橘樹官衙遺跡群(影向寺遺跡)
清水さんからカラーコピーをいただいたので,
とりあえずサイトをリンクすることから始める。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000093556.html
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奈良文化財研究所のデータベースから
【倉庫群の方位が,西偏→正方位】
【影向寺の地下にも,西偏と正方位が・・・】
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肥沼さんへ
橘樹郡(評)は、6世紀前半の武蔵国造乱によって九州王朝の屯倉とされたところの一つです。したがって6世紀前半にすでに九州王朝の直轄地。評制が施行されたのももっともはやい時期である可能性がありますね。
この正倉院遺跡。たしかに多くの長方形の掘立柱建物の軸は西北を向いています。だがもしこの遺跡にこれと直角に交わる方向(つまり東北)に建物の軸のある大型の掘立柱建物が存在すれば東偏の遺構ともとれます。
可能性ですが早い時期からの九州王朝直轄地という性格(多摩郡と同じです)を考慮して東偏の可能性も見ておいてください。
つまり東偏⇒正方位との変遷の可能性です。
投稿: 川瀬 | 2019年2月16日 (土) 12:34
追伸
影向寺の下層遺構の中の掘立柱建物SB0080。
西偏との判断は、またしても長方形建物の短辺の向きで判断している。長辺の向きで判断すべし。この建物の軸は北東なので東偏。
これ一棟なので遺構全体を西偏としてしまうのも、東偏としてしまうのも即断過ぎます。
投稿: 川瀬 | 2019年2月16日 (土) 14:15
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 可能性ですが早い時期からの九州王朝直轄地という性格(多摩郡と同じです)を考慮して東偏の可能性も見ておいてください。
つまり東偏⇒正方位との変遷の可能性です。
〉 影向寺の下層遺構の中の掘立柱建物SB0080。
西偏との判断は、またしても長方形建物の短辺の向きで判断している。長辺の向きで判断すべし。この建物の軸は北東なので東偏。
これ一棟なので遺構全体を西偏としてしまうのも、東偏としてしまうのも即断過ぎます。
そう言われて図を見直してみたら,東偏→西偏→正方位と見えるものもあります。
もう一話書かなくては。
投稿: 肥さん | 2019年2月17日 (日) 04:23