『律令国家の対蝦夷政策~相馬の製鉄遺跡群』
飯村均著,新泉社刊,1500円+税の
上記の本を入手した。
ストーリーとしては,大和朝廷が東北の蝦夷対策として製鉄を行ったということだが,
私たちの探求は「主語」がまず九州王朝であり,「時期」が100年さかのぼるということだから,
この本の趣旨には添いかねるということになる。果たして,その証拠は見つかるか。
この本の大部分は,製鉄についての知識だが,基本的な歴史背景を言うと,
任那滅亡で朝鮮半島での鉄の供給を絶たれた九州王朝は,
活路を求めて鉄の採れる東北の侵略に走ったのではないか,ということである。
それを示す証拠として「東偏・僕」肥さんが選んだのは,またしても「東偏」建物の存在であった。
この本の後半P60にそれは出てきた。
「祭壇」」と表現される建物,「1号墓」が「東偏」だ。
祭壇と言えば,当然中心的な建物に違いない。
また,北の作業施設?も「東偏」と言っていいかもしれない。
他にもそういうページがないか調べてみたいが,
この本には残念ながら載っていなかった。
発掘調査報告書をぜひ読んでみたいものだ。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2013htm/2013iron/13iron11.pdf#search=%27%E6%AD%A6%E4%BA%95%E9%81%BA%E8%B7%A1+%E8%A3%BD%E9%89%84%27
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肥沼さんへ
「祭壇」って建物でしょうか? 壇状の土壇に柱を立てただけじゃないのかな。
そして「一号墓」。この記号ではどんな形状の墓かよくわからない。北の「二号墓」は小さな●だけだ。さらに西側の「一間四面堂」は正方位。
葬送施設の全体像がわからない(施設の軸を設定できない)状態で、東偏かどうかを見ても意味はないと思います。
「東偏建物」らしきものを見つけただけで喜ばないこと。
投稿: 川瀬 | 2018年10月16日 (火) 13:57
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
投稿: 肥さん | 2018年10月17日 (水) 05:57