地表に窪み「竪穴住居跡」北海道2万3千軒確認
この記事には縄文時代の気候について書かれていないのが残念。
縄文時代は今より温暖で,関東から東北・北海道にかけてと信州で縄文文化が栄えたのですね。
寒冷と思われるこれらの地方が栄えたということは,当時は「過ごしやすい気候」だったと考えるべき。
人間は今とは違った状況を考えにくいということかな?
(そういえば,今から50年前の夏の気温はせいぜい30数℃。
冬は霜柱と氷が毎日のように出来ていたのを思い出しました)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/地表に窪み「竪穴住居跡」北海道2万3千軒確認%ef%bc%9%ef%bc%9/ar-BBS2UgS?ocid=spartandhp#page=2
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肥沼さんへ
興味深い記事ですね。
どうやら対象となる時代は紀元後2世紀から12世紀の間らしいですね。
この時代の北海道の気候はどうか。
この問題は温暖化と寒冷化の周期が1500年だということを参考にするとわかります。
2019年の今は1000年ほど続いた寒冷期が19世紀後半におわり、そこから200年ほどの温暖化の時期の最後の段かい。つまり21世紀の後半に温暖化は終わり、そこから1000年間は寒冷期に比べれば年平均で1.5度気温の高い温暖期が続く。この時期には北極海の氷は解け、グリーランドは文字通りのグリーランド、つまり緑の草原になります。
これを時計の針を戻してみましょう。
前の寒冷期は19世紀後半からその前の1000年間ほど。つまり9世紀後半から寒冷期となった。その前200年ほどかけて寒冷化したのだから、寒冷化の始まりは7世紀だ。そしてその前の1000年間はこれから始まる1000年間と同じく温暖な時期。つまり紀元前3世紀ごろが始まりだ。その前の200年かけて温暖化が続いたのだから、この温暖化の始まりは紀元前5世紀。その前の1000年間は寒冷期だったわけだから、紀元前15世紀ごろは寒冷期の始まりだったわけだ。
ということは日本における弥生時代は最近では紀元前8世紀と言われているわけだから、寒冷期の中ごろから始まったということだね。だから縄文期の最後は寒冷期だったわけだ。
と考えてくると、
日本列島で一番北の北海道の紀元後2世紀とは、縄文時代に続く、とても温暖な時期であったわけだ。そして7世紀から寒冷化が進すみその底が9世紀後半ということは、いま話題になっている北海道の竪穴住居は、最初の温暖な500年に続いて200年の寒冷化の時期が続き、そのあと寒冷な時期が300年ぐらい続いたという、気候の変化の激しい時期だったということになりますね。
投稿: 川瀬 | 2019年1月12日 (土) 00:32
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
寒冷化に伴って,土器の形式が替わるように思えました。
生物は温暖化より,寒冷化に生命の危機を感じるのでしょうか。
そもそも竪穴式住居は,半地下のために,
夏の暑さと冬の寒さと両方に有効なように思います。
(今でいえば,冷暖房兼用エアコンのように)
投稿: 肥さん | 2019年1月12日 (土) 03:37