多元的古代の解明のために
九州王朝が7世紀末まで存在していたことは,すでに古田武彦氏によって
初期三部作(『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』
『盗まれた神話』)で明らかにされたと思う。
特に『「邪馬台国」はなかった』と『失われた九州王朝』は,
外国正史を駆使し,客観的に日本列島の古代の姿を教えてくれた。
私たちは,その上に立って,さらに詳しく解明していく必要があるだろう。
その際,どんなことを扱っていけばいいか,
もちろん浅学の私が書くのは役者不足ではあるが,
そのイメージ作りの「踏み石」の一つくらいは書いておきたい。
(1) 『日本書記』『続日本紀』などの文献史料の解明~単なる解釈ではなく,読み解くルールの発見も含め
(2)考古学知見の統一~土器編年の努力を認めつつ,その後の自然科学的技術との整合性など
年輪年代法・C14による年代測定法・DNA判定・金属の含有量分析による産地特定など
(1)については,川瀬さんの「主語有無」の論証がこれから期待される。
(2)については,私と川瀬さんによる「方位の考古学」に期待してほしい。
また,ONラインについては,もう証明されたといっていい事実だと考えるので,
7世紀末まで九州王朝が主権者の時代,8世紀初頭からは近畿王朝の主権者の時代と,
スパッと切って考えていきたいと考える。(評と郡,九州年号と近畿年号,大極殿の有無等)
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