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2018年12月27日 (木)

府中研究会 12/26

昨日も上記の会で府中に出かけた。

まずは川瀬さんから,昨日の「太宰」についてのレクチャー。
九州王朝からみた「東国」とはどこか。
孝徳紀には「主語無し」が多い。九州王朝の天皇の詔勅のはめ込みではないか。
白村江の戦いに負けても,まだ全国の支配権は握っていたこと。
関東のいろいろな勢力の様相。(「汎・毛野国」だったのかも)
評木簡が出土しているところを図にしてみたらどうか。
常色の改革は,宗教だけでなく,評制を含むものだったのではないか。
紀伊国分寺と紀伊国分尼寺の方位は西偏か。(近畿王朝の影響)
五ヶ瀬川あたりが,外敵との境界線だったかも。神武の一族は,そこの番をさせられていた?
今後の精査の進め方の変更。→伊勢→三重→愛知→福井→→九州へ。

次回は,1月11日(金)。

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川瀬さんの研究より。

第2回パリ万国博覧会の際,「忠臣蔵」がフランス語で演じられたらしい。

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『忠義浪人』=忠臣蔵

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 忠臣蔵の史料の掲載。ありがとうございます。
 ただこのままでは「忠義浪人」の本とパリ万博の関係がわからないので補足します。

 「忠義浪人」は私の曾祖父齋藤修一郎が1880年にニューヨークの書店から出した英訳忠臣蔵です。
 なぜ彼がこの時忠臣蔵を英訳したかが私の研究テーマの一つです。理由はいくつか考えられます。
 1:序文に斎藤は1876年のフィラデルフィア万博でも北斎や広重などの美術品は大いに好評を博しこの分野の日本文化は西洋人に知れ渡っている。しかし文学はまったく知れ渡っていないので代表的な文学である忠臣蔵を英訳したと書いています。でもこれはおかしい。
 2:忠臣蔵はすでにこれ以前に英訳されて欧米に知れ渡っていました。
  1871年にロンドンでイギリスの日本駐在公使館の二等書記官であったミッドフォードが日本の昔話を集めて自身で英訳した書物を出版(「日本の古い物語」)の冒頭が47士の話で、これは忠実に話を描いたもの。おそらくこれが評判を呼び、47士の話だけが独立した単行本となって何版も重ねられ、「日本の古い物語」そのものも30版も出ている。つまりこのころすでにこうした話を受け入れる素地が西洋にあったということ。これはおそらく幕末明治初期に外国人を切り殺した日本の武士が処罰され、切腹の上で打ち首になっている場面を外交官が実見しそれを伝えたことから、「野蛮な腹切り文化」として広まっていたものと思われます。だからその「腹切り文化」の精神的政治的背景を述べた物語である忠臣蔵が読まれたのでしょう。
 1875年にはイギリス人の元日本駐在軍の軍医であったディッキンズが人形浄瑠璃の台本である「仮名手本忠臣蔵」を全文英訳し横浜で出版しました。これはその年のうちにニューヨークで再販され、1880年にはロンドンでも出版。これは10数版を重ねています。
 3:だから齋藤が忠臣蔵を英訳した背景にはアメリカの日本通の人たちからの要望があったのだと思われます。
 つまりディッキンズが英訳したのは浄瑠璃台本なのできわめて演劇性が高く時代も移したフィクションでした。本当の話はどうなの?との疑問がアメリカの日本通の人に質問され、実話を詳しく英訳して欲しいと頼まれたのではないか。というのもディッキンズの本もミッドフォードの本も登場人物の心理までは描写しておらず、19世紀の西洋には人物の心理まで描写する小説が流布していたので、このレベルの英訳忠臣蔵が要望されていたとおもわれます。
 齋藤の「忠義浪人」の元本は江戸末から明治にかけて出版された為永春水の「いろは文庫」でした。この本は春水が元落語家であったことから、赤穂浪人たちの心理がリアルに描写され、しかも討ち入りした浪人だけではなく途中脱落した浪人の心理や事情まで描いたものでした。
 このため齋藤の本はすぐさまフランス語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語に翻訳されたと、1884年に出された第二版の序文に共著者のイギリス人グリーが書いています。
 つまり忠臣蔵の最も詳しい書物としてこの「忠義浪人」は読まれ、さらにこの本に出てくる赤穂浪人の心情こそが日本人の心情であると理解されたのです。
 ちなみにグリーも元日本駐在イギリス軍の将校です。
4:この本はのちにアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも愛読し、日露戦争後の1906年12月の彼の最後の大統領教書で日本あなどるべからずと述べた際に、開国後わずか50年で西洋に追い付き、ロシアに対して一歩も引かず戦った日本人の精神のありかがもっともよくわかる本として「忠義浪人」を推奨しました。この本の原題は「THE LOYAL RONNINS」です。この大統領教書が全文ニューヨークタイムスに掲載されたその日には新聞社に「THE LOYAL RONNINS」ってなんだとの読者からの質問が多数寄せられたようで、翌日の新聞にはこの本の解説が掲載されました。
 ちなみにルーズベルトは同じ話をこの年の10月に訪問した津田梅子にも語っており、アメリカ人は愛国心があまり無くなっているが日本人は素晴らしいと語り、それがよくわかる話として47士の話を自分の娘にも読ませていると語っています(「津田梅子伝」)。

5:ただ1880年の本の出版までの西洋での忠臣蔵の受け取られ方がよくわかっていませんでした。先日「パリ万国博覧会とジャポニズムの誕生」の著者・寺本さんに日本英学史学会の例会でお会いして、その時に1878年の第二回パリ万博で忠臣蔵が仏訳されて演劇として上演されたというお話を聞いたので、僕の方からは忠臣蔵の英訳の歴史をお話ししたところ、二つの話はリンクしていますねということで、寺本さんは私のサイトにも訪問され、齋藤と忠臣蔵についての私の論文も閲覧してくれました。
 歴史はそして文化現象は国境を越えてリンクしている顕著な例の一つです。

 ちなみに忠臣蔵の英訳史については日本英学史学会の大先輩の速川氏が論文を書いています。アドレスは
 http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/1938/1/KJ00000161073.pdf
です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私がいい加減な情報を書いてはご迷惑になりますので,
ご本人から書いていただくと助かります。

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