« 2019年1月 | トップページ

2019年2月17日 (日)

昭島サークル 2019年2月

昨日は午後から,上記のサークルに参加した。
歴協教の研究集会(1日目)や郷土研の「廻田の道」研究発表会とカブり,
苦渋の選択を迫られる土曜の午後だった。

参加者は,18名。
資料は,私のカウントでは11点。

直前の山路さんの講演会の流れを受けてのスタートだった。
先月と違い.大学生の参加はなかった。

【資料一覧】

(1) 小原茂さん~「たのしい授業」で幸せ人生を!・・・山路さんがテープ起こしをした小原さんのミニ講演
(2) 伴野さん~「TOKI DOKI LIFE」・・・扇野さんの「LIFE」にあこがれて,伴野さんが編む「LIFE」がステキ
(3) 石岡さん~資料が書きたいんですけど(相談したいこと&聞きたいこと)・・・授業評価と感想からでも
(4) 日高さん~おすすめ「3つまた迷路」・・・簡単にできる工作。実演してもらうと,その魅力が伝わります
(5) 小原陽さん~「板倉式発想法」って深すぎる・・・12月23日に行われた会の陽さん風参加報告書です
(6) 佐竹さん~学級開きは「たのしい授業」で・・・「お役立ち資料」です。特に「僕の怒ること」がいいですね

Img_0732

(7) 佐竹さん~僕のしごと・0「前書き」・・・「普段使わないものと目隠し」というのが素晴らしい配慮ですね
(8) 田辺さん~仮説実験授業と自己評価(?)・・・「自己評価から自己変革が見えてくる」との副題あり
(9) 村上さん~漢字多用の風潮と日本語のあり方(ことばと民主主義)・・・田中克彦さんの本の書評風
(10) 小俣さん提供~伊藤恵さん退職記念講演会・・・5月11日(土)午後1時半~立川RISURUホールにて
(11) 肥沼さん~月刊「仮説」新聞・1月号・・・「肥さんの夢ブログ」のアーカイブズ「仮説」編です

例会が始まる前に,山路さんが講演資料をくれました。ありがとうございます。

(1) 山路敏英退職記念講演 講演要旨「たのしかった大学教師生活,そしてこれから」
(2) 資料1~教師に向いている?向いていない?・・・講師時代に「あなたは向いていない」と言われたことアリ
(3) 資料2~ありがとう・さようなら~未来の先生たちへ~・・・資料1と共に最終講義のための資料です
(4) 資料3~未来の先生たちに伝えたかったこと~「最後の授業の記録を元に考える」「たのしい授業・
 仮説実験授業の入り口で迷える人々の道案内」という2つの副題アリ

やはり昭島サークルは,とても勉強になるサークルです。毎月のように参加したい。
正式名は「たのしい教師入門サークル」といいますが,ちょっと恥ずかしいので昭島サークルで。

今夜の月 2/16

午後8~9時頃の南中に近い月です。
酒処「まこ」付近で撮りました。

Img_0663

Img_0693_4

Img_0722

Img_0694

雲が次々と変化して,あきらめ→歓喜に変わったところで撮れました。
酒処「まこ」に感謝いたします。↓ 感謝の気持ちを写真で表しました。(o^-^o)

Img_0297


「野良」どアップ 2/16

全国の「野良」のファンの皆様,
お待たせしました。
「野良」のどアップです。

Img_0657

Img_0658


橘樹官衙遺跡群(影向寺遺跡)その2

昨日,「西偏→正方位」と思ってがっかりしていたのだが,
川瀬さんのコメントに元気をもらって探したら,
何か所も「東偏の痕跡」がありました。

(1) 「橘樹郡衙 館か?」と書かれているクリーム色のところが,
4棟中3棟は東偏のようである。

(2) 伊勢山台地区に近い区画溝が東偏している。

(3) 川瀬さんご指摘のSB0080のほかにも,
SB0180や第6次の発掘の区画溝が東偏しているように見える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで,以下のように訂正します。

奈良文化財研究所のデータベースから

【倉庫群の方位が,東偏→西偏→正方位】

Photo

【影向寺の地下も,東偏→西偏→正方位】

Photo_2

橋本聖子氏「五輪の神様が池江選手の体を使って…」

橋本聖子氏が,池江選手に触れて発言していた。
自らの経験を踏まえての発言である。
池江選手も心強いのではないかと思った。

橋本聖子氏「五輪の神様が池江選手の体を使って…」

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/橋本聖子氏「五輪の神様が池江選手の体を使って…」/ar-BBTFf6x?ocid=spartandhp#page=2

2019年2月16日 (土)

息子の手料理 2/16

和風が続いたので,今日は洋風にしてみました。
ウィンナーたっぷりポトフです。

Img_0654


「野良」が顔を出す 2/16

「野良」が顔を出し,キャットフードを少し食べ,
爪を板で砥ぎ,身震いして消えた。
もしかしたら「牛乳」を期待していたかもしれないが,
そう毎日は出さないよ。
またおいで,今度は良いことがあるかもしれません。

Img_0649

Img_0650

Img_0652


橘樹官衙遺跡群(影向寺遺跡)

清水さんからカラーコピーをいただいたので,
とりあえずサイトをリンクすることから始める。

橘樹官衙遺跡群(影向寺遺跡)

http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000093556.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

奈良文化財研究所のデータベースから

【倉庫群の方位が,西偏→正方位】

Photo

【影向寺の地下にも,西偏と正方位が・・・】

Photo_2


横浜読書会 2/15

昨日の午後3時から,変更された会が行われた。
当初午後4時からと聞いていたので,30分遅れて到着した。
(ということは,30分早く着いたということだが)

参加者は9名で,ちょうど私が到着した時には,
白石太一郎氏の講演会に参加した方からの報告だった。
なんと,250名もの参加だったという。
演題は,「どうして馬は倭国へやって来たのか」。

資料の中で,参考になると思ったのは,牧の分布図。
九州王朝から近畿王朝に受け継がれたのだろう。

Img_0644

また,沖ノ島の宝物の奉納時期が4世紀後半から9世紀との情報。
これって,150年遡させると3世紀半ばから7世紀半ばとなり,
ちょうど九州王朝の元気な時期に重なると思った。
(卑弥呼・倭の五王・太宰府都城の建設)

Img_0645

私の資料は,まず「改元と建元」から。
大宝以前の元号はみんな「改元」で,九州年号もチラ見させているが,
本当に言いたいのは大宝の建元なのである。

Img_0646

続いて,「泉官衙遺跡の類似遺跡」。
最近見出した「下野国庁(都賀評衙)」「幡羅官衙遺跡」「榛沢遺跡」を紹介した。
横浜読書会は,最初に泉官衙遺跡を紹介した記念すべきサークルなので,
これからも新しく見出した遺跡の紹介はここでしていきたい。
なお,先日の多元の会の発表は,たくさんの人が集まったようである。
(私は大宮へ旅立って,大収穫だった訳だが)

Img_0648

清水さんの司会で,前回の復習と『邪馬一国の証明』の読書と資料紹介。
おみやげに,「評瓦」の出土で知られる「影向寺」と橘樹評衙遺跡群関係のコピーをいただく。
カラーなので,いろいろな情報がつかめる。(東側の倉庫群の方位の違いなど)

Img_0647


三橋貴明「統計の嘘は国家の揺らぎ」

ある方から三橋貴明の話を聞いてみるといいとアドバイスされ,
youtubeに上記の話を見つけたので貼り付けます。
先日明らかになった厚労省の統計問題について解説しています。


三橋貴明「統計の嘘は国家の揺らぎ」

https://www.youtube.com/watch?v=oNYPRtxrnwM&feature=youtu.be


ウィキペディア「三橋貴明」

https://ja.wikipedia.org/wiki/三橋貴明

2019年2月15日 (金)

泉官衙遺跡の類似遺跡

福島県相馬郡の泉官衙遺跡を見た時,
「この遺跡には,二つの王朝の栄枯盛衰が刻まれている」と思った。
しかし,それを言うためには,その遺跡の類似例がほしいとも思った。
以下の三つの例がわりと短期間に集められたのは,うれしいことであった。
(まだまだあると思うけど)

Img_0641

Img_0642

Img_0643

本日の横浜読書会のために速攻で作りました。
汚くてごめんなさい。m●m

2019東日本たのしい授業フェスティバルのパンフ

早くも上記のパンフが届いた。
これまで部活があったので,半分くらいしか参加できなかったが,
これからは思う存分参加できることになる。
申し込み方法は四面に出てくるので,いっしょに参加しませんか?(o^-^o)

Img_0635

Img_0639

Img_0640

Img_0638


榛沢遺跡+高崎サークルのツアーはいかが?

榛沢遺跡に単独で行っても悪くないが,
3月9日(土)の高崎サークルに合わせると,
JR岡部駅は高崎の手前なので,
榛沢遺跡+高崎サークルのツアーを組むことができる。

何年か前,高崎サークルの日に,午前中遺跡巡り,
午後高崎サークルというように時間を使っていた。
今回はそれと同じ形になる。(屋外なので,天気がいいとうれしい)

おまけに,高崎サークルの会場の近くには,
先日ご覧に入れたような発掘現場がある。
近所の発掘も始まるので,しばらく青ビ二ールシートの
発掘現場の写真が多くなるかもしれません。

今夜の月 2/14

天気予報によると,2月20日(水)のスーパームーンの日は,
天気が悪いということらしい。
しかし,天気はズレることもあるので,
1日1日の写真を大事にして撮っていきたい。

まず,午後5時ぐらいの月。

Img_0577

Img_0578

Img_0581

続いて,午後8時半ぐらいの月。

Img_0599

Img_0611

Img_0619

昨日は午後5時の角度が天高く,首がつらかった。
おまけにアパートの階段を支えに撮っていたら,
若い女性が階段を上がってきて・・・
もしかしたら私,不審者に見えたかも。(。>0<。)

2019年2月14日 (木)

自然科学の分野の授業書の思い出

私は中学社会の教員だったので,
主に社会の科学の授業書を使ったわけだが,
諸事情から自然科学の授業書を使うこともあった。
その思い出・・・。

最初の卒業生で,半年前に「34年ぶりの同窓会」を行った彼らとやったのは,
《食べ物飲み物何の色?》という授業書だった。
自然科学と社会の科学の間の公害問題の授業書で,
毛糸を合成着色料でそめるにぎやかなものだった。
とてもきれいに染まったので,授業の視聴率もよく,記憶に残ったという次第。
こういうのは教師冥利に尽きますね。

あとは,公害・環境問題で《もしも原子が見えたなら》の分子模型。
これはダイオキシン問題が勤務校のある所沢市でおこり,
ちょうどダイオキシンの分子模型を作って見せることができるようになり.
社会の授業が一気に自然科学化された瞬間だった。

また,《ものとその重さ》をクラブの時間にやったり.
分子模型作りや分子かるたモルカを部活の時間にやったり.
ノーベル賞受賞者の白川先生にお祝いの手紙を書くなどというのもやった。

