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2018年11月16日 (金)

百田尚樹著『日本国紀』に「古田武彦・九州王朝」

「古賀達也の洛中洛外日記」に上記の記事が載っていたので,
コピーさせていただく。
私も書店で百田氏が変わった題名の本を書いているなあと思っていたが,
まさか「古田武彦・九州王朝」が話題になっているとは思わなかった。

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古賀達也の洛中洛外日記

第1784話 2018/11/13

百田尚樹著『日本国紀』に「古田武彦・九州王朝」

 出版不況の最中、驚愕の一書が出現しました。ベストセラー作家で映画「永遠のゼロ」「海賊と呼ばれた男」の原作者である百田尚樹さんの新著『日本国紀』(幻冬舎、有本香編集。2018年11月10日発行。1,800円)です。同書の帯には「幻冬舎創立25周年記念出版」と銘打たれ、「私たちは何者なのか。」「当代一のストーリーテラーが、平成最後の年に送り出す、日本通史の決定版!」とあり、表紙の印刷や紙質、製本は高品質・高級感に溢れており、幻冬舎の並々ならぬ熱意が感じ取れます。

 同書は出版前の18日間にわたり、アマゾンの「予約一位」が続くという驚異的現象を起こし、当初10万部を予定していた初版印刷は、幻冬舎社長・見城徹氏の「社運を賭ける」との決断により30万部に引き上げられ、更に10万部の増版を決定したとのことです。わたしは同書の発行を事前に知り、注目していましたが、購入するか否かは決めていませんでした。ところが、『日本国紀』に古田先生の九州王朝説が紹介されていることを、日野智貴さん(古田史学の会・会員)のFACEBOOKにより知り、昨日、出張前に京都駅構内の書店で購入しました。

 509頁に及ぶ大著ですが、その第一章「古代~大和政権誕生」の「朝鮮半島との関係」「倭の五王」「古墳時代」に古田先生と九州王朝のことが次のように紹介されていました。

 〝日本の歴史を語る際に避けて通れないのが、朝鮮半島との関係である。(中略)もしかしたら、朝鮮の記録にある日本からの派兵は、地理的な条件を考えると九州の王朝からのものであった可能性が高いと私は見ている。〟(22頁)

 〝(前略)この五人の王は「倭の五王」と呼ばれていて、中国の記録によれば、その名は讃、珍、済、興、武となっている。日本の歴史学者の間では、讃→履中天皇、珍→反正天皇、済→允恭天皇、興→安康天皇、武→雄略天皇というのが一応の定説となっているが、私はまったく納得がいかない。(中略)在野の歴史家である古田武彦氏などは、倭の五王は九州王朝の王だったのではないかとする説を述べている。〟(27-28頁)

 〝不思議なことは、なぜ巨大古墳が突如、大阪平野の南に現れたのかである。時期的には、前述の仲哀天皇から応神天皇の世に重なる。私は、九州から畿内にやってきた王朝が大阪平野に勢力を広げたのではないか(九州王朝による二度目の畿内統一)と想像するが、残念ながらこれも文献資料はない。〟(29頁)
 同書には歴史学者の名前はほとんど記されておらず、そうした中でこのように古田先生の名前と九州王朝説を

〝好意的〟に紹介されていることに、わたしは感動しました。もちろん、百田さんの意見と古田説が完全に一致しているわけでもなく、とりわけ七世紀からは大きく異なっているのですが、古代史学界が古田説をほぼ完全に無視している現状と比べれば、まことに誠実な執筆姿勢と言うほかありません。この他にも、古田先生の名前は出されていないものの、随所に古田先生の著書の影響を受けていることを感じとれる部分が見えます。たとえば次のような表記です。
 
〝大和朝廷が邪馬台国なら、当時の大国であった魏から「王」に任ぜられ、多くの宝物を授かった出来事が(記紀に〔古賀注〕)一切書かれていてないのは不自然であり、このことが、私が「邪馬台国畿内説」をとらない理由の一つでもある。(中略)

 私は、大和朝廷は九州から畿内に移り住んだ一族が作ったのではないかと考える。記紀にも、そのようなことが書かれている。いわゆる「神武東征」(神武東遷ともいう)である。(中略)こういったことから「神武東征」は真実であったと私は考えている。〟(19-20頁)

 〝つまり奈良にあった銅鐸文化を持った国を、別の文化圏の国が侵略し、銅鐸を破壊したと考えれば辻褄が合う。
 もし神武天皇に率いられた一族が銅鐸文化を持たない人々であり、大和平野に住んでいた一族が銅鐸文化を持つ人々であったとしたら、どうだろう。神武天皇の一族が銅鐸を破壊したとしても不思議ではない。そして後に大和朝廷がじわじわと勢力を広げ、中国地方の銅鐸文化圏の国々を支配していく中で、被征服民たちが銅鐸を破壊されることを恐れてこっそりと埋めたとは考えられないだろうか。

