頭塔(奈良県)土塔(大阪府)
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肥沼さんへ
この二つの「仏塔」はほぼ同じ大きさですね。違うのは大野寺の物が土を積み上げたもので、奈良のものは同じく土を積み上げてつくったあとで表面を石で葺いたところ。こちらも当初は「土塔」と呼ばれていたそうだから最初は石で葺いていなかった可能性あり。
頭塔 奈良高畑町
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E5%A1%94
土塔 堺大野寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%A1%94
このピラミッド形式といい、頭塔が各段に仏像を多数安置してあったということと言い、インド仏教の、たとえばポロブドゥールの遺跡とよく似ていますね。
これはインドネシアですが、同じく8世紀末の築造です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%81%BA%E8%B7%A1
なお肥沼さんは「土塔」を『「東偏」していたものを,ある時期に正方位に作り直した苦労の跡が残っている』とされましたが、これは図の読み間違いだと思います。
東偏していると思われる線は、発掘前の現状を示した線。正方位の線は発掘してみてもとの形を復元したもの。
大野寺の土塔は行基創建であると伝えられ、出土した文字瓦に「神亀4年銘を有するもの」があるのですから奈良時代末のものであり、作られた当初から正方位のものと考えられます。
投稿: 川瀬 | 2018年10月18日 (木) 14:14
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
そうですか,正方位ですか。それは残念・・・。
投稿: 肥さん | 2018年10月18日 (木) 17:58