社会科で,石油精製の話が出てくれば《三態変化》で蒸留の話をしたり.
石油会社にたのんで送ってもらった「いろいろな石油(原油から精製したものの色見本)」の
標本を見てもらって,イメージを膨らませることもやった。

社会科の授業でも,工夫次第で,仮説実験授業の自然科学的な要素を
取り入れることができると思っている。

二種類の金合金が使われている理由(山田さん)

先日の「鉄剣」の金銀の配合の違いについて,
山田さんがコメントして下さったので,
山田さんのサイトをリンクします。
(前もコメントしていただいた気がするが,
掲載は忘れた頃にやってくるですので失礼します。
もう載らないのかなと思っていました)

二種類の金合金が使われている理由(山田さん)

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2019/02/post-e294.html


月の満ち欠けと「上弦」「下弦」

コメントで「上弦」の意味を聞かれたが,
私もはっきりわからないので,
いくつか検索してみた。

月の満ち欠け

http://www.geocities.jp/mishimagoyomi/mitikake/mitikake.htm

板倉さんの『望遠鏡で見た星空の大発見』

Img_0352

弦月

https://ja.wikipedia.org/wiki/弦月

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翔空さん.山田さん.川瀬さんへ
いろいろコメントいただきありがとうございます。

今はこう考えています。

【旧暦の月の前半・・・上弦の月】 新月から満月まで(太っていくやつ・狭義では半月のこと)

【旧暦の月の後半・・・下弦の月】 満月から新月まで(やせていくやつ・狭義では逆の半月のこと)

ある意味.その一番極端な形である半月の区別で,moon2の方の半月を上弦.
その反対の形を下弦の月という。(どちらも月齢からいうと,ほんの一瞬のことかもしれません)

なので,川瀬さんからご指摘があった「半月の直前の月」は確かに「半月」ではないのですが,
本気で「半月」を撮るためには,長い時間の待機と風邪をひかないための周到な準備が必要です。
私はそれには耐えられないので,今度から正確に.少々長い題名になりますが,
「あと3時間38分後にぴったり半月になる予定の月」と書くことにしますね。(o^-^o)

他の京の「エビノコ郭」のようなもの

飛鳥宮の南東に作られた「エビノコ郭」は,
その特徴(規模,西が出入り口,敷石から3本の階段跡)から
九州王朝のために作ったと考えている。
(川瀬さんの「主語有無」とも一致)

昨日の府中研究会で,ほかの宮には
それにあたるものがないのかが話題となった。

0.天智天皇の近江京・・・大極殿のようなもの

近江大津宮錦織遺跡~京阪電鉄近江神宮前駅のすぐ西方にあります。天智天皇(626-671)が1,300年以上も昔に、奈良の飛鳥(あすか)から遷都したという大津宮跡といわれています。国指定の史跡。現在、巨大な柱を埋め込むための1辺2m近い穴と、直径40mから50cmほどの柱跡が7つ、門跡、中心建物を囲んだと思われる柵列とその北側の倉庫群が発掘されています。

1.天武天皇の飛鳥京・・・「エピノコ郭」

2.天武天皇の前期難波京・・・東方官衙

3.持統天皇の藤原京・・・中央部

1だけ作って後は作らなかったというのも変だ。
白村江の戦いに敗れたとはいえ.やはり日本の主権者。
それぞれの都に「エピノコ郭」がない訳がないと思うのだが…。

府中研究会 2/13

昨日も,川瀬さんと上記の研究会を行った。

多元的「国分寺」研究サークルのサイトで毎日行っている
全遺跡の方位調査でアドバイスをいただく。

① 官衙や寺院全体の遺跡なら,正殿や金堂が中心と考える。
② 次に庇付きの建物が中心と考える。
③ それもない場合は,大型の建物を中心と考える。

これで,正答率が飛躍的に高まるといいなあ。

続いて,長野県の方位調査で,50年のズレがあることが確認できた。
信濃国分尼寺はもっとも古い時代の国府寺になる可能性が。(6世紀末?)
それより遠い地方(関東や東北)は,100,150年遡るかも・・・。

さらに,編年問題のレクチャー。
飛鳥編年と難波編年の違い。
それぞれの特色と20年のズレをどう考えるか。

図を描いていただいたので,よくわかりました。
ぜひ総批判論文にも,須恵器H,G,Bの図をお願いします。

Img_0573

【難波編年の成立の難しさ】

① 地名違い(浪速と難波)

→ 川瀬さんよりご指摘あり。「① 地名違い:誤:(浪速と難波)⇒正:今の難波宮遺跡の場所は
「難波長柄」ではない。 こういう通説派の文献史学者からの批判もあります。」

② 前期宮殿を壊さない形で後期宮殿を造っている関係性(天武ー聖武)
➂ 早すぎる朝堂院様式(近江京でやっと初期朝堂院様式)

その他,いろいろ。

残った時間で,発掘調査書の精査。
川瀬さんが,「西偏が正方位を切っている」遺跡を発見した。
つまり,古さの順が,東偏>正方位>西偏ということが証明されたのだ。

Img_0571


府中市役所遺跡(9)

もう計測が始まっているので,後半だと思うが,
まだ掘っている人もいるので,
3月末までやるような気もする。

Img_0564

Img_0565

Img_0566

※ 2月に発掘すると聞いていた地元(所沢市北秋津)の発掘は,
もうすぐ草刈りをする(戸田建設の人に聞いた)そうなので,乞うご期待。
懐しい友人たちに再会できる日は近い。(o^-^o)

榛沢遺跡(埼玉県岡部市)について

先日の幡羅官衙遺跡(埼玉県深谷市)よりもう少し北の岡部市に,
榛沢郡家(はんざわぐうけ)と呼ばれる官衙施設がある。
こちらは30年ほど前に発掘され,復元施設もできている。
その中心は中宿倉庫群で,幡羅官衙遺跡は埋め戻されて見学できないが,
こちらは「道の駅おかべ」のそばであり,JR岡部駅北1.5キロだそうなので,
近いうちに行ってみたいと思っている。(古代蓮の池もあるらしい)

榛沢郡家

http://www.ohoka-inst.com/hanzawa22.pdf#search=%27%E6%A6%9B%E6%B2%A2%E9%81%BA%E8%B7%A1%27

評衙跡はないのかなあ,とページをめくっていったら,
点線で描かれていました。これも「東偏」でいいですかね。

Img_0567

Img_0568

おまけに,評寺としての岡寺も拡大すると,初期の基壇が「東偏」です。

Img_0569

つまり,幡羅官衙遺跡と同じで,九州王朝によって東偏の評衙政庁と倉庫群と評寺が作られ,
近畿王朝に政権が変わってからは場所を移動し,正方位にし,
サイズアップして郡衙政庁と大型倉庫と郡寺を作ったということである。
幡羅官衙遺跡と榛沢(中宿倉庫群)遺跡は「兄弟遺跡」と言えると思う。
ここにも,二つの王朝の変遷が刻まれていた。

※ 江口さんの『古代官衙』(ニューサイエンス社)には,
ごていねいに中里遺跡の倉庫の写真もありました。(^-^;

Img_0570


18歳の池江選手から教えられたもの

まだ高校を出たばかりの18歳。
競泳の池江選手に白血病が発症した。
急遽帰国の上,自分の状態を公表。
そして,さらにお礼のメッセージを出す。
これに私たちは応えなくてはいけないと感じた。

とりあえず,ブログでメッセージを読んだことを知らせ,
もし私の骨髄が池江選手ではないにしても、
白血病になって苦しんでいる方々のためになるのなら,
登録してお役に立ちたいと思った。

かつて,30代の頃一度登録しようとして,
不幸な事故があって「まだ早いのか」と引き下がった記憶がある。
そして,10年前私の友人の奥さんがドナーの方の骨髄で命をつなぎ,
今も元気で生活している。
今度こそ自分が動く時なのではないか。

白血病公表の池江が感謝のツイート「自分に乗り越えられない壁はない」【全文】

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6313770

2019年2月13日 (水)

水道工事

今近所で水道工事をやっている。
先月から始まっていて,終わるのは来月に入るようだ。

水道が通らなければ水も利用できないわけで,
協力するしかないが,
工事する人たちもなるべく住民の生活に支障がないよう,
安全で能率よく作業を行っているようだ。
もう1か月,我慢しよう。


息子の手料理 2/13

母が肉じゃがが食べたいようなので,
リクエストにお応えしてみた。
あとインゲンなど添えると色どりもいいのだが,
そのために200円追加はもったいないので,
それは勘弁してもらいましょう。

Img_0563


私と社会の科学の授業書の付き合い(38年目)

仮説実験授業は自然科学の授業書作りから始まったが,
当初から社会の科学の授業書は意識されていたという。
それは古田さんもそうだが,板倉さんも青春の時期に戦争を体験し,
簡単に間違った方向に導かれない人間作りという目標があったからだろう。
しかし,社会の科学の仮説実験授業は,そう簡単に出来上がらなかった。

1980年代に入って,そういう機運が盛り上がり,
竹内さんの「人口と歴史」をたたき台に,板倉さんが集中的な研究の末,
完成したのが《日本歴史入門》だった。

人口は食糧によって制限されるか,逆に生産量が上がれば人口も増える。
この「物質不滅の法則」みたいなものを,社会の科学の授業書として提出した訳だ。

私は幸いこの授業書《日本歴史入門》を就職浪人の年に手に入れた。
発売後まもなくの時期であった。その数日後にはもう仮説社に行っているから,
フットワークの軽さは昔からあったのだろう。

一番よく使用した社会の科学の授業書は《世界の国ぐに》で,
3年ごとに毎回授業にかけ,生徒たちに喜んでもらっていた。

・みんなで問題を解くたのしさ。
・人口の多い国の覚え方で,「人口多いは中印米国・・・」などと唱える。
・他の教材(かるた,国名の由来,GDPボックスなど)への発展。

3年間の中学社会科のスタートにやれることも、魅力の一つだ。

その他では,《世界の国旗》が講座用に便利だった。
《三権分立》《沖縄》《日本国憲法とその構成》など,
最初はなかった授業書たちに出会いながら,
私の教員生活を続けることができたのは幸いだった(o^-^o)。


(   )に泣きて三歩歩まず

戯れに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず

石川啄木

これは昔の母の場合である。
我が家の場合,(   )に反対言葉が入る。

でも,その歌を詠んであげたら,母は理解して笑っていた。
まだ,もう少し読解力の方は大丈夫そうだ。

蛇の探求

河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の読書が続いているが,
一昨日読んだところの話を紹介しよう。

古事記・日本書紀・出雲風土記の解読には,
蛇の探求が欠かせないらしい。
上記書でも約30ページにそれを当てている。

「ナガ」「オロ」・・・蛇の別称・・・ナガモノ(青森県)。オロチ族。ヤマタノオロチ
「ヒバ」「カガ」・・・蛇の固有種名・・・ヤマカガシ。加賀?
「トシ」「トク」「トコ」・・・蛇の古語・・・歳徳神
「ツチ」・・・蛇の古語・・・建御雷
「ナメラ」・・・蛇を表す言語・・・縞蛇=シマナメラ(長野県)
「ノコ」・・・蛇の異称・・・ツチノコ
「コロ」・・・ツチノコ

「なお,当該漢字第一音節優先採用法」を採用して,解読を試みているそうだ。
古田さんも接頭語や接尾語を取って本来の意味を知ろうとしたと思うのだが,
河村さんの解読法はそれと似ている感じがする。

蛇はヤマタノオロチ以降,封印されたかのごとく,記紀に登場しないらしい。

※ これは上記書にはない話だが,「素人の直感」でいうと,
恵方巻は,その年の縁起のいい方位を向いて,切らずに無言で食べる。
これは歳徳神と関係があると思え,蛇の神様の力を長い巻物の形でいただくとすると,
「恵方巻の正体」は蛇だったりして・・・。

2019年2月12日 (火)

新所沢の夜 2/12

(1) 房yaの「川エビの唐揚げ゜」と「カルパッチョ」

Img_0515

(2) 幸の「鯛のかぶと煮」

Img_0516

※ 毎日こんな生活をしている訳ではありません。

半月 2/12

雲が多くて,苦労しました。
スーパームーンに向けて,頑張ります!

