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2019年2月27日 (水)

土器編年-100年≒「方位の考古学」の編年の場合も!

方や群馬県の官衙遺跡で,方や九州の官衙遺跡(鴻臚館・鞠智城)で,
同じような土器編年とのズレが確認された。
そのズレ幅は,なんと100年!
これでは,歴史の真実がわかるわけがないですね。(。>0<。)

川瀬さんの分析を見ていただくことにしましょう。

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【群馬県の官衙遺跡】

5世紀半ば:東偏
5世紀後半:東偏
6世紀前半
6世紀半ば:東偏(山王下層群馬評衙)・東偏⇒正方位(新田郡家関連・入谷)
6世紀後半:東偏⇒正方位(新田郡家)
7世紀:東偏⇒正方位(上野国府)
8世紀:西偏・正方位・東偏

 6世紀半ばから7世紀にかけて、従来東偏で作られていた官衙が正方位に建て替わっていることがわかります。
 上野国地域は九州王朝の影響の強い地域ですが、6世紀前半の武蔵国造乱を契機として九州王朝の直轄領になったのではないでしょうか(関東全域も)。

【九州の鴻臚館・鞠智城】

 Ⅱ期の編年が8世紀第1四半期。100年遡らせると7世紀第一四半期。九州王朝時代。
 Ⅳ期の編年が8世紀第4四半期~9世紀第3四半期。100年さかのぼさせると7世紀第四四半期から8世紀第三四半期 近畿王朝時代。
 礎石建物の出現はⅢ期です。7世紀末葉~8世紀第1四半期前半。100年遡らせて6世紀末葉~7世紀第一四半期。
 例の八角形建物はⅡ期からⅢ期ですので九州王朝時代です。

 前の鴻臚館遺跡と併せて、九州地方は土器編年を100年動かすと実態に合うと思います。

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※ これまでの研究の推移

(1) 東偏5度の寺院・官衙遺跡探し(点から線へ)~東山道沿いに多く発見。なんと,東北の城柵にも

(2)ー➀ 九州王朝の「東偏→正方位→白村江で滅亡」+近畿王朝の 「サイズアップした正方位→律令制の衰えと共に崩れていく(線から面へ)
 ~泉官衙遺跡(福島県),都賀評衙(下野国府)(栃木県)など

(2)ー② 近畿王朝の「反発」~九州王朝が正方位にする際.西偏にする(近畿中心)

(3) (2)の類似タイプの探索~遠方地域では,(2)ー➀タイプがたくさん作られた~
 幡羅官衙遺跡(埼玉県深谷市),榛沢遺跡(埼玉県岡部市)など


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