无邪志国(のちの武蔵国)
ウィキペディアで「武蔵国」を検索したら,同時に「无邪志国」も出ていた。
評の時代は,「无邪志国」と呼ばれていたようだ。
だから,初期の国府は「无邪志国府」&「无邪志国府寺」だったろう。
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无邪志国造の支配領域は当時无邪志国と呼ばれていた地域である。
无邪志国はのちの令制国の武蔵国にあたる[5]。
ただし、秩父(知々夫国造の支配する知々夫国だった)を除いた範囲をさすとする説もある。
現在の埼玉県と東京都の境界周辺、荒川流域にある[6]北足立郡・入間郡・旧大宮市[5]に当たる。
地名の起源については、武蔵国#「武蔵」の国名を参照。
无邪志国は知々夫国造の支配した知々夫国と合わさって7世紀に令制国の武蔵国となった。
当初武蔵国は東山道に所属していたが、771年に東海道に移管された。
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まとめ読みさせていただきました。
「よこしまな」「こころざしの」「ない」国
という意味があるのでしょうか?
无は無の代わりに写経では使っている場合もありますね。
無は画数が多いので、また無の字がたくさんあるので、代用してるようです。
投稿: 翔空スマホ | 2018年12月30日 (日) 09:17
翔空さんへ
コメントありがとうございます。
〉 「よこしまな」「こころざしの」「ない」国
ということは,いい意味ということになるのですね。
地名にはそこに込めた意味があるでしょうから,
九州王朝がこの地を支配しようとした時,
名付けて,「よこしまな」「こころざしの」「ない」国としたのかもしれません。
翔空さん,その題名で論文を書いてみて下さいよ。(o^-^o)
投稿: 肥さん | 2018年12月30日 (日) 11:18