Img_0518

Img_0528

Img_0530


久しぶりの「野良」 2/12

久しぶりの「野良」である。
雪もあって寒かったし,餌も足りているか心配だ。
うちにくればあげるんだけど,
一回他の猫に寝床を取られてから寄り付かない。
君の家は,ここだよ。

Img_0511

Img_0512


スーパームーンへ秒読み開始

このところ雨や雪も降ったりして,
月の写真が撮れないストレスを溜めています。
でも,今日からはだいぶ回復してまた楽しめそうです。

Img_0352


12日(火)・・・半月moon2

13日(水)・・・上弦の月

14日(木)・・・

15日(金)・・・

16日(土)・・・

17日(日)・・・

18日(月)・・・

19日(火)・・・

20日(水)・・・満月=スーパームーンfullmoon

第二火曜日は「母の日」

本日は,第二火曜日である。
我が家では,「母の日」になっている。

というのは,「歌とおしゃべりの会」がお昼を挟んで集会所で行われ,
その送り迎えが入るので私の時間が分断されるのだ。

普段の火曜日なら,午前9時から運動も兼ねて,スーパーへ買い物にいくところが,
本日は月に一度のケアマネージャーさんとの面談。
その後集会所へタクシーで行き,午後2時まで預かっていただく。(私は歩いて戻る)
午後2時に自転車で迎えに行き,荷物は自転車に積んで母は歩行運動。
帰りにスーパーへ寄って,本日の買い物はここに入る。

そういう合間をぬって,「私の時間」をいかに作るかが,
第二火曜日の課題だ。
なので,朝飯前の時間も貴重なひと時。
それが今。
さあ,そろそろ朝食にするか。(o^-^o)

ちょっぴり恥ずかしく,ちょっぴり嬉しい思い

今回幡羅官衙遺跡のことを知り,
江口桂編著『古代官衙』(ニューサイエンス社)を開いてみた。

Img_0483

そうしたら,江口さんの担当した所ではないが,
Ⅲ 地方官衙の中の[5]に小宮俊久さんの「郡衙」があり,
泉官衙遺跡(福島県南相馬郡)と幡羅官衙遺跡(埼玉県深谷市)のことが,
同りのじページで図入りで出ていた。(館を比べている)

Img_0490

さらに,ほかのところを見たら,「郡庁跡変遷図」というものが出ていて,
これは私の作りたいと思っているものに近い(ただし,編年は100年以上古くなるが)。
なので,7世紀後半から8世紀前期にかけての近畿王朝のサイズアップが,
この図では100年遅れて8世紀後半から9世紀前半に描かれていると考える。
(同じ福島県でも,東偏→正方位に対して泉官衙に対して,栄町官衙は西偏→正方位)

Img_0508

おまけに,以前こだわった山王廃寺下層建物遺構配置図が載っていた。
西偏→正方位で栄町官衙と似た変化をしている。
早い時期の「初期評衙」と考えられているようだ。

Img_0507

今回『古代官衙』からもっと学んでおくべきだったというちょっぴり恥ずかしい思いと,
『古代官衙』を開いてみたら,やはり同じような遺跡を扱っていて,ちょっぴり嬉しかった。
だが,大切なのはここから先である。まだ,編年の壁を作り替えていく仕事は続く。

2019年2月11日 (月)

スーパーボランティア・尾畠春夫さん、収入は年金月5.5万で雑草食べ節約も

自分ではとても真似はできないけれど,
世の中にはすごい生き方をしている人もいるんだなあと思う。
「スーパーボランティア」で有名な尾畠春夫さんのインタビュー。

スーパーボランティア・尾畠春夫さん、収入は年金月5.5万で雑草食べ節約も

https://news.nifty.com/article/magazine/12179-187525/

2019年2月10日 (日)

幡羅(はたら)官衙遺跡(深谷市)も「東偏」

本日は,多元の会に参加して服部さんの太宰府の発表を聞こうと思っていたが,
昨日その内容が「古田史学会報」で分かってしまい,
また翔空さんから大宮の県立博物館の「官衙」の特別企画が終わりに近づいていると聞き,
そちらに方針変更することにした。さて,吉と出るか,凶と出るか。

博物館は,東武の大宮公園駅下車徒歩5分という感じで,
大変便利な施設である。(何かで1回行ったことがあるが思い出せない)

(1) 幡羅遺跡(深谷市)が「東偏」の官衙遺跡のようである
(2) クルル鉤を見られた
(3) 近くにも興味深い遺跡があることを知れた

Photo_6

リンクも貼り付けておきますね。

奈良文化財研究所データベース「幡羅」

http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m101178-92070/up.jpg


深谷市のパンフ「幡羅遺跡へようこそ」

Photo_11

http://www.city.fukaya.saitama.jp/haraiseki/haraisekinokakushisetu/1391408082843.html

「幡羅官衙遺跡群(幡羅官衙遺跡・西別府祭祀遺跡)」の国指定について

http://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/kyoiku/kounanbunkazaicenter/oshirase/hara-nisibeppu.html

【クルル鉤など】

Img_0473

Img_0474

Img_0475

以上のように,収穫大の午後でした。

服部さんの論文で,「一尺二十五cmの三六〇尺」というクダリがあり,
南朝尺のことかな,と気になっています。


息子の手料理 2/10

もやし鍋。
これで体は温めて・・・

Img_0469


頭を冷やして・・・

昨日の雪は大したことがなくてよかったが,
サボテンにとっては大被害。
これって,頭を冷やせっていうこと?

Img_0465


掲載は忘れた頃にやってくる

『古田史学会報』2019年2月号

Img_0468

『古田史学会報』150号の内容
○太宰府条坊の存在はそこが都だったことを証明する 八尾市 服部静尚
○『後漢書』「倭国之極南界也」の再検討 神戸市 谷本 茂
○『論語』二倍年暦説の史料根拠 京都市 古賀達也
○新・万葉の覚醒(Ⅱ)
 -万葉集と現地伝承に見る「猟に斃れた大王」- 川西市 正木 裕
○稲荷山鉄剣象嵌の金純度-蛍光X線分析で二成分発見- 東村山市 肥沼孝治
○〈年頭のご挨拶に代えて〉二〇一九年の読書 古田史学の会・代表 古賀達也
○各種講演会のお知らせ
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


年代比定の大きなズレについて(川瀬さん)

追伸がコメントに入っていたので,
そのままコピーを掲載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追伸
>・文字史料に引っ張られて,年代判定が50年,100年後ろにずらされている。
これを直していくために,編年のし直しをしなければならない。
信州50年,関東100年等・・・。遺跡調査は,東山道を長野から群馬・栃木といく。

 正しくは、国府や国分寺の年代比定は、文字史料に引っ張られて、年代判定が50年とか100年後ろにずれているのではないか。国府の場合は、諸国に国・郡・里の制を置くとの詔が出たのが、いわゆる大化改新詔で、同じくこの詔で、中央に都城制の都を築き、中央と地方を駅制で結ぶとあった。つまり都と国府を置くと宣言したのが650年頃と考えられてきた。ここから国府の年代は早くても7世紀中頃、多くは7世紀末から8世紀初と、中央からの遠いものほど後の時代と判断されて年代比定されているのではないかということ。そして国分寺は聖武のいわゆる「国分寺詔」が743年だから、最も早い国分寺で8世紀中頃と判断され、遅いものは8世紀末と考えられたのではないかということ。
 こう判断してしまうと、実際の年代とは50年とか100年ずれたのではないか。
 いわゆる「大化改新詔」はその年に九州王朝が出した全国一元統治宣言を近畿王朝が盗用したのだと思うが、一元統治がここから始まるのではなく、これは「一元統治の完成宣言」と思われるので、これ以前に諸国に国と評が置かれ、それぞれに国府と評衙が建設され、これと都を結ぶ大規模な官道が建設されてきたのだと思う。
 他の所で肥沼さんが書いてくれたが、九州王朝による全国一元統治の試みの開始は、近畿王朝の年譜で言うと継体の時代。530年頃に東では武蔵国造の乱、西では筑紫君磐井の乱がある。これは九州王朝が列島の在地豪族勢力の縮減に手を付けた証拠。そしてこの乱ではそれぞれに屯倉という朝廷の直轄領が置かれた。屯倉は継体の次の安閑の所にきわめて設置記事が多く、かつ安閑紀には、諸国の屯倉から税を集める倉庫が、難波(これはもちろん九州の難波)に置かれ、諸国の屯倉から税を難波に集める役目が、有力な家臣に命じられたとある。
 この時期が全国一元統治に向けた動きの起点。
 その後どこかの時期で九州王朝の屯倉を拠点に評制が敷かれ、その評制が九州王朝の畿内にまず拡大され、そして全国に評制を敷き終わったとの宣言が、前期の大化改新詔群ではないだろうか。
 こう考えると九州王朝の畿内である九州と近国では国府や評衙の設置は7世紀中頃ではなくもっと以前になり、それは6世紀末まで遡るのではないか。その後この動きは九州王朝の領域に拡大され、畿内以外の領域、つまり中国四国地方とおそらく関東にこれを拡大し終わったのが、7世紀中頃だと思うのです。そしてこの動きに従って半ば独立の王国である近畿天皇家の領域にも同じ制度が行き渡ったのが7世紀中頃だと。
 こう考えると国府は、早い地方で6世紀末、遅い地方で7世紀中頃なのではないか。だから地方によっては50年から100年年代がずれる。
 この国ー評制の拡大に伴って、諸国と諸評に官立寺院が建てられたと思うのだ。つまり国寺と評寺。したがってこの官立寺院の早いものは6世紀末で、遅いものでも7世紀中頃。
 この国府に置かれた国寺に8世紀に入って近畿王朝が10巻本の金光明経を配り、これを配られた寺院の名を「国分の金光明経を持つ寺院」という意味で「国分金光明寺」と呼び換え、この「国分金光明寺」にあまねく七重塔を建立せよというのが聖武の国分寺詔だと考えます。
 したがって諸国の国寺は8世紀の前半に「国分金光明寺」と呼び換えられ、その略称として「国分寺」という名称がつかわれたのだと考えます(同じ時期に諸国の尼寺には法華経が配られたので、諸国の尼寺も「国分の法華経を持つ尼寺」という意味の「国分法華尼寺」という名称に変えられ、略称としての「国分尼寺」が広がったのだと考えます)。
 したがって国分僧寺と尼寺の年代を聖武詔ににそって8世紀中頃創建としてしまうと、実態とは150年から100年はずれてしまうということです。

