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2019年2月 4日 (月)

泉官衙遺跡と「下野国府(都賀評衙)」の類似点について

私が「泉官衙遺跡の遺構変遷図に,2つの王朝の「栄枯盛衰」を見た!」を
10月6日に書いてから,約4か月が経った。
その間いろいろなことに取り組んできたが,いつも頭の片隅にあったのは,
泉官衙遺跡と似た遺跡を見つけ出すことだった。

Dscn4804

九州王朝の東偏 → 正方位 → 滅亡 → 近畿王朝のサイズアップした正方位 → 律令の衰え
などという,細かな歴史の変遷など,そう簡単に見つからないかもしれないと思いつつも,あきらめなかった。
そして,やはり歴史は「地下の方位」に刻まれていたのだった。

Img_0172

上図の推定値Dの東偏と下図の4つの変遷は,まさしく泉官衙遺跡の変遷をなぞる,
「2つの王朝の「栄枯盛衰」を示すもの」だと考える。

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コメント

肥沼さんへ

 果たして本当に、下野国府に関する「肥沼説」は成り立つのだろうか。
 資料館でいただいたという資料はサイズが小さすぎて読めない。本当にこの四期にわたる建て替えが、九州王朝時代の正方位⇒近畿王朝時代の正方位への変遷と考えて良いのか。
 今週の金曜日の府中研究会の時に見せてください。
 なお東山道の推定ラインですが、木下さんの著書と異なり、栃木県埋蔵文化センターのパンフ「下野国府」では、国庁の南で東にルートを変えたあと、そのまま東進のルートで想定されています。となると国庁の東にある国分寺も国分尼寺もこのルートのすぐ北側に。
 国庁が正方位に建てなおされときに東山道のルートもつけ変わったのかもしれません。
 すなわち木下さんの本にある東山道推定ルートは、正方位国庁の前の時期のルートかも。
 資料のありかは、
 http://www.maibun.or.jp/newsPDF/20120821.pdf

追伸:ところでパソコンはまだ直らないのかな?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  果たして本当に、下野国府に関する「肥沼説」は成り立つのだろうか。
 資料館でいただいたという資料はサイズが小さすぎて読めない。本当にこの四期にわたる建て替えが、九州王朝時代の正方位⇒近畿王朝時代の正方位への変遷と考えて良いのか。
 今週の金曜日の府中研究会の時に見せてください。

了解しました。A3判に拡大しましょう。

 なお東山道の推定ラインですが、木下さんの著書と異なり、栃木県埋蔵文化センターのパンフ「下野国府」では、国庁の南で東にルートを変えたあと、そのまま東進のルートで想定されています。となると国庁の東にある国分寺も国分尼寺もこのルートのすぐ北側に。
 国庁が正方位に建てなおされときに東山道のルートもつけ変わったのかもしれません

 すなわち木下さんの本にある東山道推定ルートは、正方位国庁の前の時期のルートかも。
 資料のありかは、
 http://www.maibun.or.jp/newsPDF/20120821.pdf

私もそう思います。
東偏のD推定地→本国分が旧東山道で,パンフのやつが新東山道でしょう。

〉 追伸:ところでパソコンはまだ直らないのかな?

最近パソコン不信に陥っています。
自分のノートパソコンがだめなら,
インターネットカフェのデスクトップの方がよっぽど使えると・・・。
お金はかかりますが,いらいらするよりまだマシですし。

肥沼さんへ

 ノートパソコン。起動したのかな? 起動しても不安定なのかな?
 ノートパソコンを専門家に見てもらったのかな?
 
 素人がいくらいじくってもだめだと思う。早急に専門家の所に持って行って診断してもらうべし。
 直ればよし。
 でなければ、デスクトップを購入してデータ移行をするべし。

 動かなければ何も解決しない。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

夢ブログは再開しました。
メールはまだなので,お急ぎの連絡はコメントをご利用下さい。

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