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2018年11月24日 (土)

多元的「国分寺」案内 当日編

昨日は,東京・古田会の18名の方々に対して,
上記の案内をさせていただいた。
(ツアー担当者のNさんを含めると19名でした)

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(1) 集合場所

私は当初東山道武蔵路の案内板をスタートにして計画したのだが,
その後「国分寺4小に午後2時半に」と連絡があったので,
小学校前で待っていた。すると,案内板の付近にバスを止めている
怪しい集団が・・・ということで,近づいていくとそれが皆さんでした。
見学時間が増えたことで,最初のプランに戻ったようでした。
まずは合流出来て,よかったよかった。

(2) 武蔵国分寺跡資料館にて

人数が多いので,なかなか全員を前にしてレクチャーできなかったが,
要所要所集まっていただいて,見学のポイントをお話しした。
当初は四天王寺式伽藍らしかったこと。金属製品に注目(銅の鈴もこちらに)。
丸瓦の素弁・単弁・複弁(武蔵国分寺からは出土していないが,四中資料館で見学)など。

(3) 塔1,塔2にて

金堂は後にして,塔1に移動して,ここから多元的な見方(九州王朝による建設)を話す。
この北に縦長の伽藍配置が,この南側に武蔵国庁が見えただろうか…。そうだといいが。
西へ塔2に移動して,位置を確認する。

(4) 金堂以下の後の人が建てた伽藍配置へ

塔から金堂に移動してくることによって,先後関係を感じていただき,
多元的「国分寺」案内の方法としたかった。
ここで,観光地化の問題点と「私たちは2度通説を学ぶ」という話をする。
(小中学生の時と老後と・・・)
また,泉官衙遺跡の変遷図をここで紹介した。皆さん驚かれていた。
さらに,両王朝は「方位」によって意思を表していたという話も。

(5) 道の途中で

四中に向けて西に進んでいた道を北に曲がる時,発掘調査の図を示してレクチャー。
この体育館下に西偏の勢力が,その南の校舎部分に先に正方位の九州王朝の勢力が
「官庁群」を作っていたことなどのレクチャー。

(6) 国分寺四中資料館にて

突然の20人の訪問に係りの方も驚いた様子だった。
多くの方は椅子に腰かけビデオ鑑賞。それが終わった頃,出土物の解説。
また,複弁の丸瓦を見ていただくために,隣の部屋に移動する。
素弁・単弁に複弁が加わり,「な~るほど!」と。とりあえず基本形だけ。

(7) 武蔵国分尼寺にて

金堂の後ろの部分が版築の様子を見られるようになっているので,見ていただく。
強引に突くより,軽く突いた方が土が締まると言われているようです。

(8) 庄屋にて懇親会

その後,午後5時半より国分寺駅前の庄屋にて懇親会が行われた。
昼間は頭を使い,夜は肝臓を使う,理想的な1日だった。
回覧された雑誌に載っていた福岡の鴻臚館のⅠ期に「東偏」を見つけ,
さっそく学習成果が出たのがよかった。

Photo

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【謝辞とお誘い】

以上,昨日の案内の内容をかいつまんで書いてみました。
「やはり本で読むより,実物を前にして解説してもらうとよくわかる」
という感想を聞き,うれしかったです。。
参加された皆さん,昨日は,ありがとうございました。
来る1月6日(日)には多元の会の方々と府中~国分寺を1日で廻ります。
もしよかったらご参加下さい。また,東京・古田会自身でも企画していただければ,
いっしょに廻らせていただきます。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

これは行ってみたかった。
今までのブログでの記事の現場案内は
面白かったでしょうね。

そのころは
東京都高校書道展覧会を芸術劇場で見て
高校茶道部の入れるお茶(抹茶)を頂いておりました。
狭山茶や三色団子の話をしながら。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

〉 これは行ってみたかった。

今度の1月6日(日)は,府中~国分寺のフルコースです。
ぜひご参加下さい。

〉 東京都高校書道展覧会を芸術劇場で見て
高校茶道部の入れるお茶(抹茶)を頂いておりました。

それも楽しい過ごし方でしたね。

肥沼さんへ

 鴻臚館遺跡ですが、Ⅰ期の北館がわずかに西偏であることを除いて、
Ⅱ期もⅢ期もわずかに東偏だと思います。おそらくこの年代比定ですが100年ぐらいずれていると思う。

1月6日?
できれば参加したいところですが
まだ微妙です。
その時期になるまで楽しみにしましょう。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

もし1月6日(日)お時間がありましたら,
ご一緒しましょう。
20名ほどの人たちと一緒ですが…。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  鴻臚館遺跡ですが、Ⅰ期の北館がわずかに西偏であることを除いて、
Ⅱ期もⅢ期もわずかに東偏だと思います。おそらくこの年代比定ですが100年ぐらいずれていると思う。

ということは,方位からみて「鴻臚館は,九州王朝の迎賓館であった!」と
言うことができそうですね。(Ⅰ期の北館の理由が不明ですが・・・)

肥沼さんへ
>ということは,方位からみて「鴻臚館は,九州王朝の迎賓館であった!」と言うことができそうですね。(Ⅰ期の北館の理由が不明ですが・・・)

 ただ疑問なのは「肥沼仮説」によれば九州王朝は6世紀の末からは正方位だ。100年編年がずれていると考えると、九州王朝は最後まで迎賓館を東偏のままにしたということになります。
 50年編年がずれていると考えると、九州王朝は、最初は北館を西偏でたててすぐに南館を東偏で建てた(7世紀はじめ・図のⅠ期以前という注記が気になる。つまりその前だとすると6世紀代に西偏⇒東偏にかえた)。そして北館と南館ともに東偏に改造(7世紀末)。さらに近畿天皇家が8世紀に大規模に改造したが、向きはそのまま東偏とした。
 どう考えれば良いのかな?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 Ⅱ期もⅢ期もわずかに東偏だと思います

どのくらい東偏なのかわかりますか?
「ほとんど正方位」と言えなくもない程度の感じもしますが・・・。

〉 2つの「第Ⅰ期以前」がありますが,同時に使っていたかどうかは不明ですよね。
西偏が一番古いもので,その後東偏の時代(西偏は使わなくなった)。そして,「わずかに東偏」=「ほとんど正方位」という風な感じでは考えられないでしょうか。
なので,「わずかに東偏」の角度を知りたいです。

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