墨書土器の「国寺」について(川瀬さん)

私の読解力では川瀬さんのお話は誤解されるようなので,
コメントをコピーしてそのまま載せます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうではなく、前回報告した国分寺北方遺跡の創建期1期a期に属する竪穴住居(つまり正方位の北向きの塔1と同じ時期のもの)から出た土器に「国寺」という墨書があった。この墨書を発掘者は「国分寺の略であり、当初からこの寺が国分寺と呼ばれていた証拠」とした。だがそうではなく、当初のこの寺は「国々の国府に置かれた寺で、こういう寺は国寺と呼ばれていた」と解釈すべきなのだ。つまりこの寺の性格は「武蔵の国の国寺」で、おそらく名称は「武蔵寺」。
 以前続日本紀を分析してた時、文武紀の冒頭に、筑紫の筑紫観世音寺と筑紫尼寺に給付されていた官からの禄を停止するとの記事があった。この筑紫尼寺が何であるか不明とされているのだが、これを、筑紫の国府に置かれた国ごとの尼寺の名と私は解釈し、諸国の国府に置かれた僧寺と尼寺は、○○(国名)+寺、と○○(国名)+尼寺とされていたのではないかと解釈した。この時には国府に置かれた国立寺院は「国府寺」と総称されていたのではないかと考えていたが、今回武蔵国分寺の北方にあった、塔1と同じ時期の同じく正方位の建物群から出た墨書土器にあった「国寺」との墨書が、九州王朝時代の国府に置かれた国立寺院の名前だと判断したということです。
 したがって武蔵国の国府に置かれた国立寺院(国寺)の名前は、「武蔵寺」と「武蔵尼寺」であったという結論に達したのです。

古事記に出てきて,日本書紀には出てこない「因幡の白兎」

河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の読書が続いているが,
昨日読んだところの話を紹介しよう。

古事記には出てくるが,日本書紀には出てこない神話に,
「因幡の白兎」というのがある。
大国主が活躍する話でよく知られているし,
サメかワニかで話題になったりもする。
あれが,隠岐(黒曜石の産地)をめぐる歴史の反映なのだという・・・。

あと,隠岐の呼び方で「島前(どうぜん)」「島後(どうご)」というのは,
どの王朝が付けた名前なのかという話も興味深い。

たのしい研究の語り場 2/9

中さんが主宰している上記のサークルに,
二か月ぶりに参加してきた。
先月も参加したかったのだが,
行事が立て込んで苦渋の選択となった。

参加者は,中さんはじめ7名。
このくらいだと口も挟みやすい人数だ。

資料は,次の6点。

(1) 本間さん~「特別指導」解除・・・それぞれの大人たちの役割が生かされる時に,子どもたちも輝く
(2) 志田さん~「5までの数」に親しむ。単純に見えて,奥が深いカード遊び。私も社会科かるたを作った
(3) 門馬さん~「恵方巻」食べましたか?・・・『たの授』のグラフにぜひ取り上げたい。恵方巻ってすごい!
(4) 肥沼さん~「仮説新聞」12月号・・・前回のこのサークルの参加記もあり。月の写真も披露しました
(5) 奥さん~2回目の中さん授業参加記・・・羽村市立栄町での《もし原》の授業。小原講演の様子も少々
(6) 中さん~思いつくままに⑦・・・先月の会「男の先生・女の先生」の報告や板倉さんとの研究の思い出

平均年齢も高く,仮説実験授業に長年関わってきた人たちの集まりで,
落ち着いて時間を過ごせるサークルです。
「たのしい研究」というテーマもいい。(o^-^o)

あいせだライブ@スローライフ 2/9

雪がチラつく仮説社を後にする。
巣鴨駅から山手線と総武線を乗り継いで浅草橋駅へ。
「すき家」で夕飯を食べて,スローライフへ。
到着したのは,ライブが始まる午後6時ジャストだった。

前回はトリの6番くじを4番の方に取り換えていただいたが,
今回も6組中5番目。(毎回代えてもらうわけにもいかず)
どうもあいせだは大物なのか,「トリに近い順番」を引き当てやすいらしく,
大量に食べてきた夕食は,そういう意味では正解であった。

前半に登場した男女のペアが印象に残った。
普段2人とも別な活動をしているらしいが,
それぞれの個性をうまく生かしあって楽しませる。

Img_0425

あわゆいかなこ

https://www.awayuikanako.com/single-post/2018/08/22/Yuzukanaの初CD「iris」

満をじして,あいせだが5番目に登場した。
期するところあったらしく,МCの無駄遣いは減っていた。
最後に「おじいちゃんの唄」を歌ったのは正解で,
てるちゃんの直感が当たったと思う。(たべさんもよく応えた)
ライブというのは客とのキャッチボールなので,
8割は予定通りだが,2割は柔軟な対応が必要だ。
また,ただ楽曲を並べるのではなく,後半に向けて盛り上げることも。

そういう意味では「おじいちゃんの唄」はトリの楽曲なので,
最後に持っていきたいし,「新宿の夜」で「お祭りみたいだと思ったら,
本当にお祭りの日だった」というのは,必ずウケるネタなので,
前半の方に配置して,客の心をつかみたい。
あと,正調の歌い方が多くて単調に聞こえるのを失せぐために,
独唱部分を入れたり,力を抜くところを入れたりするといいな。
いろいろ書いたけど,昨日は「進化した」と感じていて,
応援団長としてうれしいので,多く書かせていただいた。
では,新デジカメで撮った写真をどうぞ!

Img_0427

Img_0430

Img_0434

Img_0437

Img_0447

Img_0451

Img_0453

Img_0456_2

Img_0463_1

所沢の夜は~♪(23時頃)

Img_0464


2019年2月 9日 (土)

「鈴」の全文検索

念のため「鈴」でも引いてみた。
引いてよかった。幸徳紀の中に,「造鈴契」が出てきたからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▼日本書紀 巻第一 神代上
等・大三輪君等・又姬蹈鞴五十鈴姬命。又曰、事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姬・或云玉櫛姬而生兒、姬蹈鞴五十鈴姬命。是爲神日本磐余彥火火出見天皇之后也。初、大己貴神之平國也、行到出雲國五十狹々小汀、而且當飲食。是時、海上忽....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第二 神代下
峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。」因曰「發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。」天鈿女、還詣報狀。皇孫、於是、脱離天磐座、排分天八重雲、稜威道別道別、而天降之也。果如先期、皇孫則到筑紫日向高千穗槵觸之峯。其猨田彥神者、則到伊勢之....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第三 神武天皇紀
櫛媛、所生兒、號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者。」天皇悅之。九月壬午朔乙巳、納媛蹈韛五十鈴媛命、以爲正妃。辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子神八井命・神渟名川耳尊。故古語稱之曰「....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第四 綏靖天皇~開化天皇
天皇第三子也。母曰媛蹈韛五十鈴媛命、事代主神之大女也。天皇風姿岐嶷、少有雄拔之氣、及壯容貎魁偉、武藝過人、而志尚沈毅。至卌八歲、神日本磐余彥天皇崩。時、神渟名川耳尊、孝性純深、悲慕無已、特留心於喪葬之事焉。其庶兄手硏耳命、行年已長....→ このページで合計3件ヒット
▼日本書紀 巻第六 垂仁天皇紀
祠立於伊勢國。因興齋宮于五十鈴川上、是謂磯宮、則天照大神始自天降之處也。一云、天皇、以倭姬命爲御杖、貢奉於天照大神。是以、倭姬命、以天照大神鎭坐於磯城嚴橿之本而祠之。然後、隨神誨、取丁巳年冬十月甲子、遷于伊勢國渡遇宮。是時倭大神、....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第九 神功皇后紀
「神風伊勢國之百傳度逢縣之拆鈴五十鈴宮所居神、名撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命焉。」亦問之「除是神復有神乎。」答曰「幡荻穗出吾也、於尾田吾田節之淡郡所居神之有也。」問「亦有耶。」答曰「於天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神有之也....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第十一 仁徳天皇紀
大溝於感玖、乃引石河水而潤上鈴鹿・下鈴鹿・上豐浦・下豐浦四處郊原、以墾之得四萬餘頃之田。故、其處百姓、寛饒之無凶年之患。十六年秋七月戊寅朔、天皇、以宮人桑田玖賀媛、示近習舍人等曰「朕、欲愛是婦女、苦皇后之妬、不能合以經多年....→ このページで合計3件ヒット
▼日本書紀 巻第十二 履中天皇~反正天皇
名、以姧黑媛、是夜仲皇子忘手鈴於黑媛之家而歸焉。明日之夜、太子、不知仲皇子自姦而到之、乃入室開帳居於玉床、時床頭有鈴音、太子異之問黑媛曰「何鈴也。」對曰「昨夜之非太子所齎鈴乎、何更問妾。」太子、自知仲皇子....→ このページで合計4件ヒット
▼日本書紀 巻第十四 雄略天皇紀
俄而皇女、齎持神鏡、詣於五十鈴河上、伺人不行、埋鏡經死。天皇、疑皇女不在、恆使闇夜東西求覓、乃於河上虹見如蛇四五丈者、掘虹起處而獲神鏡。移行未遠、得皇女屍、割而觀之、腹中有物、如水、水中有石。枳莒喩、由斯、得雪子罪、還悔殺子、報殺....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第二十 敏達天皇紀
慄也。馬子宿禰大臣咲曰、可懸鈴矣。由是、二臣微生怨恨。三輪君逆、使隼人相距於殯庭。穴穗部皇子欲取天下、發憤稱曰「何故事死王之庭、弗事生王之所也。」 ....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀
斥候・防人・驛馬・傳馬、及造鈴契、定山河。凡京毎坊置長一人、四坊置令一人、掌按檢戸口、督察姧非。其坊令、取坊內明廉强直、堪時務者充。里坊長、並取里坊百姓淸正强□者充。若當里坊無人、聽於比里坊簡用。凡畿內、東自名墾横河以來、南自紀伊....→ このページで合計3件ヒット
▼日本書紀 巻第二十八 天武天皇紀上
志摩、于留守司高坂王而令乞驛鈴。因以、謂惠尺等曰「若不得鈴、廼志摩還而覆奏。惠尺、馳之往於近江、喚高市皇子・大津皇子逢於伊勢。」既而惠尺等至留守司、舉東宮之命乞驛鈴於高坂王。然不聽矣、時惠尺往近江。志摩乃還之復奏曰....→ このページで合計10件ヒット

