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2018年10月26日 (金)

「台形」は古代の「遠近法」なのでは?

私たちは自分を良く見せるための工夫をいろいろしている。
例えば髪の毛の量を多くして若く見せたり,
瞼を二重にしたり,鼻を高くしたり,胸を豊満にしたり,
ヒールやシークレットブーツで背を高くスマートに見せたりする。
これらは一種の錯覚であり,真実ではないのだが,
そういう形で自分を良く見せようとする努力は昔からなされてきた。

話は古代史に・・・。
自分の屋敷が広く見せられたら気分がいいだろう。
あるいは,下位の者が上位の者を見る時,そう見えたら支配に効果的だろう。
なんでそんなことを思ったかというと,例のエビノコ郭は台形だということで,
「大極殿にふさわしくない」という議論があって,
本当かな?と思って定規で測ってみたのである。
そうしたら,わずかだが北側より南側の方が長い。

私たちの想定では,エビノコ郭は九州王朝の天皇のための建物なので,
その人物が南を眺めるとわずかだが広く見えたのではないか。
それならと思って,その北の飛鳥宮の方を測ってみた。
こちらもあちこちに台形が見られ,一種の「遠近法」が取り入れられていると思った。

天皇関係だけでなく.例の福島県の泉官衙遺跡も測ってみたが,
これも台形で,奥の正殿がある方が長くなっていた。
私たちがこれまで古代の建築を馬鹿にして,
「長方形」に作れていないとしてきたものの中に,
「台形」を使って立派に見せる「遠近法」が
少なからず使ってあったのではないかと反省した。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 遠近法というよりも、目の錯覚を利用した「だまし絵」的効果を狙ったものがあります。
 たとえば道や広場の奥行きを実際より深く見せるには、道や広場の先の方を幅狭くしておくと、実際より奥行きがあるように目の錯覚がおきる。
 肥沼さんが「エビノコ郭」について、中心の宮殿から南の方をみると、南側が北側より長くなっているので、より広く見えるはずだといったのは、その例だと思います。逆に言えば、エビノコ郭にもし南門があれば、その門から中を見ると、より奥行きがあるように錯覚するはず。
 ただ飛鳥京や泉官衙遺跡の手前が短く奥が長い状態。これでは逆に南側の門から見ると奥行きが実際より浅くみえてしまうはず。
 それに門と奥の壁もしくは奥の正殿との間にいくつもの建物があるので視覚的効果はないと思います。もし正殿がより遠くにあるように見せかけたいのであれば、正殿の横幅と高さを少し小さくするとか、正殿の前にある側殿を平行に建てないで、正殿に近い方は側殿同士を少し近づけて、つまり間の空間を奥の方ほど狭くすれば、奥行きは深く見えるはず。
 そうではなく、京や官衙の全体敷地の奥を手前より長くしているのは、これは視覚的効果を狙ったものとは言えないように思いますが。
 何か別の理由があると思います。

追伸
 飛鳥京と泉官衙遺跡について。
 見ている視点が逆でした。
 南門から見ているのではなくて、内側の主たる建物から南側を見た場合は、南側が狭くなっているから、南にある門や建物がより遠くにあるように見えるはず。
 狭い中庭を奥行きがあるように見せかけている。

 これも目の錯覚を利用していると言えますね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

とにかく技術的に正方形や長方形ができなかったのではなく.
もっと高度に何かを狙って台形にしているのではないか,
ということを確認出来たら幸いです。
我々は,理解しがたいことがあると,知らぬ間に
「古代の人は劣っている」説に走りがちですから。

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