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坂本寺
遺跡位置図を見ると、現在の参道(遺構の中軸線)が真北向きです。したがって中心伽藍配置図(肥沼さんが最初に示したもの)の方位は磁北だと思います。
だからこの遺構はもともと正方位のもの。
信太寺
A地区の図の方位は磁北だと思います。
したがってこの寺院は正方位の寺院。
安堂
寺か行宮かと書かれている。つまり建物配置からは何であるかわからない。
遺構図を見ても建物配置がわからないので、方位を考えられません。
肥沼さんが「東偏を正方位に変えたか」とした理由はなんでしょうか。正方位の建物が見つからないのです。正方位の柵列はありますが。
投稿: 川瀬 | 2018年10月24日 (水) 18:20
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
磁北の問題を含め,発掘調査報告の図の読み方が
しっかり掴めていないと思います。
なので,それを補う意味で複数の図を載せて,
ご迷惑が掛かるのを少しでも減らそうと考えています。
投稿: 肥さん | 2018年10月25日 (木) 04:08