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2018年10月14日 (日)

城輪柵遺跡(山形県)政庁変遷図への疑問

川瀬さんのコメントの中て出てくる上記の変遷図をアップしてみます。

Photo

(1) Ⅰ期が正方位スタートなので「あれっ」と思ったのと.
(もっと北の払田柵が,Ⅰ期に東偏なので)

(2) Ⅵ期に東偏が出てくる不審があると思います。

正方位 → 東偏 ?

これは何か臭いものを感じます。
城輪柵遺跡「Ⅵ期」の謎です。


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城輪柵は,山形県北部の遺跡です。

城輪柵

https://ja.wikipedia.org/wiki/城輪柵


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 たしかに正方位で始まった官衙があとで東偏になる。
 ただし城輪柵はかなり後世の遺跡なので、磁気偏角が東偏になった時期のものという可能性はありますよ。12世紀前後の遺跡なら東偏でも不思議はない。
 奈良文化財研究所のデータベースの城輪柵の中の建物データ。
 第Ⅰ期の正殿であるSB001。正方位の掘立柱の建物。年代は9世紀前半です。
 いま問題になっている第Ⅳ期の正殿であるSB003。東偏14度30分。11世紀とあります。

 ただし遺跡図を詳しく見てみると少し変です。
 SB003の図は、http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m100351-2274/91927.jpg
 でもこの建物は「礎石建物」とされているのだけど、どうみても柱穴の形状は掘立建物なのです。
 この建物の柱穴だと目されているものが四つあるのだけど、柱穴の中に礎石を据えるための根石がまったく存在しない。この建物と重なるⅡⅢ期の正殿SB002-ABの柱穴を見ると、形は円形で、そこに放射状に根石が置かれている。
 でもSB003の柱穴とされているものは円形や楕円形や長方形などいろいろ。
 柱穴の形がいろいろだということは、この柱穴群を一つの建物と考えたことが間違いではないのか。
 SB003の柱穴とされたものの左上の角のものは、SB002の北に置かれた東西の向きの柵列の柱穴だ。このⅣ期正殿は幻だと思う。

 さらにⅠ期正殿のSB001の図を見てみる。
 http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m100351-2291/3883.jpg
 この図の柱穴をみると、内側の柱穴群。これは円形または楕円形で中に根石と思しき石が散在している。つまりSB001は掘立柱とされているが、これは礎石建物であって、Ⅱ期BのSB002-Bとセットではないのか。つまりSB001はⅡ期Bの正殿で、SB002Bはその前殿ではないのか。

 どうもこの遺跡の性格の把握が間違っていると思う。
 そしてⅣ期に入れられたいくつかの東偏の掘立柱建物群。これらが真のⅠ期の建物群の可能性はあります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  どうもこの遺跡の性格の把握が間違っていると思う。
 そしてⅣ期に入れられたいくつかの東偏の掘立柱建物群。
 これらが真のⅠ期の建物群の可能性はあります。 

そうですよね。これまでの私たちの研究の結果としては,
「このような変遷を考えることはおかしい」と考えました。

肥沼さんへ

>そうですよね。これまでの私たちの研究の結果としては, 「このような変遷を考えることはおかしい」と考えました。

 わたしはあくまでも「可能性」と申し上げました。
 Ⅳ期が設定されたのは、中心の正殿と考えられた建物が礎石建物と思われ、しかもⅡⅢ期の礎石建物を切ってそんざいしたと考えられたのでⅣ期とされ、これが東偏だったので、その他の東偏の建物もみなⅣ期に入れられた可能性があると思ったからです。
 掘立柱建物や礎石建物の年代を判定する資料が出てくることは稀ですから。

 ただし冒頭にも書いたように11世紀ないしは12世紀だと磁気偏角は東偏に移動しますからその可能性もゼロではありません。ただこのⅣ期とされたSB003は東偏14度30分ですから、11世紀にここまで磁気偏角が傾くとは思わないので、磁気偏角の東偏時代の建物とは断定できません。そして同じく東偏のSB039と041は、東偏10度と12度30分ですからここも磁気偏角の東偏時代とは断定できません。
 この城輪柵の緯度経度を調べて磁気偏角の永年変化を岡山大学のサイトで確認してみる必要がありますね。

 そして私が東偏建物がⅠ期の可能性ありとしたのは、このSB003の建物は存在しないと考えたからです。つまりⅢ期の建物を切って建てられたと考えたSB003が存在しなければ、東偏建物をⅣ期として11世紀とする根拠はなくなるわけですから。

 ここを確定するにはちゃんと報告書を精査する必要があると思います。

追伸

 岡山大学の「日本考古地磁気データベース」)http://mag.center.ous.ac.jp
 で城輪柵の緯度経度を入れて地磁気永年変化を調べてみました。
 この場所の緯度は38.964004、経度は139.909769(どうやって調べたかというと、奈良文化財研究所のデータベースの城輪柵をみると、住所が書いてある、この住所をグーグルマップで表示して、「その場所について」のデータを右クリックで呼び出せる)。
 結果は、この場所の11世紀はまだ磁気偏角は西偏で、1125年頃にようやく東偏となるが、最も東偏となった時期(1350年頃)でも東偏10度に満ちません。一年ごとに出したわけではないし、東国はまだデータが少ないから蓋然性が低いとされていますが、判断材料にはなります。

 したがって城輪柵の東偏建物は11世紀ではありえませんので、9世紀前半とされるⅠ期よりも古い可能性が出てきました。
 やはり6世紀末にすでにこの地域にも九州王朝の勢力が伸びていたと判断できそうです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  したがって城輪柵の東偏建物は11世紀ではありえませんので、9世紀前半とされるⅠ期よりも古い可能性が出てきました。
 やはり6世紀末にすでにこの地域にも九州王朝の勢力が伸びていたと判断できそうです。

おお,やはり行けそうですか!
すごいすごい。
私も今日,下野国府について,「東偏」の痕跡をゲットしました.。
別項にて書きますね。

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