影向寺(ようごうじ)
横浜の読書会で,名前が出た影向寺。
「評」が刻まれた瓦が出土して,多元的古代の会の方たちと
かなり前に川崎の博物館まで見学に行った記憶がある。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000861.html
本文字瓦の出土で明らかになったことは、7世紀後半の橘樹評における寺院建立に際し、隣接する荏原評から平瓦が搬入されていた事実である。橘樹評という1行政区画ではなく、広く武蔵国南部の評から協力・支援を得て、影向寺が創建されたのである。つまり影向寺は、橘樹評に居住していた有力氏族が自らの財力だけで建立したというような性格の寺院ではないといえる。したがって影向寺の考察においては、行政的側面や仏教における知識的要素を考慮する必要が生じることになった。こうした重要な事実を示した本文字瓦は、古代南武蔵の歴史を知る上で極めて重要であり、考古学ばかりか、歴史学・宗教史・文化史・建築史上、価値の高い資料である。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000078.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/影向寺#創建_-_発展期
http://yougouji.org/origin/index.html
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%BD%B1%E5%90%91%E5%AF%BA%E9%81%BA%E8%B7%A1
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