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2018年11月 1日 (木)

府中研究会 10/31

川瀬さんとの国府・国分寺についての研究会。

まずいきなり,夢ブログで話題となった
『律令体制を支えた地方官衙~弥勒寺遺跡群』の話題から。
その新解釈と図面の方位の間違いの指摘にびっくり。
言われてみると納得するのだが,本当に「精査」する能力の違いを感じる。
ただ,その一方,この「遺跡を学ぶ」シリーズの良さも評価している。
1500円でこれほどの情報を入れてくれているのは本当にうれしい。
それを入手してきた私も偉い!(蛇足)

川瀬さんは,正方位と西偏の関係をはっきりさせたいようで,
武蔵国府の発掘の準報告書をめくっておられた。
本当は私がやるといいのかもしれないが,
絶対「見落としをする自信」があるので,手を出さないでいる。
私は精査より,面白い話題を拾ってくる方が似合っている。
川瀬さんは,「悉皆調査」の大切さを説き,
「これができないようでは研究はできません」と言われるのだが・・・。

主語有無について,古田さんが講演会かなんかで触れていたことがあり,
その確認をしたいと思っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とりあえず,「新古代学の扉」の検索で,以下のものを見つけました。

飛鳥浄御原令(きよみがはら) 令があります。この発布した主語は「天智」や「天武」です。ですが、あれは嘘です。九州王朝の天子が主語である。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjit10/satiyam4.html

『古代に真実を求めて』 (明石書店)第十集
古田武彦講演 「万世一系」の史料批判 -- 九州年号の確定と古賀新理論の(出雲)の展望
二〇〇六年二月十八日 場所:大阪市中央区電気倶楽部

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

>川瀬さんは,正方位と西偏の関係をはっきりさせたいようで, 武蔵国府の発掘の準報告書をめくっておられた。 本当は私がやるといいのかもしれないが, 絶対「見落としをする自信」があるので,手を出さないでいる。 私は精査より,面白い話題を拾ってくる方が似合っている。 川瀬さんは,「悉皆調査」の大切さを説き, 「これができないようでは研究はできません」と言われるのだが・・・。

 この作業をあえて意図的にやらずに他人にやらせている肥沼氏は研究者失格です。
 府中の市街の方位が「東偏・正方位・西偏」であることを元にしてこれは「東偏(九州王朝時代)⇒正方位(九州王朝の6世紀末以後)⇒西偏(近畿天皇家時代)」との仮説を提示したのは肥沼さんだ。
 自分の仮説が成立するかしないのか。そのための史料精査を自信がないといって他人にやらせる。
 これは完全に研究者失格です。
 私がいまこの作業から手を引いてしまえば、肥沼仮説は永遠に仮説のままです。
 ここで手を引いても良いですか?

 すくなくとも来年4月からは近代史の研究に戻る予定で動いています。残された時間は半年です。
 報告書を精査する作業を逃げている限り、永遠に一人で研究する力はつきません。今なら肥沼さんの作業を私が点検することが可能です。一緒に同じ場所で報告書を見ているのですから、わからないところはそこで質問すればよい。そうやっているうちに読み解く力もつくものです。
 奈良文化財研究所のデータベースを見てその結果をこのサイトに掲載し、それを私が点検する作業をずっと続けてきました。まだ完全には読み解けていませんが、始めたころよりはずっと図を読み解けるようになっていると思います。
 あきらめるな肥沼! 逃げるな肥沼! ここが踏ん張りどころだ。今飛ばずにいつ飛ぶのだ!
 それをしないのであれば、永久に一人の研究者にはなれません。面白い話題を拾ってくるだけでは、単なる古代史愛好家、ファンでしかない。
 ここに留まるのであれば「古代史を研究している」などと吹聴し、各種の研究会で自分の研究成果を吹聴するのは止めてください。

 せっかく素晴らしい発想で、古代史のなぞを解くかもしれない仮説に行きついたのです。
 ・九州王朝は中国王朝にならって、その宮や都を東偏でつくった。
 ・しかし中国王朝から自立を図った6世紀末からは、それを正方位で作った。

 この「肥沼仮説」は考古学の遺跡から九州王朝の盛衰を見事に浮き彫りにしてしまう可能性があります。
 すでに大和国の古代官衙遺構古代寺院遺構の精査から、近畿天皇家が6世紀末までは宮や居館を東偏でつくり、6世紀末以降は西偏に、そして7世紀中頃以後は正方位に変更している「事実」が浮かび上がってきた。
 これは「肥沼仮説」の正しさの傍証であり、かつ近畿天皇家が6世末から九州王朝から自立した動きを開始していた可能性を示唆するものです。
 この史料の精査は次々と古代史を塗り替える可能性があります。

 そう考えるからこそ、自分の研究の時間を割いて、肥沼さんの研究力がアップするように援助しているのです。
 せっかくのご自身の「発見」を幻に終わらせるのでしょうか?