「駅鈴」の全文検索

ここまで来たら「駅鈴」です。

・・・・・「駅鈴」・・・・・1件(3個)・・・・・「やはりそうか」と思った・・・・・

▼日本書紀 巻第二十八 天武天皇紀上
臣志摩、于留守司高坂王而令乞驛鈴。因以、謂惠尺等曰「若不得鈴、廼志摩還而覆奏。惠尺、馳之往於近江、喚高市皇子・大津皇子逢於伊勢。」既而惠尺等至留守司、舉東宮之命乞驛鈴於高坂王。然不聽矣、時惠尺往近江。志摩乃還之復奏曰「不得....→ このページで合計3件ヒット

出てきたのは1件(3個)でした。
あの壬申の乱の印象的な場面のみです。
時は「ONライン」の前ですから,当然九州王朝の駅鈴でしょう。
やはり,九州王朝の時代から駅鈴はあった。
そして,それは王朝の証拠ゆえに隠された。
さらに,近畿王朝で初めて作ったかのように「刻み入り」の駅鈴を宣伝した。
「続日本紀」には,何回も駅鈴の話が出てきますからね。

「駅」の全文検索

「日本書紀」の全文検索を使って,
「駅」をやってみました。

・・・・・駅・・・・・9件(20個)・・・・・分布が作れるかも・・・・・

▼日本書紀 巻第九 神功皇后紀
懷也。」増賜多沙城、爲往還路驛。五十一年春三月、百濟王亦遣久氐朝貢。於是、皇太后語太子及武內宿禰曰「朕所交親百濟國者、是天所致、非由人故。玩好珍物、先所未有。不闕歲時、常來貢獻、朕省此款、毎用喜焉。如朕存時、敦加恩惠。」卽年、以千....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第十九 欽明天皇紀
皇寢疾不豫。皇太子向外不在、驛馬召到、引入臥內、執其手詔曰「朕疾甚、以後事屬汝。汝須打新羅封建任那、更造夫婦惟如舊曰、死無恨之。」是月、天皇遂崩于內寢、時年若干。五月、殯于河內古市。秋八月丙子朔、新羅遣弔使未叱子失消等、奉哀於殯。....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十一 用明天皇~崇峻天皇
、馬子宿禰聽而驚之。丁未、遣驛使於筑紫將軍所曰「依於內亂、莫怠外事。」是月、東漢直駒、偸隱蘇我嬪河上娘、爲妻。河上娘、蘇我馬子宿禰女也。馬子宿禰、忽不知河上娘爲駒所偸、而謂死去。駒、汙嬪事顯、爲大臣所殺。 ....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十二 推古天皇紀
朔丙子、來目皇子薨於筑紫。仍驛使以奏上、爰天皇聞之大驚、則召皇太子・蘇我大臣、謂之曰「征新羅大將軍來目皇子薨之。其臨大事而不遂矣、甚悲乎。」仍殯于周芳娑婆。乃遣土師連猪手令掌殯事、故猪手連之孫曰娑婆連、其是之緣也。後葬於河內埴生山....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十四 皇極天皇紀
仁阿曇連比羅夫、從筑紫國、乘驛馬來言、百濟國、聞天皇崩、奉遣弔使。臣隨弔使、共到筑紫。而臣望仕於葬。故先獨來也。然其國者、今大亂矣。二月丁亥朔戊子、遣阿曇山背連比良夫・草壁吉士磐金・倭漢書直縣、遣百濟弔使所、問彼消息。弔使報言、百....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀
司・郡司・關塞・斥候・防人・驛馬・傳馬、及造鈴契、定山河。凡京毎坊置長一人、四坊置令一人、掌按檢戸口、督察姧非。其坊令、取坊內明廉强直、堪時務者充。里坊長、並取里坊百姓淸正强□者充。若當里坊無人、聽於比里坊簡用。凡畿內、東自名墾横....→ このページで合計2件ヒット
▼日本書紀 巻第二十六 斉明天皇紀
言、臣等初漂泊于海見嶋。乃以驛召。辛丑、作須彌山像於飛鳥寺西、且設盂蘭瓮會、暮饗覩貨邏人或本云、墮羅人。九月、有間皇子、性黠陽狂、云々。往牟婁温湯、偽療病來、讚國體勢曰、纔觀彼地、病自蠲消、云々。天皇、聞悅、思欲往觀。是歲、使々於....→ このページで合計3件ヒット
▼日本書紀 巻第二十八 天武天皇紀上
臣志摩、于留守司高坂王而令乞驛鈴。因以、謂惠尺等曰「若不得鈴、廼志摩還而覆奏。惠尺、馳之往於近江、喚高市皇子・大津皇子逢於伊勢。」既而惠尺等至留守司、舉東宮之命乞驛鈴於高坂王。然不聽矣、時惠尺往近江。志摩乃還之復奏曰「不得....→ このページで合計8件ヒット
▼日本書紀 巻第二十九 天武天皇紀下
還宮之日、看群卿儲細馬於迹見驛家道頭、皆令馳走。庚午、縵造忍勝、獻嘉禾、異畝同頴。癸酉、大宅王卒。九月戊寅朔癸巳、遣新羅使人等、返之、拜朝。庚子、遣高麗使人・遣耽羅使人等、返之、共拜朝庭。冬十月戊申朔己酉、詔曰「朕聞之、近日暴惡者....→ このページで合計1件ヒット

「駅馬」の全文検索

「日本書紀」の全文検索を使って,
「駅馬」をやってみました。

・・・・・駅馬・・・・3件(4個)・・・・・かなり少ない。しかも,欽明天皇以降・・・・・

▼日本書紀 巻第十九 欽明天皇紀
皇寢疾不豫。皇太子向外不在、驛馬召到、引入臥內、執其手詔曰「朕疾甚、以後事屬汝。汝須打新羅封建任那、更造夫婦惟如舊曰、死無恨之。」是月、天皇遂崩于內寢、時年若干。五月、殯于河內古市。秋八月丙子朔、新羅遣弔使未叱子失消等、奉哀於殯。....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十四 皇極天皇紀
仁阿曇連比羅夫、從筑紫國、乘驛馬來言、百濟國、聞天皇崩、奉遣弔使。臣隨弔使、共到筑紫。而臣望仕於葬。故先獨來也。然其國者、今大亂矣。二月丁亥朔戊子、遣阿曇山背連比良夫・草壁吉士磐金・倭漢書直縣、遣百濟弔使所、問彼消息。弔使報言、百....→ このページで合計1件ヒット
▼日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀
司・郡司・關塞・斥候・防人・驛馬・傳馬、及造鈴契、定山河。凡京毎坊置長一人、四坊置令一人、掌按檢戸口、督察姧非。其坊令、取坊內明廉强直、堪時務者充。里坊長、並取里坊百姓淸正强□者充。若當里坊無人、聽於比里坊簡用。凡畿內、東自名墾横....→ このページで合計2件ヒット

 デジタル大辞泉の解説
 きんめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【欽明天皇】

 [510~571]第29代の天皇。継体天皇の皇子。名は天国排開広庭(あめくにおしはらきひろにわ)。
 在位中に百済(くだら)から仏教が伝来したという。

この時期は,九州王朝が全国支配に乗り出した時期かもしれないと,
昨日川瀬さんがおっしゃっていた。(東偏もその一つか)
そのためには,各地をつなぐ道や駅場が必要になってくる訳だから,
とても筋の通る話である。

雪やこんこ 霰やこんこ

雪が降り始めた。

Img_0414

庭にも

Img_0415

階段にも

Img_0419_2

車にも

Img_0416

新アパートの屋根にも

Img_0417

標識にも

Img_0420_2

もう一つの標識にも

Img_0421

寒さの苦手なサボテンの上にも降る

Img_0418

こういう日は,ホット缶がよく売れる。(o^-^o)

府中市役所遺跡(8) 2/8

細部にこだわって掘っている感じがした。
人数も多い。

Img_0346

Img_0348


府中研究会 2/8

いつもの水曜日ではなく,金曜に開きました。
発掘調査報告以外の話題から・・・。

・ついに「難波京」問題の総批判がまとまるようです。
A4判4枚にまとめられた論文には,まだ須恵器杯の写真なども入れるそうなので,
かなりの量のものになるらしいです。
とりあえず「「難波京整地層出土「須恵器杯B」の真相」の真相は?」という題名だけお知らせしておきます。

・武蔵国分寺の北方東遺跡について,10世紀末まで活動が続いたらしく,
西偏4~7度の建物が多く,正方位のものもあるなど。残るは,国分寺4小遺跡か。

・「駅」「駅鈴」などで,全文検索してみてはどうか。見えてくるものがあるはず。
北周の登場が530年なので,継体の時期に当たりで,盤井の乱や武蔵国造の乱が起きている。
九州王朝が全国支配に乗り出したということの反映ではないか。東偏も。

・文字史料に引っ張られて,年代判定が50年,100年後ろにずらされている。
これを直していくために,編年のし直しをしなければならない。
信州50年,関東100年等・・・。遺跡調査は,東山道を長野から群馬・栃木といく。

・「国寺」という墨書土器が多い。「武蔵国府寺」ではなく,「武蔵国寺」と呼ばれていたからか。

・吉田兼好のことを扱った『兼好法師』という本がお薦めとのこと。

そのあとの発掘調査報告書の中で,川瀬さんが発見。。
A地区でN2=奈良時代Ⅱ期(726~750年)の東偏が見つかった。
これでいくと関東の編年は100年ずれている。
目が慣れてきているので,府中市の報告書(真北で統一されている)だと,
そういう珍しいものがパッと目に入ってくる。

金曜サークルではなく,「板倉聖宣とその時代(9」)が・・・

『たの授』2月号にると,2月8日の記事で金曜サークルが出ていた。
ところが別なページに上記の会も行われることが出ていた。

「板倉聖宣とその時代(9」」・・・今月は,板倉さんの「中学卒業から高校に入るころ」ー
敗戦の衝撃をばねに,思想の核を形成していった時代のお話になる予定です。

講師は重弘さんで,私が15分くらい遅れて到着した時には,
信州に疎開していた話のところだった。
20分ほど立ち聞きしていたが,席も「諸先輩たち」で埋まり,
疲れてもいたので帰ることにした。

帰りしなに,板倉訳の『望遠鏡で見た星空の大発見』(ふつう「星界の報告」と訳されている)
というブックレットを買った。
表紙と月の満ち欠けのところをどうぞ!