 もちろん、そうしたことをはっきりと記した史書はない。しかし中国地方から出土する銅鐸が丁寧に埋められ、奈良で出土する銅鐸の多くが破壊されているという事実、そして記紀の中の「神武東征」から、そう類推されるのである〟(21頁)

 〝「日出ずる処の天子より」という書を送ったのは聖徳太子ではないという説がある。『隋書』には、書を送ったのは倭の多利思比孤という名の王であると書かれているからだ。妻の名は?彌、皇太子の名は利歌彌多弗利とある。いずれも『日本書紀』にはない名前である。さらに倭(『隋書』では「イ妥」となっている)の都は「邪※堆」で、噴火する阿蘇山があると書かれている。したがって多利思比孤は九州の豪族であったのではないかと述べる学者がいる。また『日本書紀』には聖徳太子がそういう書(「日出處天子」云々)を送ったとは書かれていない。〟(41頁) ※は「麻」の下部に「非」。

 以上のように、百田さんが古田説の影響を色濃く受けていることは想像に難くないところです。当代のベストセラー作家による恐らくはベストセラーになるであろう著作(通史)の冒頭部分に「古田武彦」と「九州王朝」の名前が記されたことのインパクトはとてつもなく大きいのではないかと、わたしは想像しています。

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山田さんもこの書について書いておられるので,
リンクさせていただきました。

皇国史観まるだしの書(山田さん)

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/11/post-7bfe.html?cid=142236628#comments

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コメント

肥沼さんこんにちは。

この話題、見た時から「私の認識」を書きたかったのですが、百田尚樹氏に関することはどうも書きにくいので少しほとぼりが冷めてから、と思っているうちに母が癌になり私はストレス性の便秘に七転八倒しとなり今になってしまいました。

肥沼さんは「探偵!ナイトスクープ」という番組をご存じでしょうか。大阪の朝日放送が製作している今も続く長寿番組なのですが、その初代の司会(番組では探偵局長)は上岡龍太郎さんでした。
そして百田尚樹さんはこの番組の構成作家をされていたのです。でも上岡氏と百田氏のつながりはこの番組からではありません。
もっと以前、私の小学生時代ですが「ラブアタック」という番組があり、その司会者が上岡龍太郎さん、そして当時学生だった百田氏が「みじめアタッカー」としてよく出演していたのです。
上岡氏は古田さんとも対談をされ、古田説をよく知る方であることはご存じでしょう。実はナイトスクープでも時々古代史の知識を披露され、「道頓堀に沈むカーネルサンダースを救え」の時は梅原猛氏の「水底の歌」を引き合いに出したり、「アホとバカの境界線をさがせ」では「古代に王朝があったところが言葉の中心になる」と発言し、それぞれ芸人探偵がどよめいたり感心したり、北野誠や桂小枝などは「局長は古代史の話になると熱くなる」などと上岡氏をイジっていました。
出演者たちが上岡氏の古代史熱のことを知っていたということは、構成作家の百田氏も知っていたことでしょう。
特に「アホとバカの境界線をさがせ」シリーズは最終的には全国の「アホ・バカ」等の方言分布を徹底的に調べたあげく、柳田国男の「蝸牛考」(=方言周圏論)が正しかったことを証明する結末にもなったわけです。
この「アホとバカの境界線をさがせ」シリーズは日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞し、のちにプロデューサーの松本修氏が『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』という本にまとめているわけですが、この本の最後に百田尚樹氏は松本市から謝辞をおくられているのです。
このような百田氏ですから、古田武彦氏の九州王朝説は上岡龍太郎氏を介して知っていたでしょう。
知っていたどころか、ひょっとしたら古代史の入り口が古田説だったかもしれないのです。

私にかぎらず、私世代の関西圏の男性には、百田尚樹と言えば「探偵ナイトスクープの構成作家」そして「ラブアタックのみじめアタッカー」のイメージが強すぎるので、百田氏が「大まじめに」皇国史観主義を演じて我々を笑わせているエンターティナーにしか見えません(笑)

内心、百田氏は「隠れ九州王朝説支持者」ではないかと勘ぐっているのですが、もちろん断言は出来ません(笑)

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

上岡龍太郎と仕事をしていたことがあるんですね。
それでつながりが見えてきました。
『全国アホ・バカ分布考』も,もちろん知っています。
くわしい解説をありがとうございました。

>肥さんさん
>
>ツォータンさんへ
>コメントありがとうございます。
>
>お母様のご病気のことと,ご本人の体調のこと,大変でしたね。
>
>上岡龍太郎と仕事をしていたことがあるんですね。
>それでつながりが見えてきました。
>『全国アホ・バカ分布考』も,もちろん知っています。
>くわしい解説をありがとうございました。

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