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2019年2月25日 (月)

「遺物」に出会える確率は1パーセント,だが「遺跡」に出会える確率は・・・

東偏の遺跡を求めて,古代史の旅をしている。
私のような者でも,ある視点で研究することによって,
少なからぬ発見ができる幸せを感じている。
今の仮説は,九州王朝が全国を統一していこうとする段階で,

まず東偏に,そしてある時期から正方位に建物の方位を向けさせた

ということである。そして,ありがたいことに,正方位に向けさせようとした時期に,
それまで東偏させていた近畿王朝は,反旗を翻すかのように,逆に

西偏に,そして,政権の移譲が決定的となった時点では正方位に,

建物の方位を変えさせたのだった。
こういう命令は形の上では発見されていないが,ちゃんと地下に刻まれている。
ある場合は,掘立柱の穴として,ある場合は礎石として・・・。

これまで少なからぬ遺跡の変遷(スライス的な発掘のおかげ)で見ていくと,

【九州王朝】 東偏(掘立柱)→正方位(掘立柱・礎石)→白村江の戦いをきっかけに滅亡
【近畿王朝】 九州に倣って東偏→西偏→正方位(サイズアップしたもの)

というような,形を取ることが観察される。

これまでは,九州王朝時代の珍しい「評瓦」が出ると喜んでいた。
しかし,そういう「遺物」に出会える確率は1パーセントと言ったところだろう。

しかし,「遺跡」だったらどうだろう。1パーセントどころではなく,
その何倍もの確率で,九州王朝の存在の痕跡を確認できるのだと思う。

それは,どんなところで情報が得られるのか。パソコンをやっている方は簡単である。
奈良文化財研究所データベースを訪問すればいいからだ。
私は毎日ここにアクセスして,全国の遺跡に「九州王朝の痕跡」を探している。
皆さんも,ぜひ!

奈良文化財研究所データベース

https://www.nabunken.go.jp/research/database.html


特に役に立っているのは,「古代寺院遺跡データベース」と「古代地方官衙関係遺跡データベース」です。
毎日,多元的「国分寺」研究サークルのサイトで,川瀬さんとトレーニングしています。

多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/

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