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2019年2月14日 (木)

府中研究会 2/13

昨日も,川瀬さんと上記の研究会を行った。

多元的「国分寺」研究サークルのサイトで毎日行っている
全遺跡の方位調査でアドバイスをいただく。

① 官衙や寺院全体の遺跡なら,正殿や金堂が中心と考える。
② 次に庇付きの建物が中心と考える。
③ それもない場合は,大型の建物を中心と考える。

これで,正答率が飛躍的に高まるといいなあ。

続いて,長野県の方位調査で,50年のズレがあることが確認できた。
信濃国分尼寺はもっとも古い時代の国府寺になる可能性が。(6世紀末?)
それより遠い地方(関東や東北)は,100,150年遡るかも・・・。

さらに,編年問題のレクチャー。
飛鳥編年と難波編年の違い。
それぞれの特色と20年のズレをどう考えるか。

図を描いていただいたので,よくわかりました。
ぜひ総批判論文にも,須恵器H,G,Bの図をお願いします。

Img_0573

【難波編年の成立の難しさ】

① 地名違い(浪速と難波)

→ 川瀬さんよりご指摘あり。「① 地名違い:誤:(浪速と難波)⇒正:今の難波宮遺跡の場所は
「難波長柄」ではない。 こういう通説派の文献史学者からの批判もあります。」

② 前期宮殿を壊さない形で後期宮殿を造っている関係性(天武ー聖武)
➂ 早すぎる朝堂院様式(近江京でやっと初期朝堂院様式)

その他,いろいろ。

残った時間で,発掘調査書の精査。
川瀬さんが,「西偏が正方位を切っている」遺跡を発見した。
つまり,古さの順が,東偏>正方位>西偏ということが証明されたのだ。

Img_0571


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コメント

肥沼さんへ
 一か所間違いがあります。
>【難波編年の成立の難しさ】

① 地名違い:誤:(浪速と難波)⇒正:今の難波宮遺跡の場所は「難波長柄」ではない。 こういう通説派の文献史学者からの批判もあります。

 もちろん、私の書紀解読に基づけば、近畿の難波は書紀編纂時期までは「浪花または浪速」なので、書紀にある孝徳の宮の「難波長柄豊崎宮」は、九州の博多付近の難波の宮です。

 一つ付け加え。書紀が天武の「難波宮」の名称を記さなかった理由。
 書紀では天武が「新宮」を作ったとだけあって名前を記していない。そのあとに「難波宮焼亡」の記事があるから、天武が作った新宮は難波宮だと理解されている。
 この記事の焼亡した難波宮は九州王朝の九州の難波宮。
 ではなぜ天武の新宮の名前を書紀は記さなかったのか。
 確実な文献に記された天武の新宮の名前は「浪花宮」もしくは「浪速宮」だったのではないか。でも確実な文献に記された名称を記してしまったら、近畿の「浪花」「浪速」を九州の難波に偽装してきた書紀の策謀が暴かれてしまうので、天武の新宮の名前を記さなかったのではないでしょうか。
 続日本紀に文武以下聖武までの歴代天皇が「難波宮」に行幸したと記されていますが、ここでも正しくは「浪花宮」もしくは「浪速宮」だったはず。続日本紀でも一貫して、九州の難波を近畿の浪花・浪速に偽装することは続けられていたのだと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

訂正を本文中に挿入させていただきました。

① 地名違い:誤:(浪速と難波)⇒正:今の難波宮遺跡の場所は「難波長柄」ではない。 こういう通説派の文献史学者からの批判もあります。

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