Img_0350

Img_0352


巣鴨の仇を新秋津で撮ったつもりが・・・ 2/8

昨日は巣鴨では月が雲の中で諦めていたが,
新秋津に着いたら.なんと目の前に浮かんでいた。

しばらく低い位置の月に向けてシャッターを切り,
撮ったつもりが,よく見たら・・・
電線も写ったり,ピンボケだったり,
なかなか思うに任せなかった。
また,リベンジしますね。(。>0<。)

Img_0374

Img_0391

Img_0366


2019年2月 8日 (金)

北海道で厳しい冷え込み

昨日が暖かったので,
今日の冷え込みはけっこう堪える。
しかし,上には上がいて,
北海道ではマイナス20℃以下のところもあるらしい。
(冷凍庫に相当し,アイスクリームが溶けない・・・)

日本って,気温の差が激しいな。
沖縄のある島は,昨日27℃あったそうだ。

北海道で厳しい冷え込み

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6313147

頭慢が「八重山毎日新聞」に載る

ひと月に一度,石垣島に渡った頭慢がライブをしているのを,
この「夢ブログ」でもリンクさせてもらっている。
「世の中の全ての事がわかるかい 」「猫の観察からわかること」はこちらにいた時もいい歌だなと思っていたが,
あちらに行ってからも「ヤギのお母さん」「さしみ屋」ととどまるところを知らぬ勢いだ。

昨年の秋,頭慢の記事が「八重山毎日新聞」に掲載された。
あまりにも遅い気づきにちょっと迷ったが,やはり掲載しておきたい。
ていねいに取材してくれた記者さんにもお礼を言いたい。

Photo

(八重山毎日新聞 2018.10.20)

三日月よりも細い月

翔空さんに聞かれて,上記の言葉で検索したら,
知恵袋にその解答とひと月の呼び名が出ていた。
いくつかは,古典にも出てきますね。


1:朔(さく)/新月(しんげつ) newmoon
2:既朔(きさく)
3:三日月(みかづき)moon3
7/8:上弦(じょうげん) moon2
13:十三夜(じゅうさんや)moon1
14:小望月(こもちづき)/幾望(きぼう)
15:満月(まんげつ)/望月(もちづき) fullmoon 2/20
16:十六夜(いざよい)/既望(きぼう)
17:立待月(たちまちづき)
18:居待月(いまちづき)
19:寝待月(ねまちづき)/臥待月(ふしまちづき)
20:更待月(ふけまちづき)
22/23:下弦(かげん)
29/30:晦(つごもり)

『たの授』2月号の感想

仮説社御中
東村山の肥沼です。

『たの授』12月号で特に良かったのは,次の3点です。

(1) 心躍るような毎日(郡さん)

かつて担任したクラスの子どもからのうれしい連絡。
しかも仮説実験授業からスタートした化学への興味は,今の仕事にもつながる。
こんな素敵な人生が,授業を通して創られていくという話は,
若い先生たちにとって大きな希望となると思いました。
郡さん自身は大変な思いをした代打クラスだったようですが,
きっとその分子どもたちの喜びも大きかったのでしょう。

(2) 自分自身が納得できるかっこよさを求めて(下)(松木さん)

(上)の話もよかったですが,こちらも素晴らしかったです。
いろいろなタイプの子どもたちとかかわる中で,最初は遠い存在だった科学が
仮説実験授業によって,自分と子どもたちとの間を結び付けてくれる
かけがえのないものになっていく。科学を中心に据えた30年間が
自分自身でかっこいいと思える。カッコイイ教員生活でした。

(3) 組み合わせ式分子模型で化学反応を(由良さん)

私は三田村式の分子模型を知らないので,仮説実験授業でよく出てくる
1億倍の分子模型が「私にとっての分子模型」です。幼いころ積み木やブロックで
遊んだことは,脳みそを大いに刺激してくれたと思っています。
ぜひ私も「モルックス」のセットを買って,皆さんに披露したいです。

左脳・右脳使いまくりの週末

左脳・右脳使いまくりの週末になりそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8日(金)・・・府中研究会(川瀬さん)→金曜サークル(亀川さん)

9日(土)・・・たのしい研究の語り場(中さん)→あいせだのライブ

10日(日)・・・多元の会 服部さんの「条坊都市はなぜ造られたか」他

11日(月)・・・横浜読書会(清水さん) 15時~

三日月って,細いんだね!

いよいよ吉田拓郎ばりの「上弦の月だったけ,久しぶりだね」という頃となった。
昨日は,日の入りから3時間が三日月の撮影タイム。
西の空を狙っていたら,突然細い月が現れた。

でもやはり,シャッターチャンスは暗くなってからで,
その辺がなかなか難しい。何枚か紹介します。
真っ暗い中での最大は取り損ねた。悔しい(。>0<。)

Img_0323

Img_0320

Img_0322

Img_0338

Img_0341

Img_0344

細い月は,光量が少ないので,ピントが合いにくい。
腕でカバーしなくては・・・。(^-^;

郷土研の世話人会 2/7

昨日も定例の世話人会があり,参加した。
前回は失念して短時間か参加できなかったので,
気合を入れて30分以上前に行ったので,
郷土研以外のことも話せた。

話題は,来年度の予定や今後の「郷土研だより」の内容。
郷土研主催の講演会(3人が廻田の道について話す)。
半日遠足である「東大和の見て歩き」など,多彩だった。

パソコンが不具合ということで,新春講演会の内容は,
ノーみそテープ起こしだけで,編集をしていただけることになった。
ありがとうございます。m●m

2019年2月 7日 (木)

「郷土研だより」2月号の原稿

「郷土研だより」2月号の原稿

平成31年度 新年祝賀会の開催報告
秋津町 肥沼 孝治
日時 平成31年1月20日(日) 12時30分~14時50分
会場 中国料理「彩雅」 参会者 31名

新年祝賀会は、小池副会長の司会により定刻に開始された。

【大井会長の挨拶】(要旨)
〇多くの来賓の皆様のご援助とご協力に感謝申し上げます。「郷土を語る会」をきっかけに、
昭和45年にスタートした郷土研も、来年が50周年となります。現在100名近くの会員がおり,
10年ごとに作られてきた記念誌も、5冊目を作る時期となりました。過去を知り,未来を切り
開くために、どうぞお力添えを下さい。

【来賓祝辞】
 渡部尚市長・伊藤眞一市議会議長・野崎満教育部長の三氏より
〇多くの方が集まり、郷土について研究し、記録されていることに、感謝と敬意を表します。
今年5月に元号が変わり、来年はラグビーのW杯が開催され、2年後には東京五輪が開かれる。
東村山市も55年。皆さんと共に明るい未来を切り開いていける年にしたい。
〇旧5か村が合併して130年。市になって50年。当時は5万人で市になれたが、今は15万人と
なった。大事なお仕事をされていると思っている。
〇毎号「郷土研だより」を楽しみにしている。今後もよろしくお願いします。

【参会された来賓等の紹介】(会長より)
市長・渡部尚氏、市議会議長・伊藤眞一氏、市議会副議長・小町明夫氏、市議会生活文化委員長・
石橋博氏、教育部長・野崎満氏、ふるさと歴史館長・中澤信也氏、元ふるさと歴史館長・山﨑泰子氏、
賛助会員・髙山博之氏、元本会会長・日笠山正治氏の9名。

【祝宴】
石橋市議会生活文教部長のご発声で,本会の発展と参会者の健康を祈り乾杯し、会食・懇談した。
ここで司会は、内海副会長に交代した。

【スピーチ・余興】
〇お招きした方々全員から、郷土研に対する激励を頂戴しました。ありがとうございました。
〇髙山元副会長から、「ここ4、5年の郷土研の研究は素晴らしい。ぜひ「東村山市の『市史研究』に
載せたい」と発言があり、また日笠山元会長からも、「今年で90歳になりますが、まだまだ頑張って
いきたいと思います」と激励をいただいた。
〇小池副会長の「慶春」の書の紹介があった。
〇新入会された肥沼・當間実両会員の抱負、小山会員からの研究活動についての報告があった。
〇今回は鈴木会員の呼びかけの下、9名の女性合唱団が結成され、滝川会員のハーモニカ伴奏で、
「瀬戸の花嫁」「早春賦」「ふるさと」をリードし、全員で合唱しました。「故郷」を大切にする気持ちでを、
新たにした一幕でした。

【万歳三唱・閉会】
遠藤会員の元気なリードで、本会の一層の発展を祈って万歳三唱し、閉会した。
 ◇
昨年と同様、中国料理「彩雅」をお借りしての新年祝賀会は、お店側の施設・設備ならびにご協力で、
スムーズに行うことができた。この日は、各所の新年会が重なったようで、予定の順番でスピーチ
いただけなかった方もいるが、全体として楽しく新年の初めの時間が過ごせて良かったと思う。
来賓の方々にはお忙しいところ最後までご同席下さり、ありがとうございました。また、会員も
お互いに親交を深めることができたと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
ご協力ありがとうございました。

息子の手料理 2/7

今日は,おでん。
いつもと違うのは,ナルトをいれたところかな。
だって,あんかけ焼きそばのあまりが半分あったから,
ええいっ,おでんにも入れちゃえ!
という訳でした。

Img_0298


心配事の96パーセントは起こらない,または防げる

アメリカでの調査と書いてあったが,
心配事の80%は実際には起こらないし,
準備しておけば残りの16%も防ぐことができるそうだ。

私は心配性なものなので,ついつい心配して悩み,
そのくせ準備も中途半端に終わっている。

悩んでいる暇があったら,準備して%を減らそう。
4%にまで減らせるなら,相当安心だもの。(o^-^o)

ここ数日の気温の急降下

今天気予報を見て,びっくり。

今日・・・17℃ sun

明日・・・10℃ cloud

明後日・・・4℃rainsnow

この3日で,13℃の気温の急降下があるという。

そういえば,明後日はあいせだライブの日。
「あいせだ★ラジオ」でも,寒くなるって言っていたなあ。

※ それが終わると,来週は平年並み、(10℃いかない日々)

スサノオは高天原も制圧

河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の読書が続いているが,
昨日読んだところの話を紹介しよう。

古志(越)からの独立運動に成功した出雲・伯耆のスサノオは,
彼らと同盟していた北九州のイザナギや天照たちを襲い,制圧する。
イザナギ(吉武高木に関係が深いようだ)は死に、天照も壱岐・対馬に逃れる。
壱岐では田を荒らし,神聖な場所も汚す。
対馬では,天の岩戸の隠れるものの,追っ手は厳しく,
とうとう見つけ出されてしまう。

天照とスサノオが姉弟という記紀の設定は,まったく違っていた。
違う王朝のリーダーだったのである。w(゚o゚)w

筑後国府パンフとⅠ政庁地区の図

川瀬さんの指摘された、筑後国府のパンフとより古い地区の図を載せます。
これも東偏ですね。

筑後国府のパンフ

https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1060manabi/2050bunkazai/3010bunkazai/files/2011-0119-1342.pdf#search=%27https%3A%2F%2Fwww.city.kurume.fukuoka.jp%2F1060manabi%2F2050bunkazai%2F3010bunkazai%2Ffiles%2F201101191342.pdf%27


筑後国府Ⅰ政庁地区

http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m102922-80052/up-1.jpg

「郷土研だより」2月号の原稿

平成31年度 新年祝賀会の開催報告

秋津町 肥沼 孝治

日時 平成31年1月20日(日) 12時30分~14時50分
会場 中国料理「彩雅」 参会者 31名

新年祝賀会は、小池副会長の司会により定刻に開始された。

【大井会長の挨拶】(要旨)
〇多くの来賓の皆様のご援助とご協力に感謝申し上げます。「郷土を語る会」をきっかけに、
昭和45年にスタートした郷土研も、来年が50周年となります。現在100名近くの会員がおり,
10年ごとに作られてきた記念誌も、5冊目を作る時期となりました。過去を知り,未来を切り
開くために、どうぞお力添えを下さい。

