« 内裏周辺下層の「もう」1つの発掘調査は,「東偏20度」 | トップページ | 四天王寺とその周辺の古代瓦出土遺跡 »

2018年10月18日 (木)

観世音寺の前身寺院は,「百済寺」では?

観世音寺自身を法隆寺に移築したという説はなかなか通らないようだが,
移築されたのはほぼ間違いないし(材木の符号や「「留置」という字名,中門に中柱など),
もう誰かが指摘しているとは思うが,私もここらで意見を書いてみたい。
それは,観世音寺の前身寺院は,「百済寺」ではないか,ということただ。

(1) 百済とは仏教のつながりが深く,仏像や経典が「朝廷」に伝わったと教科書にも書いてある。
 これは「遠の朝廷(九州王朝)」のことではないか

(2) その本尊は,今法隆寺にある百済観音ではないか。(来歴不詳とされていた)

(3) 百済系の瓦の出土が,地下からあったと最近聞いた。


ウィキペディア「百済観音」

https://ja.wikipedia.org/wiki/百済観音

Photo_4

ほぼクスノキ材であるという。ということは,国産説に有利か。

ウィキペディア「広隆寺・弥勒菩薩」

https://ja.wikipedia.org/wiki/広隆寺

有名な弥勒菩薩(新羅系)は赤松材だが,「もう一つの弥勒菩薩」はクスノキ材(おそらく国産)だという。

Photo_2

私の仮説としては,広隆寺の弥勒菩薩(赤松材)は新羅系のもので,
それとペアのものを国産のクスノキ材で作った。(ちょっと拙い感じ?)

百済観音も,クスノキ材なので国産の可能性が高いが,
九州王朝の彫刻家か渡来した彫刻家が日本の材木を使って模作した。
ただ,もともとの仏像は現存しなくなったので,今の百済観音しかない。(ちょっと弱点!)
(かつて,百済から伝わった仏像として考えたが,材料がクスノキ材と知ったので)


« 内裏周辺下層の「もう」1つの発掘調査は,「東偏20度」 | トップページ | 四天王寺とその周辺の古代瓦出土遺跡 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 この仮説には根拠となる事実がありません。
 仏教が百済から伝わったことは書紀記述であきらかであり、この一般論と、観世音寺から「百済系の瓦がでた」ということと九州から移築された「法隆寺」に「百済観音」と呼ばれる仏像があることをただ繋ぎ合わせただけです。
 1:観世音寺からでた百済系瓦=これは素弁蓮華文軒丸瓦です。この事実はこの寺が6世紀末から7世紀前半に作られたことを示すだけ。
 2:百済観音:ウィキペディアにも書かれている通り、法隆寺では長くこの仏像は「虚空蔵菩薩」と呼ばれてきたのであり、百済観音と呼ばれたのはおそらく明治大正時代。しかも木造の材料が国産材と考えられているのですからこの像が百済からの招来とする根拠はありません。
 それよりも従来古田学派では、釈迦三尊の釈迦像がタリシホコの似姿であると光背銘から判断したことを根拠に、これと似ている夢殿の救世観音をタリシホコ自身の等身大の像と考えてきました。であればタリシホコとほぼ同時になくなった干食皇后の像等身大の像が無くてはいけません。
 と考えればこの従来「虚空蔵菩薩」と呼ばれ近年「百済観音」と呼ばれたこの像が、干食皇后の等身大の像と考えることが可能です。

 そして後世の史料ですが観世音寺の本尊は釈迦如来であり、これこそ百済招来の仏であるとのことと、これが後世の戦乱で焼失してしまったという事実も無視しています。
 このことはこの寺の名前が観世音寺ではなかったということを示します。本尊が釈迦如来なのに観音の名前をつけるとはありえない。

 前身寺院を「百済寺」と考えるよりも次の事実を冷静に組み立ててみてください。
1:現在の観世音寺の伽藍の下には三期にわたる伽藍の基壇が発見されている。
2:そのもっとも古い基壇群の関連する遺物として素弁蓮華文軒丸瓦が発見されている。
3:観世音寺の本尊は釈迦如来だった。
4:現在の法隆寺西院の塔の心柱の直径と観世音寺に残された塔心礎の直径は一致する。
5:観世音寺創建は天智によるもので670年だと「続日本紀」に記録されている。

 以上五つの事実のいずれにも齟齬をきたさない仮説を組み立ててください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  前身寺院を「百済寺」と考えるよりも次の事実を冷静に組み立ててみてください。
1:現在の観世音寺の伽藍の下には三期にわたる伽藍の基壇が発見されている。
2:そのもっとも古い基壇群の関連する遺物として素弁蓮華文軒丸瓦が発見されている。
3:観世音寺の本尊は釈迦如来だった。
4:現在の法隆寺西院の塔の心柱の直径と観世音寺に残された塔心礎の直径は一致する。
5:観世音寺創建は天智によるもので670年だと「続日本紀」に記録されている。

 以上五つの事実のいずれにも齟齬をきたさない仮説を組み立ててください。

はい,やってみたいと思います。3は,何という史料ですか?虫というより,初耳でした。

 一つ書き間違えました。
 観世音寺の本尊は阿弥陀如来です。

観世音寺の本尊に関する史料。

「筑前國観世音寺三綱等解案」(平安遺文)です。
 これは古賀さんが「よみがえる倭京(太宰府)─観世音寺と水城の証言─(古田史学会報
2002年 6月 1日 No.50 )で詳しく述べられていることです。
 http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou50/koga50.html

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  一つ書き間違えました。
 観世音寺の本尊は阿弥陀如来です。

そうですよね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 内裏周辺下層の「もう」1つの発掘調査は,「東偏20度」 | トップページ | 四天王寺とその周辺の古代瓦出土遺跡 »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