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2019年2月23日 (土)

第Ⅱ期の31号(掘立柱建物)~第Ⅲ期の30号(礎石建物)が,九州王朝の「正方位」か?

昨日は残念ながら,私の観察力の至らなさから,
第Ⅰ期から第Ⅱ期の西偏→東偏の画期を川瀬さんに指摘されてしまったが,
そのあと私は「じゃあ,九州王朝時代の正方位もどこかにあるのではないか」と考え始めた。
それが,題名にした「第Ⅱ期の31号(掘立柱建物)~第Ⅲ期の30号(礎石建物)」である。

この鞠智城には,2棟の多角形建物があるのだが,
1つは第1期~第5期に渡り存在している32号(掘立柱建物)・33号(掘立柱建物)である。
炭化米が出土しており,火災に遭い建て直されたそうだ。
方位はわからないが,近畿王朝の時期にも続いて建てられているので,
正方位ではないのではないかと考える。

Photo_2

もう1つが第Ⅱ期の31号(掘立柱建物)と第Ⅲ期の30号(礎石建物)である。
こちらも方位はわからない(磁北なら正方位)が,
第Ⅳ期で壊されているところを見ると,正方位だったと推定される。
つまり第Ⅱ期の中にもう一つの画期が隠されていたことになる。

Photo_5

これらと,前回の遺跡の変遷を合体させれば,
西偏→東偏→正方位(掘立・礎石)/正方位→西偏
    (ここまで九州王朝の時代)  (ここから近畿王朝の時代)
となり,鞠智城も泉官衙遺跡のような「方位の考古学」の変遷をたどったといっているのではないかと思う。

【鞠智城の遺跡の変遷】

Photo_4

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コメント

肥沼さんへ

 二つの八角建物ですが、 八角形ですのでどこを軸にするか。
1:対応する二つの辺に直角の方向
2:対応する二つの頂点を結んだ方向
 どちらかでしょう。
○32・33号 
 1を軸とすると東偏15度か西偏15度(真北として)。もしくは東偏8度か西偏8度(磁北として)。
 2を軸とすると西偏10度(真北として)。もしくは西偏17度(磁北として)。
○30・31号
 1を軸とすると東偏7度か西偏7度(真北として)。もしくは正方位(磁北として)
 2を軸とすると西偏8度(真北として)。もしくは西偏15度(磁北として)。

いちおう30・31号建物は1を軸として磁北とすると正方位になりますが、も報告書の年代からして真北で測定していると思います。

 それにしても八角形の建物とは。
 八角形には仏堂が多いので、そういう用途の建物かもしれませんね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 いちおう30・31号建物は1を軸として磁北とすると正方位になりますが、
報告書の年代からして真北で測定していると思います。

この建物は1992年の報告なので,磁北を考えました。
報告書の発行は後年ですが・・・。

〉 それにしても八角形の建物とは。
 八角形には仏堂が多いので、そういう用途の建物かもしれませんね。

鞠智城の敷地のどこからか仏像が出ているらしいですね。
武蔵国分寺付近の東山道武蔵路から白鳳の観音像が出ているのを思い出しました。
こちらも南の八角建物が火災に遭った時運び出されたのかと,想像してしまいました。

肥沼さんへ

 八角形建物単独ではなくて周辺の建物との関係を考えてみました。
 遺構変遷図でみるとこの建物群はⅢ期に分類されており、この時期の八角形建物周辺の建物群はほぼ同じ方位を向いています(短辺の向きは北西ー南東。長辺の向きが 北東―南西)。つまり東偏の建物群です。
 建物データでは短辺の方向が西偏10度から15度ですので、東偏75度から80度の建物群。
 ということは二つの八角形建物はこの東偏の建物群の一部と考えられ、この観点で八角形の形をみると、頂点を結んだ線が、周辺の東偏の建物群とほぼ同じ向きになります。
 したがって八角形建物の方位は東偏。

 詳しく建物データで調べると八角形建物はⅡ期からⅢ期の建物でした。
 同じく周辺の短辺では西偏10度から15度の建物群もⅡ期からⅢ期の建物でした。

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