古代の難波京にあった寺
「古代の難波京にあった寺」ということで,
奈良文化財研究所のデータベースに
いくつかの寺院が出てくる。
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(1) 細工谷遺跡(百済尼寺)~細工谷=井戸.木簡.土師器.仏具.金属品生産.瓦.施釉陶器.腰帯具.銭貨などが出土。
(百済尼寺)木簡.硯.土師器.仏具.墨書土器.瓦.施釉陶器などが出土。飛鳥~平安。難波宮から,1.8キロ
(2) 堂ケ芝廃寺(百済寺)~礎石建物。難波宮から2キロ。各種出土物あり
(3) 摂津国分寺跡~白鳳の瓦を出土。難波宮から約3キロ。
(4) 四天王寺(旧境内遺跡)~かつては西門があった。難波宮から,1.8キロ。
(5) 田辺廃寺~白鳳瓦の出土あり
(6) 阿倍廃寺~白鳳瓦の出土あり
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四天王寺は創建時の伽藍配置復元図をみると、西偏4度の寺院だ。
図4伽藍復元図。
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m103509-9713/up.jpg
寺院の中軸線が磁北から東に3度ずれているとあるので、西偏4度。厩戸皇子創建であれば推古朝なので西偏で当然かも。
阿倍廃寺は土壇と塔心礎の位置関係から見て正方位。北側の溝の復元はおかしい。たぶんこの区画溝は二本平行して走っていて正方位だと思います。7世紀後半の寺院とあるから正方位で良い。
あとの寺院は推定寺域が正しければみな正方位。
投稿: 川瀬 | 2018年10月19日 (金) 22:07
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 寺院の中軸線が磁北から東に3度ずれているとあるので、西偏4度。
厩戸皇子創建であれば推古朝なので西偏で当然かも。
5度未満の方位の差は,本当に見分けにくいですね。
だから.5度(違いが分かる限度)という東偏が多いのかもしれません。
投稿: 肥さん | 2018年10月20日 (土) 04:33