【来賓祝辞】
 渡部尚市長・伊藤眞一市議会議長・野崎満教育部長の三氏より
〇多くの方が集まり、郷土について研究し、記録されていることに、感謝と敬意を表します。
今年5月に元号が変わり、来年はラグビーのW杯が開催され、2年後には東京五輪が開かれる。
東村山市も55年。皆さんと共に明るい未来を切り開いていける年にしたい。
〇旧5か村が合併して130年。市になって50年。当時は5万人で市になれたが、今は15万人と
なった。大事なお仕事をされていると思っている。
〇毎号「郷土研だより」を楽しみにしている。今後もよろしくお願いします。

【参会された来賓等の紹介】(会長より)
市長・渡部尚氏、市議会議長・伊藤眞一氏、市議会副議長・小町明夫氏、市議会生活文化委員長・
石橋博氏、教育部長・野崎満氏、ふるさと歴史館長・中澤信也氏、元ふるさと歴史館長・山﨑泰子氏、
賛助会員・髙山博之氏、元本会会長・日笠山正治氏の9名。

【祝宴】
石橋市議会生活文教部長のご発声で,本会の発展と参会者の健康を祈り乾杯し、会食・懇談した。
ここで司会は、内海副会長に交代した。

【スピーチ・余興】
〇お招きした方々全員から、郷土研に対する激励を頂戴しました。ありがとうございました。
〇髙山元副会長から、「ここ4、5年の郷土研の研究は素晴らしい。ぜひ「東村山市の『市史研究』に
載せたい」と発言があり、また日笠山元会長からも、「今年で90歳になりますが、まだまだ頑張って
いきたいと思います」と激励をいただいた。
〇小池副会長の「慶春」の書の紹介があった。
〇新入会された肥沼・當間実両会員の抱負、小山会員からの研究活動についての報告があった。
〇今回は鈴木会員の呼びかけの下、9名の女性合唱団が結成され、滝川会員のハーモニカ伴奏で、
「瀬戸の花嫁」「早春賦」「ふるさと」をリードし、全員で合唱しました。「故郷」を大切にする気持ちでを、
新たにした一幕でした。

【万歳三唱・閉会】
遠藤会員の元気なリードで、本会の一層の発展を祈って万歳三唱し、閉会した。
 ◇
昨年と同様、中国料理「彩雅」をお借りしての新年祝賀会は、お店側の施設・設備ならびにご協力で、
スムーズに行うことができた。この日は、各所の新年会が重なったようで、予定の順番でスピーチ
いただけなかった方もいるが、全体として楽しく新年の初めの時間が過ごせて良かったと思う。
来賓の方々にはお忙しいところ最後までご同席下さり、ありがとうございました。また、会員も
お互いに親交を深めることができたと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
ご協力ありがとうございました。

2019年2月 6日 (水)

東山道の記事(下野編)

高崎サークルの日に,板橋さんから教えていただきました。
「久保公園」は私も寄ったことがあります。

Img_0287


1月後半のアクセス数

もう2月に入って何日も過ぎてしまいましたが,
前に載せた「1月前半のアクセス数」の続きです。
後半は,ものすごくアクセスしていただけました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       検索  延べ  実質
    
1/16(水)  586  208   170
1/17(木)  614  219   170
1/18(金)  451  183   149
1/19(土)  430  218   170
1/20(日)  376  223   183

1/21(月)  475  245   206
1/22(火)  518  228   178
1/23(水)  576  246   190
1/24(木)  636  268   218
1/25(金)  557  214   168

1/26(土)  727  403   350 → 「ボヘミアン・ラプソディー」
1/27(日)  540  227   181
1/28(月)  536  191   146
1/29(火)  504  176   133
130(水)   482  211   169
1/31(木)  439  176   135

さすがに,クイーンの力は絶大でした。
あと,月の写真や古代史論争もあり。

「九九」を苦手と感じている大人は意外におおい? 10本の指で即座に9の段を攻略も

私はなんとか「九九」のハードルは乗り越えた。
だが,先生の前にできた列に並んで,
暗記した九九を言えるようにドキドキした時間を過ごした。

九九が通しで言えた時,私は「うれしかった」というより,
「もうこのドキドキした時間を過ごさなくていい」という気持ちになった。

仮説の板倉さんも九九は苦手だったと聞いたことがある。
そんな九九。あなたはどんな思い出がありますか?

「九九」苦手と感じている大人は意外におおい? 10本の指で即座に9の段を攻略もを

https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20161991276/

筑後国府の「先行官衙領域」は東偏

筑後国府は,東偏がないのかと思っていたら,
「先行官衙領域」というのが東部にあって,
そこからは東偏がたくさん出ているようです。

Photo_4

Photo_5

Photo_8

Photo_9

Photo_10


美濃国府も「東偏」

東山道沿いの国分(府)寺にも東偏が多いので,
国府もその可能性ありと思い,美濃国府のデータを見てみた。

Photo

Photo_2

Photo_3

3番目の図には,ご丁寧に角度も書いてありました。「東偏3度」とのことです。

「天覧山」の新酒

昨日は,バタバタ動き回ったあげく,
最後は房yaで呑むことにした。

ランチにはよく寄るのだが,昨日は夜だったので,
マスターもYさんもうれしがってくれた。
ということで,特別に「天覧山」の新酒を呑めることになった。

Img_0285


スサノオの二面性

河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の読書が続いているが,
昨日読んだところの話を紹介しよう。

出雲神話にはスサノオが登場し,英雄的な働き(八岐大蛇の退治)をする一方,
高天原での乱暴狼藉(とても書くにしのびない)は言語道断である。
このスサノオの二面性がなかなか理解できないところだ。
皆さんは,いかがでしょうか?
これを河村氏は,こう解いた。

(1) 自分たちの支配者であった古志(越)国に対する「独立戦争」のヒーローとしてのスサノオ(〇)

(2) 九州王朝にとっては,許しがたい支配者(出雲・因幡)としてのスサノオ(×)

つまり,支配した順番で言うと,①古志(越)→②出雲・因幡→➂九州王朝→④近畿王朝ということになり,
②の人物であるスサノオは,①から独立した時点では②の「ヒーロー」であり,
その後に支配者になった時点では,➂にとっては許しがたい支配者に映る,ということらしい。

確かにスサノオの二面性について,そう考えるとわかりやすい。


「ヒーロー扱い、父は嫌った」-アポロ11号船長の次男

最近月の写真を「夢ブログ」に載せているが,
月といえば米国のアポロ計画があり,
子どもの頃「月の石」にあこがれた。

月面に立ったアームストロング船長の姿と彼の言った言葉は,
今でも心の中に輝いている。
そんな映画がもうすぐ観られる。(o^-^o)

「ファースト・マン」2月8日に公開!

「ヒーロー扱い、父は嫌った」-アポロ11号船長の次男

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/「ヒーロー扱い、父は嫌った」-アポロ%EF%BC%91%EF%BC%91号船長の次男/ar-BBTbPwK?li=BBfTjut&ocid=spartandhp#page=2

2019年2月 5日 (火)

皆様へ

夢ブログは再開しました。
メールはまだなので,お急ぎの連絡はコメントをご利用下さい。
(表には出しませんので)

息子の手料理 2/5

いつもと変わらぬ鍋物に見えるが,
味と肉と野菜が違うんだな。

味・・・珍しく味噌味スープにした

肉・・・高めのロース(ただし,半額セール)

野菜・・・ごぼうの削いだやつが入っている

ということで,「変わり鍋」でした。(o^-^o)

146


あなたの近くに危険はある!

先日台所のコンセントに異常を発見し,
あわてて新しいものに取り替えた。

147

考えてみると台所は,冷蔵庫・電子レンジ・IH調理器・
オーブン・電気ストーブ・電気釜と,
すごく電気を使う場所なのであった。

あなたの近くに危険はある!(。>0<。)

社会の科学における「同定」

自然科学では,「物質の同定」という方法があって,
たとえば,「石灰水に溶かすと白くにごるのは,二酸化炭素だけ」みたいに判定する。

同定

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%AE%9A#どの階層まで確実か

社会の科学ではそういうことは言わないのだと思うが,
例の「九州王朝の東偏→正方位→近畿王朝のサイズアップした正方位」は,
けっこうその線で行けるのではないかと考えている。

私ももういくつか例を出したいと思っているが,ご協力いただければありがたい。
とりあえず,東山道などの官衙遺跡から・・・。

「下野国府ー1,300年前の県庁ー」の東山道ルート

川瀬さんがコメントで紹介されていた上記のパンフをリンクしてみた。
東偏の推定地D(木下良さんの『国府』掲載)に目もくれず,
南側をスルーして,その後東進。
いかにも近畿王朝が作りそうなコースです。

私は東偏のD推定地の真ん中を通り,本国分寺に至る道が,
もともとの東山道だったのではないかと考えます。

「下野国府ー1,300年前の県庁ー」

http://www.maibun.or.jp/newsPDF/20120821.pdf#search=%27http%3A%2F%2Fwww.maibun.or.jp%2FnewsPDF%2F20120821.pdf%27

2019年2月 4日 (月)

泉官衙遺跡と「下野国府(都賀評衙)」の類似点について

私が「泉官衙遺跡の遺構変遷図に,2つの王朝の「栄枯盛衰」を見た!」を
10月6日に書いてから,約4か月が経った。
その間いろいろなことに取り組んできたが,いつも頭の片隅にあったのは,
泉官衙遺跡と似た遺跡を見つけ出すことだった。

Dscn4804

九州王朝の東偏 → 正方位 → 滅亡 → 近畿王朝のサイズアップした正方位 → 律令の衰え
などという,細かな歴史の変遷など,そう簡単に見つからないかもしれないと思いつつも,あきらめなかった。
そして,やはり歴史は「地下の方位」に刻まれていたのだった。

Img_0172

上図の推定値Dの東偏と下図の4つの変遷は,まさしく泉官衙遺跡の変遷をなぞる,
「2つの王朝の「栄枯盛衰」を示すもの」だと考える。

115


金星と木星に続いて出るのは・・・

新聞の「月の出」「日の出」の時間を見たら,
いつの間にか「日の出」が先になっていた。
夜明け前の金星と木星に続いて出るのは太陽で,
その後に遅れて出てくる月は「新月(見えない)」に近く,撮りようがない。

しかし,そこでハタと気がついた。
下弦の月が終わったからには,今度は上弦の月に変わる。
最初は細い月moon3だが,やがて半月moon2となり,
最後に満月fullmoonとなるのである。
そして,その2月20日は,今年は最大のスーパームーンなのだ。ヽ(´▽`)/

先月高性能のデジカメ(と言っても2万5000円)を買ったのも,
1月の満月(今年№2)から2月の満月(今年№1)への変化を記録するためと思えば,
決して高い買い物とはいえないだろう。

144

今年№1のスーパームーンをとった後,私の題材は「富士山」へと変わる。
先日武蔵浦和から撮った富士山の美しさを見ていただけただろうか。
月と同じく富士山も,全国の多くの都県で見ることができる。
俵万智の「サラダ記念日」ではないが,毎日が「富士山記念日」なのだから。

121


「トナリ」で隣りに・・・

昨日新所沢の房yaでランチをしようと立ち寄ったら,
「都合によりランチはお休み」とのこと。
ということで,10年ぶりくらいに,
レストラン「トナリ」へ行くことにした。

このレストランはご夫婦でやっていて,
私はそこから数十mの公団住宅に住んでいた。
私が新任の頃お店を開いていたくらいだから,
40年近くのお付き合いということになるだろうか。
本当に久しぶりの再会だった。
(近所に勤務したK中があったので,それくらい) 

その店で,房yaで時々お会いする女性にばったり会った。
しかも,ちょうど隣りの席が空いていたので,
「トナリで隣りになる」という駄洒落のような出会いである。(笑) 

ちょうどエキストラに関係する資料をお貸ししていたので,
そのことから話が始まり,家族や介護の話にまで進んでしまい,
お店には申し訳なかったが,楽しい時間を過ごせた。

ぜひ「夢ブログ」を見て下さい,と言っておいたので,
もしかしたらご覧になっているかもしれません。
今後ともよろしくお願い致します。m●m

139

PS 昨日は二人とも「チキンライス」を注文していた。

ピーターパンJr.

