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2018年10月15日 (月)

下野国府の「介館」に「東偏」を見つけた!

下野国府については,最近下野薬師寺の下層に
「東偏」の掘立柱建物跡を見つけていたので,
なにか下野国府にもそのヒントがあるのではないかと.密かに考えていた。
その日が本日来た(と思う)。

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本日,神保町の三省堂で海野聡著『建物が語る日本の歴史』
(吉川弘文館,2400円+税)をパラパラめくり,
どんな建築物を扱っているのかな.と図だけ見ていた時だった。
「あれー,これもしかして「東偏」じゃないかなあ」と思ったのが上記の建物だった。

まず,「下野国府の周辺」という図から。

Photo_3

これで分かった人には,「東偏・僕」賞を差し上げます。
普通はまず国府正殿から見ますから,「正方位だ」
と確認しただけで次のページへ向かうでしょう。
ところが私は,「まあ,国府正殿は正方位に描いてあるだろう。ほかに面白いものはないかな?」
と思って下の方へ目を移していったら,そこに「東偏」があったのです。
頭介丈目(かみすけじょうさかん)でしたっけ,その2番目の屋敷(地元の有力者?)=介館が
豪華にも「東偏」のまま残されていたのでしょうね。三面庇です。

Photo_6

ちなみに,トップの国司(中央から派遣)が住む国司館は正方位や西偏になっていました。そりゃそうだ。

Photo_5

ということで,「介館」まで見ていけば,「東偏」という九州王朝の痕跡を見出せるのでした。
ちなみに,今回の3つの図は,奈良文化財研究所のデータベースにも入っていて,
それを利用したのでクリアーに見えると思います。


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 やりましたね。下野国府からも東偏建物が出てきた。
 あと「国庁」の東にある「宿所か工房」というのも東偏ですね。
 ただし国司の等級は、「頭介丈目(かみすけじょうさかん)」ではなくて「守介丞目(かみすけじょうさかん)」です。
 トップを「頭」とするのは小規模な役所。
 たとえば軍馬を官吏する「馬寮」なら、これは左右二つあるので「左馬頭」「右馬頭」と言います。
 また役所でも「府」と称する役所。たとえば「近衛府」のように、都の警護をする役所の場合は、頭は「左近衛督」(さこのえのかみ)ですが「督」という名称を使います。

追伸
 奈良文化財研究所の建物データで国司館のSB006/7を調べてみました。
  http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m100091-3414/46015.jpg
 006が東偏5度で007が東偏3度だそうな。

 肥沼さんが提示した「遺構配置図」の国司館の向きが間違っているのではないでしょうか。建物データベースでは東西棟の正殿は東偏ですし、その南の南北棟の東偏です。
 図を合成するときに方位を間違って張り付けてしまったのではないでしょうか。

再度追伸

 気になったので下野政庁の建物の角度を調べてみました。なんと基本東偏です。
 前殿は何度か建て替えられているのですが、東偏1度40分。
   建物の№はSB019 8世紀前半から中葉、SB017A 8世紀後半~9世紀前半。
 脇殿も何度か建て替えられているのですが、皆東偏4度30分。
   東脇殿 SB020A 8世紀前半から中葉、SB020B 8世紀後半から9世紀前半。
   西脇殿 SB015D 9世紀後半 東偏4度30分。
 政庁も基本は、もともと東偏4度30分ではなかったのか。
  遺跡分布図の国庁の図も違っているのではないでしょうか。正方位で図示されています。

   

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 気になったので下野政庁の建物の角度を調べてみました。なんと基本東偏です。

えーっ,何ということでしょうか。
図自体がおかしいとは・・・。
でも,「東偏」がまた増えたのはうれしいことです。
精査ありがとうございました。

肥沼さんへ

 グーグルマップで確認しました。たしかに下野国庁も東偏です。
 おそらく遺構配置図を作ったときに、便宜的に引いた方眼枡目の上を真北と誤認して方位記号を入れてしまったのだと思います。遺構の位置関係や向きは間違っていませんので。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  グーグルマップで確認しました。たしかに下野国庁も東偏です。
 おそらく遺構配置図を作ったときに、便宜的に引いた方眼枡目の上を真北と誤認して方位記号を入れてしまったのだと思います。遺構の位置関係や向きは間違っていませんので。

グーグルマップでの確認.ありがとうございます。
助かります。

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