大阪府の官衙遺跡 11/8
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なぜ夢ブログに官衙遺構考察編があるのかな?
(1) 南花田
西偏との判断基準は?
正方位と思われる物がある(SB06)。そしてSB04は廂付建物と思われる。報告書は「東廂か」とあるが、東西の両面廂の可能性もあると思う。むしろ廂は西側か。
したがってこの遺跡複数の時期の建物が混在している。おそらく西偏⇒正方位。
(2) 太井
図に方位記号がないが、建物データでSB02があるが、東偏40度で建物の向きが斜めとある。
このことから図の方位はYが南北Xが東西を示しているので東偏。建物の年代が「年代 6世紀後半~7世紀前半 」とあることに符合している。
(7) 梶原南
傾きは西とも東とも判断しずらい。
掘立柱建物を囲む柵列は、建物の北側と東西に集中している。
建物3を囲む柵との空間が、東側の柵との間が広いので、東側が正面か?
とすると西偏の建物群。
他は肥沼さんの判断で正しいと思います。
投稿: 川瀬 | 2018年11月 8日 (木) 13:56
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
本日叔父さんのお葬式があり,
バタバタしていたら,前の習慣で
こちらに書いてしまいました。
移動しようと思いましたが,
両者は方法が違うのでそのままにします。
投稿: 肥さん | 2018年11月 8日 (木) 16:05