ピーターパンJr.というグループを知っているだろうか?
私はこれまで知らなかった。
昨日新所沢から自宅へ戻る時,イオン所沢店の前で歌っていた。
みんな声が高くて,きれいにハモっていた。
女性ファンが90%以上を占めていた。(o^-^o)

142

140


2019年2月 3日 (日)

高崎サークルの前に

私はいつも,JR武蔵野線・埼京線・高崎線と乗り継いで,
高崎駅に向かう。
その際の,2枚の写真を見ていただこう。

(1) 武蔵浦和駅から遠望した富士山・・・デジカメの望遠は,月だけでなく富士山にも有効です。

121

(2) 刺身定食・・・なぜか高崎サークルの日には,これを注文したくなっちゃうんです。何でだろう?

122


高崎サークル 2019年2月

昨日は,上記の例会に参加した。
参加者は,峯岸さん,品川さん,吉江さん,伴野さん,高畠さん,市原さん,北村さん,森さん,
 花岡(麻)さん,花岡(陽さん),永島さん,田村さん,新井さん,板橋さん,星野さん,肥沼さんの16名。
資料は,私のカウントでは,30点だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スタート講演は,初参加の高畠さん。介護の仕事から教職に転じた方で,
そのパワフルなしゃべり方とともに,仮説実験授業とたのしい授業を大切にしている。
初参加ということで「自己紹介」が長くなったが,子どもたちとの関係も良好で,
「いいと思ったものは取り入れる」という生き方も素晴らしい。

だいたい1時間ということで,ケーキその他のもぐもぐタイム。
今回も忘れず,撮りました。写真での「おすそ分け」をどうぞ。
それとは別に,田村さんがパスタを油で揚げたスナックを提供して下さいました。

以下,ほぼ資料の順番で紹介していきましょう。

【資料一覧】

(1) 高畠さん~『たの授』2013年4月号掲載「お金をもらう仕事にお金をかける?!」前職の介護との違いなど
(2) 高畠さん~たのしい教師の1日(batake.ver)・・・このシリーズは好評ですね。真似しやすいのかも
(3) 高畠さん~「謝ってください」・・・子どもたちの気持ちがわかる時
(4) 高畠さん~書くことが嫌いないっちゃんが教えてくれたこと
(5) 高畠さん~子どものキモチを考える・・・けっこう高畠さんの「得意分野」かも。ぜひシリーズで!
(6) 高畠さん~学年主任もたのしくーたのしいことが基本ってすごいなぁー

(7) 峯岸さん~高崎サークル2018年度・データ問題集・・・みんなで予想しながら進めました
(8) 峯岸さん~続・サークルの言葉2019ーこの1年間の成果はー
(9) 品川さん~予想以上に順調な6周年!!(品川賞は,峯岸さん)

(10) 伴野さん~TAKASAKI TOKIDOKI LIFE・・・扇野さんの文体を真似しているんだけど,伴野さんの個性が出てしまう。まるで仮説みたいだ
(11) 肥沼さん~月間「仮説新聞」1月号・・・峯岸さんの新著紹介。分子模型とGDPボックス,月の写真など
(12) 北村さん~皿回しに挑戦しました・・・サイエンスクラブの活動に取り入れ,大好評

(13) 峯岸さん~2つのビー玉をゴムでつなげて遊ぶおもちゃの紹介。床が滑りすぎたかも
(14) 峯岸さん紹介~滝本さんのガリ本『よちよちスイマーの教わった水泳指導のへそ』
(15) 峯岸さん紹介~同「中級編」
(16) 峯岸さん紹介~佐竹さんのガリ本『僕の時間ー「たのしい授業」を優先する「時間」の使い方ー』
(17) 峯岸さん紹介~自著『たのしい跳び箱運動への道』(オレンジ資料館)・・・ぜひ鉄棒を入れて三部作に

(18) 花岡(麻)さん~小学生と一茶の俳句を楽しむ・・・昨日は,ご夫婦での参加でしたね
(19) 板橋さん~英語について語る前書きの言葉・・・小学校で学ぶためか,中学での英語の人気は下落中
(20) 板橋さん~英語のアルファベットの名前とその発音の秘訣・・・破裂音を出すのがたのしくなる方法は?

(21) 市原さん~校長先生の書いた「授業観察」の記録・・・こんなことしてくれるの!?
(22) 市原さん紹介~「「うそ」って,なんだろう」をやるための資料
(23) 市原さん紹介~上記の資料・ワークシート
(24) 市原さん~上記の内容の学級通信「わくわく3組」(小1)・・・年代により,「うそ」の内容は変わってくるよね
(25) 市原さん~勤務実態調査の結果について・・・あまりにも疲れていると,たのしい授業から遠ざかるなあ

(26) 永島さん~安政遠足(あんせいとおあし)のウィキペディア。安中市で,5月の第2日曜日に開催
(27) 永島さん紹介~映画「まらそん侍」(1956年)の紹介
(28) 永島さん~1月例会のDVD

(29) 品川さん~「楽しいことに気持ちを集中させて学校生活をする」・・・時には妥協も大切だろう。《もしも原子が見えたなら》の感想
(30) ? ~「かるた de ビンゴ」の印刷原稿・・・どなたのでしたっけ?

【サークル風景】

132

133

131

134

130

136


綿貫・観音山古墳付近の発掘現場

高崎サークルの行われた青年センターの近くには,
未盗掘で豪華な副葬品の出土した綿貫・観音山古墳がある。
昨日車で古墳の西側を通った時,発掘しているようだったので,
青年センターに荷物を置いた後行ってみた。

123

125

126
128

127

129

3月末まで発掘をやるそうなので,3月例会(9日)の時も見られそうだ。
1月は6日が例会(多元的「府中」「国分寺」を歩くと重なって行けず)には,
まだ試掘だったと思われるので,実質2回でお得な見学が出来る!

2019年2月 2日 (土)

関東地方を股にかけて・・・

一昨日は栃木県の下野国・古代史の旅。
本日は群馬県の高崎サークルと,
お迎えお願いします。メールができないので「夢ブログ」で書いています) (。>0<。)
関東地方を股にかけて動き回る肥さんです。

今日はどんなたのしさに出会えるか,
どんなたのしさを提供できるか。
毎日がたのしみです。 (o^-^o)

昨年最下位の楽天はどこまで復活できるか

元・楽天イーグルスの選手だった礒部公一氏が,上記の話題について語ります。
本日は,野手についてです。


昨年最下位の楽天はどこまで復活できるか

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190202-00263649-toyo-soci

府中市役所遺跡 (7)

070

砂利層が出たので,江戸時代までで終わりかな?

一匹ぼっち

このところ「良野」が姿を見せない。
「野良」も心なしか寂しそう。
一人ぼっち,じゃなくて一匹ぼっちの「野良」。

105


今朝の月 2/2

午前5時ごろです。

月・金星・木星をまず撮ってから,
細くなった月にチャレンジしてみました。

117

写真をクリックすると,拡大します。

118_3

119

2019年2月 1日 (金)

祝 140万アクセス達成!

ありがとうございます!
おかげさまで,140万アクセスを達成することができました。

さらに次の段階(年内の150万アクセス)をめざしますので,
今後ともよろしくお願い致します!happy01

下野国・古代史の旅 2019

木下良著『国衙』(教育社・歴史新書)に東偏の官衙候補Dを見出した私は,
九州王朝の痕跡を求めて栃木県へと旅立った。

「犬も歩けば棒にあたる」というが,私は還暦なのでちょうど「戌年うまれ」。
昨日は長距離を考慮して,一日300円の観光用自転車を借りた。宇都宮線の自治医大駅下車。

前回は,下野薬師寺のことが中心だったが,今回は下野国府(あるいは都賀評衙)が中心である。
さあ,何か収穫はあっただろうか?

115

(1) 下野国府跡資料館に,「サイズアップ」の変遷資料と展示あり

正殿は上に「宮野辺神社(宮目神社)」が乗っかっているため未発掘なのだが,
その南の前殿は発掘されている。それによると,Ⅰ~Ⅳ期に層が分類され,(↑上の資料参照)
ⅠとⅡが小さめのもの,ⅢとⅣがサイズアップされた大き目のものなのだ。
しかも,堀が二重になったり,礎石の上に柱が立てられたりと工法も違う。
これに東偏のD候補地のものを先頭に付け加えると,まるで泉官衙遺跡の変遷と瓜二つにならないか。
私はつくづく発掘し記録することの大切さを感謝せずにはいられなかった。
残念ながらこの遺跡は,東偏のものと正方位のものが違う土地に作られていて,
泉官衙遺跡のようにすっきり行かないが,D候補地の地下には東偏の建物の穴が埋まっていると信じる。
(サイズもⅠ期と同じで)

(2) 大宮神社の規模の大きさ

D候補地の北・には,信仰の中心・大宮神社である。
一番南方の鳥居から本殿までなんと300m以上あり,
どちらかといえばさえない感じの本殿とあまりにも不釣合いだ。
きっとかつては300m四方の境内をもつ大きな神社ではなかったかと想像される。
なお,創建年代はわからないとのこと。

(3) 印役神社としての日枝神社

さらに大宮神社の北1キロ行くと,日枝神社があった。カッコして(印役神社)と書いてある。
印と鍵のことで,これも重要な国府候補地の証拠である。
その神社が他の候補地より最も近い東偏のD候補地近くにあることが九州王朝の傍証であると思う。
こちらも,創建年代はわからない。

位置関係

印役神社=日枝神社

  ↑ 北1キロほど

大宮神社

  ↑ 道路を挟んですぐ北

東偏の候補地D

今夜の月 2/1

月の出が3時ぐらいなのか,太陽に追いつかれそうになって来た。
しかも欠ける割合が大きいせいで暗くなり,
自動焦点がうまく働かない。
山のようなピンボケのなかで,なんとか更新します。
「月と金星と木星」です。

114


« 2019年1月 | トップページ

2019年2月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