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2019年1月31日 (木)

府中研究会 1/30

昨日も,「ふるさと府中歴史館」にて
川瀬さんと研究会をした。

まず,朝アップした「下野国府(国庁)」の件について,
常陸風土記によると,そもそも「下野国」がいつできた時期が疑問で,
毛野国の「下野評衙」というのがいいところではないか,ということであった。
私としては「下野国衙(国庁)」を主張したいわけではなく,
九州王朝の官衙の証拠が「東偏の官衙跡」な訳で,雅十分満足な結果であった。
(現在の「武蔵国庁」の地下にあるであろう東偏のムサシ評衙に対応するか)

それにしても,木下良著『国衙』(教育社・歴史新書)のP73の地図には,
国府連想用語がたくさん載っていて楽しい。

大宮・印役・古国府・国府・総社・府中・・・地名自体が年表のようだ

私は,D(大宮・印役)→A(宮野辺神社・古国府)→B(総社)→E(府中)と移動していき,
最初のD(東偏)とA(正方位)を九州王朝の評衙や国衙と考えている。

久々に東偏官衙に出会え,「東偏・僕」肥さんとしては嬉しいです。

ちなみに,この地図の中には,「本国分」という地名があって,
それが東偏の地区と同じ「旧東山道」に沿っている。
「九州王朝が建てた国府寺がそこにあった!」と言っているような地名である。
(伊勢神宮に対して「元伊勢」を名乗る神社がある)

Img_0172

その他のことは,箇条書き風に・・・

・九州王朝説は,中国正史で証明されたものなので,反論できないものである。
・古田さんのマネをしてもだめで,方法論を学ばなければいけない。
・古田史学の各論者の特徴と評価。(内緒)
・評制についても,三段階くらいがあるのではないか。九州の近畿→直轄地・屯倉→全国など
・今後の古田史学の会はどうなるか?

発掘報告書の読書中に,川瀬さんが,
旧甲州街道に面していた「武蔵国府」の北門が東偏している!
もしかしたら,本体も?という事例に出くわした。
そこで,閉館時間。続きは又ということになった。

府中本町駅構内の喫茶店で,コーヒー&ケーキの会。
河村日下著『記紀神話の真実』(ミネルヴァ書房)の話。
九州年号(法興,朱鳥)の話など。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

>毛野国の「下野評衙」というのがいいところではないか,ということであった。

 ただしくは、この国府遺跡群があるところは、下野国都賀郡ですので、「都賀評衙」でしょうね。

肥沼さんへ・追伸

いくつか間違いがあります。
>(現在の「武蔵国庁」の地下にあるであろう東偏のムサシ評衙に対応するか)
 誤:ムサシ評衙⇒正:タマ評衙

>誤:古田さんのマネをしてもだめで,方法論を学ばなければいけない。
 正:古田さんの表面的なマネをしてもだめで、方法論とその方法をとる意味を学ばなければいけない。

>・評制についても,三段階くらいがあるのではないか。
 誤:九州の近畿→直轄地・屯倉→全国など ⇒正:九州王朝屯倉⇒九州王朝畿内⇒全国

追伸:やっと奈良文化財研究所のデータベースが再開しましたね。愛知県の官衙遺跡の残りの部分を再検証しておきました。愛知県の官衙遺跡の集計をしたら、福井県に行きましょう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  ただしくは、この国府遺跡群があるところは、下野国都賀郡ですので、「都賀評衙」でしょうね。

ということは,例の南相馬郡の泉官衙遺跡と同じレベルで考えていいでしょうか。
つまり東偏→正方位と九州王朝が進み,その後近畿王朝のサイズアップした正方位→律令制度の
衰えとともに廃れていく,という変遷ですが・・・。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 いくつか間違いがあります。

一応メモを取っているのですが,テープに録音して起こすというのは大仕事なので,
ご勘弁下さい。

〉 追伸:やっと奈良文化財研究所のデータベースが再開しましたね。

直りましたか・・・。それはよかったです。
ところが,それとバトンタッチするように
私のパソコンが起動してくれなくなりました。(涙)
今インターネット・カフェからの更新・メール返信をしています。
直り次第取り組みます。

肥沼さんへ

>〉  ただしくは、この国府遺跡群があるところは、下野国都賀郡ですので、「都賀評衙」でしょうね。
ということは,例の南相馬郡の泉官衙遺跡と同じレベルで考えていいでしょうか。
つまり東偏→正方位と九州王朝が進み,その後近畿王朝のサイズアップした正方位→律令制度の
衰えとともに廃れていく,という変遷ですが・・・。

 はい。そう考えて良いと思います。

追伸:肥沼さんのパソコンはしばしばおかしくなりますね。操作ミスであればすぐ原因がわかって使えると思いますが。ノートを常用するとこういうことが起こるのだと思います。家を片付けてデスクトップを置くことも考えてみてください。

肥沼さんへ・追伸

 「方位の考古学」のための全国遺跡悉皆調査ですが、ちょっと方針を変更したい。
 今までは近畿とその周辺をやったら九州に移り、九州王朝の畿内をやったら、順次街道にそって(東山道・北陸道・東海道)東に進み、最後に南海道をやって終ろうと考えていました。
 でもこれだと、近畿を中心にして、通説で瓦や土器編年がどう移動されているかをかんがえることができない。
 これまでの検討で、畿内五か国と紀・伊賀伊勢以外は25年から50年程度編年が後ろにずらされている可能性を見てきた。これをざっと見ておきたい。
 ということで福井県を終えたら
1: 信濃⇒上野⇒武蔵⇒下野⇒常陸 と東山道を東に移動したい。信濃は50年後ろにずらされていると思うので、関東にくると100年ぐらいずらされている可能性あり。それをまず確かめたい。
2:備前⇒備中⇒備後⇒安芸とこんどは東山道を西に進んで、この地域の編年のずれの可能性をたしかめたい。
3:周防⇒長門⇒筑前筑後⇒肥前(近江)⇒豊前⇒豊後 と九州王朝の畿内を確認。
4:伯耆を起点にして北陸道を東に、出羽まで。
5:伊予を起点にして東海道を東に、下総まで。
6:日向を起点に南海道を南に、肥後まで。
7:陸奥 ここを最後に終えたい。
 というように順を追って悉皆調査をしていきたい。

 今日はこれから国分寺市立恋ヶ窪図書館にいって国分寺の北方遺跡群を確認してきます。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 はい。そう考えて良いと思います。

それはうれしいですね。だんだんサンプルが増えてきました。

〉 家を片付けてデスクトップを置くことも考えてみてください。

そうですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  ということで福井県を終えたら
1: 信濃⇒上野⇒武蔵⇒下野⇒常陸 と東山道を東に移動したい。信濃は50年後ろにずらされていると思うので、関東にくると100年ぐらいずらされている可能性あり。それをまず確かめたい。
2:備前⇒備中⇒備後⇒安芸とこんどは東山道を西に進んで、この地域の編年のずれの可能性をたしかめたい。
3:周防⇒長門⇒筑前筑後⇒肥前(近江)⇒豊前⇒豊後 と九州王朝の畿内を確認。
4:伯耆を起点にして北陸道を東に、出羽まで。
5:伊予を起点にして東海道を東に、下総まで。
6:日向を起点に南海道を南に、肥後まで。
7:陸奥 ここを最後に終えたい。
 というように順を追って悉皆調査をしていきたい。

了解しました。

〉 今日はこれから国分寺市立恋ヶ窪図書館にいって国分寺の北方遺跡群を確認してきます。

お疲れ様です!

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