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2018年11月15日 (木)

壇の越遺跡(東山官衙遺跡群)は,「北の太宰府」みたい

壇の越遺跡(東山官衙遺跡群)は,「北の太宰府」みたいだ。
南に広がる平野に地割をし,中枢部は要害の地。
さらに周囲を土塁や築地に守られた姿は,
もし太宰府が危なくなったら.遷都しようとしている「副都」のようだ。
もしかしたら九州王朝が作った東山道は,
ここが最終の地だったのかもしれない。
(東北遠征は別として)

念のために奈良文化財研究所のデータベースにもあたってみた。
たくさんの項目がチェックされていた。

Dscn4256

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Dscn4245

Dscn4247

上の写真の本の中の前川佳代さんの「古代地方都市の“かたち”」に,
下の東山官衙遺跡群全体復元図が出ていました。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 すっかり古代遺跡群に取り付かれていますね。頭の中が官衙遺構で一杯だから、今まで目につかなかった本が次々目に入ってくるような。
 東山官衙遺跡群は太宰府は大げさだが、多賀城の小型版。
 東山遺跡(賀美郡衙)を中心にその南に大きな外郭を持ち、さらに南に広大は方郭状の道路網。そしてこの遺構全体を囲む巨大な防御設備。北と東の山には土塁を築き、西と南の平野側は、川を天然の要塞としてその内側に高い塀と櫓で防御施設を設けた。
 これは「柵」(統治のための官衙と城を兼ねたもの)と言った方が良いのかもしれませんね。
 時代が8世紀前半~10世紀前半とありますから、蝦夷攻略の拠点の一つでしょうね。
 場所的には多賀城の北西35キロで仙台平野の北端。ここより北50キロには蝦夷国の南端にあたる平泉(衣川柵)がある。
 郡衙の南の門も巨大(9m近い)だしその南郭の門も巨大(8m代)。
 南郭の南に広がる方郭状の道路網の中に何があったのでしょうか。官衙かな?それとも兵士が居住する軍団の所在地かな。後者のような気がしますが。

追伸
 東山官衙遺跡の北西と南東にある山は山城ですね。
 西のは「鳥嶋館跡」とある。東には「早風遺跡」とある。

訂正
 仙台平野の北端ではなく、仙台平野の北に広がる北上川と鳴瀬川がつくった平野(大崎平野かな?)の西端。西の山を越えると山形盆地の北端。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  東山官衙遺跡群は太宰府は大げさだが、多賀城の小型版。

少々興奮し過ぎましたかね。(笑)
でも,これまでまったく気が付いていなかった遺跡で,新鮮でした。
まだ他にもあるのかな?

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