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2018年11月13日 (火)

横浜読書会 11/12

昨日は,横浜読書会にお邪魔した。
清水さんが中心になっている会である。(この日は9名が参加)
前回泉官衙遺跡の6枚の図(2つの王朝の「栄枯盛衰」)を紹介して以来,
1ヶ月ほど経っての訪問である。3つの資料を持参した。

・ 泉官衙遺跡の6枚の変遷図
・ 2つの王朝の「方位」の変遷
・ 守屋の屋敷は,玉造にあり,東偏だった!(かも)

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(写真をクリックすると拡大します)

最初に「隋書」の倭国・タイ国の議論があって,
なかなか決着がつかないものなので,
ストレスが溜まったところで登場した。

「文献と考古学の両面でやることが大切と.
古田先生も言っていたような気がしますが・・・」

「まず,サイズが左の3枚と右の3枚で違うところに注目して下さい。
私には,違う王朝のものに見えますが,いかがでしょうか。
まず東偏の図。これは中国南朝(東偏の都)に仕えていた時代ではないでしょうか。
また,先ほど議論した倭国・タイ国の話は,もしかしたらⅡーa期(玉石が敷かれている)の
時期だったかもしれないと私は思っています。もっとも勢いがあった頃のこと。
ところが2ーb期になるとかろうじて主殿だけ。白村江以降ではないでしょうか。
そして,701年に右側の大和王朝に取って代わられる・・・。
発掘結果による検証は,数が多くなればなるほど,より精度が上がると思います。
今奈良と大阪の寺院と官衙を精査しているところです」

「丁未の変の話は,眉に唾を付けてお聴きください。
ここも東偏と西偏が関係してきます。・・・」

文献の議論では皆さん一家言あるが,それゆえ,
考古学の話は新鮮に思っていただけたと思う。
夜の懇親会でも話が弾んだ。
また,成果を持って参加したい。

次回は,11月30日(金)午後3時から。

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