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2018年10月21日 (日)

吉武高木遺跡の王墓や建物は「東偏」ではないか

川瀬さんのコメントに刺激を受けて,
吉武高木遺跡を調べてみた。
すると,興味深い内容が…。

なんと,王墓や建物の向きが北東を向いているというのだ。
つまりこれは「東偏」ということではないか。

特別な埋葬のルール

http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/yoshitaketakagi/know/chapter01-04.html

倭の五王をさらに超え,卑弥呼も超えて,
最古の三種の神器の王たちまで遡るのかも。
そういえば,吉武高木遺跡には神殿があったという話も聞いたことがある。
さらに調べてみよう。



吉武遺跡群の掘立柱建物の方位など
(報告書のP76)

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/20533

Dscn3941

(こういう図がP76に載っていました)

なんとなく,樋渡遺跡の「古墳(墳丘墓)」も「東偏」に思えてきた。
「夏至の方位」という考えもあるようです。(あるブログより)

※ 後漢・・・23~220年

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コメント

肥沼さんへ

 吉武高木遺跡。
 この遺跡の年代をよく考えてください。
 1:特定集団墓は、弥生時代の中期はじめ。2200から2100年前。紀元前200から100年頃。
 2:墳丘墓や大型建物は、弥生時代中期のなかごろからおわり。2100年前から2000年前。紀元前100年からゼロ年頃。
 3:甕棺ロードは、弥生時代後期の初め。2000年前ごろ。

 たしかに遺跡を見る限り全体に東偏で北東を向いている。
 墳丘墓や大型建物の出現期は、たしかに倭国が中国の後漢に朝貢した時代だ。この意味では中国の都の方位に倣った可能性はありますね。
 墳丘墓や大型建物の正確な図面を見たいものです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  吉武高木遺跡。
 この遺跡の年代をよく考えてください。

私も少しは年代を考えるので,
これを「東偏」と言っていいか,迷う訳です。
そこで,「「東偏」ではないか」という,半分の言い方になりました。

肥沼さんへ

>私も少しは年代を考えるので,
これを「東偏」と言っていいか,迷う訳です。
そこで,「「東偏」ではないか」という,半分の言い方になりました。

 そうですね。びっくりの年代です。
 せっかく報告書のありかを教えた戴いたのでダウンロードしました。精査してみます。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

精査よろしくお願いします。
何か重要な手がかりが掴めるといいですね。

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