追伸
 書紀における主語有無の記述の問題。
 肥沼さんが挙げた例は、関係のないことだと思います。古田さんの講演を読めばわかることですが、古田さんは「書紀では天智が近江令、天武が飛鳥浄御原令を出したことと書いているが、真の発布の主体は九州王朝の天子だ」と言っているにすぎません。書紀の記述の仕方を問題にしているのではなく、700年までは九州王朝が列島宗主権を持っているのだから新律令の発布主体は九州王朝の天子以外にはありえないという、大義名分論を出しただけ。
 私が問題にしているのは、「書紀が天子の行動を記述するとき、九州王朝の天子のそれは主語を省略して天子の行動とわかる動詞を使うが、近畿天皇家の大王のそれは、天皇はと主語を明確に記して行動を記すという使い分けをしているのではないか」ということ。

 この観点でいうと、近江令はそもそも書紀には発布の記事すらない。
 あるのは一つは、「九年春正月乙亥朔辛巳、詔士大夫等、大射宮門內。戊子、宣朝庭之禮儀與行路之相避。」として朝廷の礼儀と行路の相避の問題を新たに定めたとの記述。
 ここは明確に「宣」という天子の行動を指す動詞を使って主語を省略している。
 もう一つは、十年正月の「甲辰、東宮太皇弟奉宣或本云大友皇子宣命施行冠位法度之事、大赦天下。法度冠位之名、具載於新律令也。」。東宮太皇弟とも大友皇子とも記録によって異なるが、宣命を奉じて、冠位法度の事を施行するとの記事。そして注で法度冠位の名は新律令に掲載されていると。
 ここでは宣命が出されたとの記事は省略されている。
 この書紀記述の主語の書き方に注目すれば、近江令を出したのは天智ではなくて、九州王朝の天子だとの古田説が書紀記述で確認できるが、古田さんはここまで気が付いていない。

 飛鳥浄御原令については、
「天武十年二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、詔之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、分人應行。」とある。
 つまり「新たに律令を作り改めたい。そのための職務を諸人で分担して進めよ」と集められた親王や諸王や諸臣に命じたとある。「詔」という天子特有の主語が使われているがその前に天皇と皇后が大極殿にいて親王諸王諸臣を集めてと書かれているから、この主体は明確に天武だと読める。

 この時律令は天武生存中には出来上がらなかったが、 実際にその一部の令が出されたのは次の持統のとき。
書紀では、「持統三年六月庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。」といきなり22巻の令が諸司に頒布された。動詞は「班賜」という天子の行動を示すもので、ここでは主語が省略されている。
 この書き方は、新令を「班賜」した主体が省略されているから九州王朝の天子ということになり、ここから見ると、天武紀で「新律令をつくりたい」と親王諸王諸臣に令しのは、天武ではなく九州王朝の天子ということになる。
 ここでも書紀の主語の書き方に注目すれば、飛鳥浄御原令を出したのは天武・持統ではなく九州王朝の天子だとの古田説が証明される。
 しかし古田さんはここまで気が付いておられなかった。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  すくなくとも来年4月からは近代史の研究に戻る予定で動いています。残された時間は半年です。

半年なら,頑張れそうです。
ご支援よろしくお願いします。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  書紀における主語有無の記述の問題。
 肥沼さんが挙げた例は、関係のないことだと思います。古田さんの講演を読めばわかることですが、古田さんは「書紀では天智が近江令、天武が飛鳥浄御原令を出したことと書いているが、真の発布の主体は九州王朝の天子だ」と言っているにすぎません。書紀の記述の仕方を問題にしているのではなく、700年までは九州王朝が列島宗主権を持っているのだから新律令の発布主体は九州王朝の天子以外にはありえないという、大義名分論を出しただけ。
 私が問題にしているのは、「書紀が天子の行動を記述するとき、九州王朝の天子のそれは主語を省略して天子の行動とわかる動詞を使うが、近畿天皇家の大王のそれは、天皇はと主語を明確に記して行動を記すという使い分けをしているのではないか」ということ。

皆さんにも,それを知っていただくために,別項でアップさせていただきますね。

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