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2018年11月11日 (日)

四天王寺に祭られていた牛頭天王

このところ方位について頭が占領されているので,
考えすぎかとも思うのだが,
間違っているにしても書き留めておくといいことが将来あるかも・・・
ということで,以下のようなことを考えた。

大阪に行くと,天王寺区というのがあり,
そこには天王寺ならぬ四天王寺が置かれている。(どうして?)
私の考えでは大和王朝は6世紀末以降,
東偏→西偏の方位変更をすることになる。
7世紀前半に建てられたといわれる四天王寺は,
西偏4度らしく,ちょうどこの例に当てはまる。

では,この地にそれ以前に寺院はなかったのか?
何もない荒野に「聖徳太子」は四天王寺を建てたのか?
いや,そうではないと思うのだ。
私の考えでは,西偏の前に東偏の寺院があったのではないかと思う。

そして,その持ち主はもちろん物部守屋であり,祭っているのは牛頭天王,
その寺の名前は天王寺であったのではないかと。

以下の,資史料もそれを支持していると思うのだが,
ご意見を聞かせて下さい。

【古代】

丁未(ていび)の変(蘇我氏VS物部氏)

http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=list_comments&blog_id=171323

四天王寺の石神堂(鬼門の方位)に祭られている牛頭尊

https://ameblo.jp/pollymaggoo2002/entry-11865373563.html

鬼門

https://ja.wikipedia.org/wiki/鬼門#鬼門の忌避

四天王寺の守屋祠

https://ameblo.jp/pollymaggoo2002/entry-11863443851.html

【2つの王朝の「方位」の変遷】

【九州王朝の方位の原則】
(1) 中国南朝に倣って,宮殿・都市・寺院の方位を東偏で作った。
(2) その後,中国からの自立を図った6世紀末からは,正方位で作った。
【大和王朝の方位の原則】
(1) 6世紀末まで.東偏に作った。
(2) 6世紀末以降は,西偏に作った。
(3) 7世紀中ごろには,正方位に変更した。

九州王朝 ←東偏 ● 正方位→                  白村江        ★ (滅亡)
                                       の敗北
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・600・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・650・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700・・・・・・・・・・・・・・・・
大和王朝 ←東偏 〇 西偏→      (唐との交流?  〇 正方位→       ☆ (建元)
                          独立への動き)

             ☆丁未の乱(587年)
                     ☆難波天王寺(619年)

【中世】


絹本著色牛頭天王曼荼羅図(大阪府の志紀長吉神社)

http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000009122.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 面白い奇抜な肥沼さんらしい着想です。
 厩戸皇子の四天王寺の前に、物部守屋の天王寺があった。
 この推論の根拠は、現在の四天王寺に、守屋祠と石神堂の牛頭尊。あとは現在の伽藍のさらにしたに、東偏の伽藍があるかどうかですね。
 今までの発掘報告では創建から現在までこの寺は西偏4度のままで何度も建て替えられている。おそらく創建伽藍の下は掘っていないのではないでしょうか。
 なぜなら日本書紀に聖徳太子の創建と書かれているのだから。
 遺跡発掘報告書に痕跡ぐらいないのでしょうかね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

四天王寺の下層を掘ってみたいという思いが一つと.
もしかしたら守屋は別の地に天王寺を持っていたのではないかという思いもしています。
というのは,「難波天王寺」という言い方には,
それ以外の地に天王寺があったというニュアンスも感じるからです。

肥沼さんへ

>「難波天王寺」という言い方にはそれ以外の地に天王寺があったというニュアンスも感じるからです。

 なるほどね。各地に同じ名前の寺院があれば、地名を冠するわけですからね。
 この「難波天王寺」とは、今の四天王寺を指すものでしょうかね。とすればこの難波は、書紀編纂以後の呼び方ですね。
 いやもしかして「難波天王寺」というのは九州の難波にあった天王寺ということかな?
 この呼び名が出てくる資料を精査した方がよいでしょうね。

肥沼さんへ

 四天王寺には、今の荒陵の場所ではなく、創建時は玉造にあったという伝承がありますね。ここはちょうど難波宮のすぐ東側。
 この難波宮のすぐ東側に「法円坂廃寺」というのがあり、これが「荒陵寺」とも呼ばれていて、創建四天王寺とも考えられていますね。
 この寺の復元伽藍配置は法隆寺式で、伽藍は東偏です。
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m103510-84663/map.jpg

 そのすぐ東に玉造稲荷神社があり、この地の地名が森ノ宮です。何か関係ありそう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  四天王寺には、今の荒陵の場所ではなく、創建時は玉造にあったという伝承がありますね。ここはちょうど難波宮のすぐ東側。
 この難波宮のすぐ東側に「法円坂廃寺」というのがあり、これが「荒陵寺」とも呼ばれていて、創建四天王寺とも考えられていますね。
 この寺の復元伽藍配置は法隆寺式で、伽藍は東偏です。
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m103510-84663/map.jpg
 そのすぐ東に玉造稲荷神社があり、この地の地名が森ノ宮です。何か関係ありそう。

それは,物凄いことですね!
その寺院は大阪府の寺院の精査の,
スタートの方でやったものではないですか!!
その件,別項で・・・。

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