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2019年1月12日 (土)

府中研究会 1/11

昨日は,国府の移動を中心に話し合われた。

【一元史観】 最初から最後まで近畿王朝が,例の「国府」を置いた。
 ただし,奈良時代と平安時代では,「国司館」の位置は変わった。

【私たち】 大きく見て,3段階に国府が移動した。(相模国府の移動の例あり)

〈飛鳥時代〉 无耶志国府寺の南側に国府が置かれ,国府館も東山道沿い。僧寺と尼寺の間に官庁街。 
九州王朝  多磨評衙が今の「国府」のところにあり,旧甲州街道沿い。郡寺は多磨寺。

〈奈良時代〉 何らかの事故・事件(焦土から見て火災か)があって,多磨評衙が国府を兼ねる事態になる。
近畿王朝  国司館も府中本町駅の東側に移動。4棟が展示されている。3面庇あり。先日多元の会をご案内。

〈平安時代〉 西に国府(クルル鉤の使用)が移動する。国司館も庇をたくさん使用してかなり立派そう。
近畿王朝  ただし,現在は府中本町駅の西側のマンションの下に埋め戻されている。

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その他の話題としては,以下のようなものが出ていた。

・国司といっても,守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)という違いがあり,「舘」という
朱墨土器だけでは判明しない。

・多摩川方面への街づくりは,崖線があるので期待できない。それで旧甲州街道沿いに
役所や屋敷が集中したのではないか。

・御殿山の奈良時代の「国司館」の敷地の中に,もっと古い時代の東偏の掘立建物跡あり。

・磁北・真北の年代判定は,ばらばらであり,1990年代で分けられると考えない方がいい。

・塔2の方位も塔1とほぼ同じ。あるいは.東山道や尼寺(東偏2度)に合わせたか。(金堂以下は,西偏7度)

・夏目漱石の成績表の新聞記事(川瀬さんが資料提供)~旧制一高時代の論理学がトップ(80点と90点)。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 昨日は長時間お疲れ様でした。
 御殿山の国司館遺跡にみつけた東偏建物の方位を測るのを忘れました。図面をコピーされていたとおもうので、方位と角度を測っておいてください。
 現在の国衙遺跡にある東偏の建物や多摩寺周辺の東偏の建物と較べてみたいです。

追伸
 漱石の成績の件。「倫理学」ではなくて「論理学」です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 漱石の成績の件。「倫理学」ではなくて「論理学」です。

失礼しました。さっそく訂正します。

〉 東偏建物の方位

東偏65度でした。

〉 東偏建物の方位
東偏65度でした。

 65度ですか。やはり江戸時代の遺構なのかな? 府中の古代の東偏の建物は東偏5度か15度ですからね。
 御殿山の遺跡の中で同じく東偏の建物で、鉄滓とともに出てきた銅製の道具。どうみてもろうそく立。形状からして長押にはまるように金具がついているか、柱に突き刺さるような金具がついている形状。ろうそくの歴史は古くて中国ではすでに戦国時代には存在するから、仏教公伝とともに日本に入っている可能性はある。文献では奈良時代からしか確認できないが。
 長押は中世までは建物の構造材(柱を連結する)だったが近世には装飾になり特別の格式の家に用いられた。
 もしこの銅製のろうそく立が長押にはめる形式なら、どうみても江戸時代だ。
 御殿山遺跡には奈良時代の正方位に先行する遺構はないということかな?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

確かに東偏でそれだけ大きい方位なら江戸時代かもしれないですね。
でも,「頭の片隅」には置いておくことにしましょう。

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