「東偏15度」と「西偏75度」の違い~「方位判定」入門
[質問] 肥沼から
川瀬さんに何回かご指摘いただいた「東偏15度」→「西偏75度」は,
足すと90度になるので,勘違いしやすい例なのかと思い,
私だけでなく方位に興味のある方々にとっても有益だと思うので
もう少しレクチャー願えればと思い.あえて項を設けてみました。
よろしくお願いいたします。
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[回答] 川瀬さんより
建物の方位を確定するには、その建物全体が出ていないと判断しにくい。
わりと簡単なのが寺院だ。寺院には多数の建物の相互の関係を決める建設プランがある。たとえば回廊(塀)の中に金堂・塔・講堂・僧坊など全部入れてしまう形式もあるし、回廊の中に金堂と塔だけで、回廊上に講堂で僧坊は外になど。いろんな建設プランがあるが、伽藍の中心を占めてきた建物は金堂と塔である。だから門の位置が確認できれば、門ー金堂(塔)を結ぶ伽藍の中軸線を引くことができて、その方位を確定するのはやさしい。
官衙遺構もこれに次いで建物の建設プランがあるので判断しやすい。
方形区画(区画溝か塀)の中に主殿と思しき四面廂か片面廂の建物があり、その南に前殿や側殿などの複数の建物がある。そしてこれがコの字型に配置されることが多い。この主殿と門の位置が確定できれば、門ー主殿の線が中心軸となり方位を確定できる。宮殿遺構も建設プランがあるのでわりと判断しやすい。これも方形区画(溝か塀か回廊)の中に主殿・前殿・脇殿などが整然と配置される。これら二つは主殿という中心建物があって一定の思想で建物が配置されるので、軸の設定がしやすい。この時も門の位置が大事だ。
しかし居館や離宮などになると、一定のプランがない。いろんな形がある。
まず主殿がどれか確認し、さらにそれを囲む方形区画の位置と、そして門の位置を確認する。主殿は多くは四面廂の建物で、長辺が正面となる。普通は門はこの主殿の正面に置かれる。したがって主殿と門が確認できれば、建物の軸が設定でき、方位を確定できる。
(写真をクリックすると拡大します)
問題となった大和の上之宮の場合。
全体が掘り出されていないが、主殿と思われる四面廂の建物が確認でき、さらに東と南を区切った区画溝もあり、門が二つ確認できた。
最初この遺構を東偏15度と見たときは、門の位置に気が付いていなかったし、四面廂の向きに注意を払っていなかった。だからこの宮の全体プランの長方形の敷地が南北に長く伸びていることに目が行って、東偏建物と判断した。
しかし東偏建物を検討している過程で、主殿の四面廂建物の正面が長辺にあることに気が付きここに注目すると建物の軸が東に傾いた南北ではなく、西に傾いた南北ではないかと思って西偏とした。
この提案に肥沼さんが疑問を感じ、主殿の南西にある門に気が付き、門ー主殿の軸は東偏だから東偏ではないかと再提案した。
これを受けて私が再度発掘図面を精査したら、南東側にもう一つ、西側の門よりも大きな門があることに気が付いた。これで門ー主殿の軸が西に傾いた南北と判断できた。
だが建造物の置かれた地形によっては、正門と主殿との位置関係が変わることがある。
そこで上之宮遺跡の置かれた地形を確認すると、東側に川が流れる河岸段丘の東向きの段にこの宮殿遺構はあることが確認でき、さらに段は東側に緩い傾斜を持っており、だからこそ主殿の後ろにある池の水が、一旦東北に流れたあとで東にながれるように水路を引いてあると判断できた。
こうして上之宮遺跡の場合、宮殿遺構の軸は川側を正面にした西偏であると判断したわけだ。
だから結論はこの遺跡は西偏75度の遺構だと。
上之宮遺跡は主殿と門とが出土しているので、全体プランの推計と軸の推計が比較的しやすい。しかし主殿しかでていないときは、判断が難しい。つまり東偏なのか西偏なのか判断しにくいのだ。
この場合は主殿の四面廂建物の長辺が正面なのだから、遺構の置かれた地形を考えて門の置かれた場所を推定し、建物の軸を復元する。
古代遺構は全体が掘り出されることが少ないので、建物の軸の設定と方位の判断は簡単ではないのです。
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建物の方位を確定するには、その建物全体が出ていないと判断しにくい。
