鴻臚館と泉官衙遺跡と武蔵国府の「重ね合わせ」
いつの日か,土器偏年によっても証明したいが,
今はせっかく見出した「方位の考古学」を進め,
幸運に恵まれる日を待ちたい。
今のところ,3つの遺跡の変遷が,
私たちの考えを支持しているように考えている。
鴻臚館と泉官衙遺跡(福島県)と武蔵国府である。
3つ(武蔵国分寺まで入れれば4つ)の「重ね合わせ」をしてみよう。
すると,どれも(3)では,同時代の遺跡なのだ。
(人間でいえば,同世代の人たち)
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鴻臚館 泉官衙 武蔵国府(武蔵国分寺)
(1) 磁石の使用による西偏 ↑ ↑
(2) 中国南朝に倣った東偏 | ↑ |
(3) 隋を意識した九州王朝の正方位 ↓ | | ↑
(4) 白村江の戦い(九州王朝の滅亡。近畿王朝の登場) × | | |
(5) 近畿王朝による正方位 | | |
(6) 律令制の衰退 ↓ | |
(7) 地方豪族の磁石の使用による西偏 ↓ ↓
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\ | /
西偏 正方位 東偏
↙ \ | / ↘
このような長い期間にわたって建設・経営された建物や都市の証拠を,
発掘調査報告書の精査によって地下に見出そうとするのが,
「方位の考古学」の趣旨である。
×は,福岡城の建設のための破壊と考えている。
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