「方位の謎解き」から「方位の考古学」へ
多元的「国分寺」研究の例として,
一番近い武蔵国分寺を調べることが中心となり,
それとペアの武蔵国府の研究も並行して行うようになった。
もともと古式の国分寺が東偏していることは,
東山道に特に顕著に見られたので意識していたが,
府中や防府のように街全体がそうなっているとは,
最初の頃は気が付かなかった。
そして,川瀬さんと二人で「どうして九州王朝は東偏させるのだろう」という
素朴な疑問が話題に出るようになった。
これは是が非でも解いておきたい問題である。
試行錯誤の末.九州王朝が送った倭の五王の使いが,
何かを得てきたのではないかとなり,
その都の建康にたどり着くことになる。
果たしてそこに,私は東偏の都(東偏25度)の区画を見出したのであった。
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/08/post-2775.html
そこから,研究は1段階アップして,「方位の謎解き」が
「方位の考古学」となっていく。
研究者たちは都の東偏や西偏があることは知っているのだが,
なにしろ一元史観の研究なので,
九州王朝がそのやり方を模倣して,
各地の国府や国府寺を東偏にしていたということは
想像することができないのだろう。
せっかく知った「東偏ルール」がどこまで有効か,
今全国の古代寺院や官衙を調査しているところである。
関心のある方は,多元的「国分寺」研究サークルのサイトでやっているので,
ぜひご覧下さい。(私としては,予想を外しまくって悲しいのですが・・・)
多元的「国分寺」研究サークル
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/
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肥沼さんへ
多元的国分寺研究サークルのリンクが間違っていますよ。正しくは
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/
>私としては,予想を外しまくって悲しいのですが・・・
「予想」ですか? 「分析結果」の間違いですよ。おそらく分析方法を間違ってまだ適用しているのでしょう。
1:方位記号の確認:磁北なのか真北なのか。遺跡分布図と案外良いのが建物データの図。
2:建物群の把握:大まかにどんな形に建物が並んでいるのか。設計図の予測だね。
3:建物群の中心的建物の把握:廂付建物。寺院なら伽藍の中心建物の確認だ。
4:建物群または中心的建物の方位の確認。
このどれかが間違うと結論が間違って出てくる。私の点検で間違いがわかったときに、このどこで間違ったかを確認していますか。この間違いの原因探しをやらないといつまでも間違う。
投稿: 川瀬 | 2019年1月10日 (木) 22:33
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 多元的国分寺研究サークルのリンクが間違っていますよ。正しくは
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/
なんで間違ったのか原因がわかりませんが,とりあえず正しいものに直しておきました。
〉 「予想」ですか? 「分析結果」の間違いですよ。おそらく分析方法を間違ってまだ適用しているのでしょう。
川瀬さんのやっているものなら「分析結果」といえると思のですが,
私のものはまだまだそのレベルに達していないという意味で「予想」としました。
〉 2:建物群の把握:大まかにどんな形に建物が並んでいるのか。設計図の予測だね。
3:建物群の中心的建物の把握:廂付建物。寺院なら伽藍の中心建物の確認だ。
瓦だけ出土している(建物が出てこない)というのは最初から外しているのですが,
建物が一棟でも出てくると扱った方が「悉皆調査」ということになるのかと入れています。
それが難しく感じるところです。全体図が載っていれば,かなり易しくなるのですが。
〉 私の点検で間違いがわかったときに、このどこで間違ったかを確認していますか。
この間違いの原因探しをやらないといつまでも間違う。
もちろんやっていますよ。ただ,まったく同じ発掘調査図というのにはお目に掛かれませんけど。
投稿: 肥さん | 2019年1月11日 (金) 03:41