わりと簡単なのが寺院だ。寺院には多数の建物の相互の関係を決める建設プランがある。たとえば回廊(塀)の中に金堂・塔・講堂・僧坊など全部入れてしまう形式もあるし、回廊の中に金堂と塔だけで、回廊上に講堂で僧坊は外になど。いろんな建設プランがあるが、伽藍の中心を占めてきた建物は金堂と塔である。だから門の位置が確認できれば、門ー金堂(塔)を結ぶ伽藍の中軸線を引くことができて、その方位を確定するのはやさしい。
官衙遺構もこれに次いで建物の建設プランがあるので判断しやすい。
方形区画(区画溝か塀)の中に主殿と思しき四面廂か片面廂の建物があり、その南に前殿や側殿などの複数の建物がある。そしてこれがコの字型に配置されることが多い。
この主殿と門の位置が確定できれば、門ー主殿の線が中心軸となり方位を確定できる。
宮殿遺構も建設プランがあるのでわりと判断しやすい。
これも方形区画(溝か塀か回廊)の中に主殿・前殿・脇殿などが整然と配置される。
これら二つは主殿という中心建物があって一定の思想で建物が配置されるので、軸の設定がしやすい。この時も門の位置が大事だ。
しかし居館や離宮などになると、一定のプランがない。いろんな形がある。
まず主殿がどれか確認し、さらにそれを囲む方形区画の位置と、そして門の位置を確認する。
主殿は多くは四面廂の建物で、長辺が正面となる。普通は門はこの主殿の正面に置かれる。したがって主殿と門が確認できれば、建物の軸が設定でき、方位を確定できる。
問題となった大和の上之宮の場合。
全体が掘り出されていないが、主殿と思われる四面廂の建物が確認でき、さらに東と南を区切った区画溝もあり、門が二つ確認できた。
最初この遺構を東偏15度と見たときは、門の位置に気が付いていなかったし、四面廂の向きに注意を払っていなかった。だからこの宮の全体プランの長方形の敷地が南北に長く伸びていることに目が行って、東偏建物と判断した。
しかし東偏建物を検討している過程で、主殿の四面廂建物の正面が長辺にあることに気が付きここに注目すると建物の軸が東に傾いた南北ではなく、西に傾いた南北ではないかと思って西偏とした。
この提案に肥沼さんが疑問を感じ、主殿の南西にある門に気が付き、門ー主殿の軸は東偏だから東偏ではないかと再提案した。
これを受けて私が再度発掘図面を精査したら、南東側にもう一つ、西側の門よりも大きな門があることに気が付いた。これで門ー主殿の軸が西に傾いた南北と判断できた。
だが建造物の置かれた地形によっては、正門と主殿との位置関係が変わることがある。
そこで上之宮遺跡の置かれた地形を確認すると、東側に川が流れる河岸段丘の東向きの段にこの宮殿遺構はあることが確認でき、さらに段は東側に緩い傾斜を持っており、だからこそ主殿の後ろにある池の水が、一旦東北に流れたあとで東にながれるように水路を引いてあると判断できた。
こうして上之宮遺跡の場合、宮殿遺構の軸は川側を正面にした西偏であると判断したわけだ。
だから結論はこの遺跡は西偏75度の遺構だと。
上之宮遺跡は主殿と門とが出土しているので、全体プランの推計と軸の推計が比較的しやすい。しかし主殿しかでていないときは、判断が難しい。つまり東偏なのか西偏なのか判断しにくいのだ。
この場合は主殿の四面廂建物の長辺が正面なのだから、遺構の置かれた地形を考えて門の置かれた場所を推定し、建物の軸を復元する。
古代遺構は全体が掘り出されることが少ないので、建物の軸の設定と方位の判断は簡単ではないのです。
投稿: 川瀬 | 2018年10月 9日 (火) 12:27
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
ダブりますが,このコメントを本文の方にも掲載させていただきます。
これまで.東偏と考えて提出すると,川瀬さんから訂正を受けるので,
一度上之宮の例をもとに,細かく教えていただこうと考えました。
私もすっきりしましたし,これから方位を研究しようという方々の指針にもなるでしょう。
「建物の軸の設定」ということを今回は特に学びました。ありがとうございました。
投稿: 肥さん | 2018年10月 9日 (火) 12:49
肥沼さんへ
お役に立てたようで嬉しいです。
「建物の軸の設定」。本当に大事です。学者も意外に無視していますね。
投稿: 川瀬 | 2018年10月 9日 (火) 13:52