「悪書」を読んで、「その本の著者がどのような考察でそのような認識に至ったのかを再認識(フィロロギー)」できるかどうかですね。「悪書」を読む者が、その力を持っていれば何も心配はしません。
 どんな本を読むときでも「その本の著者がどのような考察でそのような認識に至ったのかを再認識(フィロロギー)」する読み方をしないと、参考にはならないですね。これが文学書と科学書の読み方の違いです。文学なら感動できればそれで良いのですが、科学は批判的に読まなければ意味がありません。

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