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2018年10月18日 (木)

仮説実験授業から学んだことは?(岩瀬さん)

かつて埼玉の小学校の先生をなさっており,
サークルでもお会いした岩瀬さんが,
上記の題でブログ記事を書いていると教えていただき,
「いわせんの仕事部屋」(岩瀬さんのブログ)に寄ってみた。

いわせんの仕事部屋

http://iwasen.hatenablog.com/entry/2018/02/15/201048

岩瀬さんは,今大学の先生をしている。
若い頃夢中になって仮説実験授業を実践したことが,
きっとその土台になっているのだろうな。

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仮説実験授業」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 
 覗いてみました。
 仮説実験授業という一斉授業の方式の特徴を端的にまとめていますね。
 ①討論のファシリテーター
仮説実験授業では子どもの討論が重要である。ここでの教師の役割は淡々と司会進行することになっていて、決して誘導しない
 ②学習者の授業評価
毎回、感想と授業評価を5段階で書いてもらう。このことで「発言しなかった人にも意見や考えがある」「聴いているだけでも思考を深めている人がいる」という当たり前の事実に気づいたし、授業評価が低ければそれは授業書のクオリティの問題だと言っていた板倉の主張は、授業の善し悪しを子どもに還元せず徹底的に授業そのものに向ける姿勢を身につけさせてくれた。
 ③コンテンツの重要性
 逆を言えばコンテンツが貧弱ならどんなにファシリテーションを「効かせても」、貧弱な学びにしかならない。
 ④授業記録
基本的には子どもの討論で進んでいくので、いい意味で先生は「暇」だ。そこで子どもたちの討論を記録するようになった。
 ⑤子どもの観察
討論の司会、授業記録、毎時の授業感想は、一人一人の子どもを観察・理解するトレーニングになっていたと思う。
 ⑥楽しければ人は学ぶ。
 「たのしさ」とは科学的概念や法則に裏打ちされた「知的関心」のことで、そのたのしさには知的緊張も努力も当然伴う。

 私も最後の7年間は仮説を建てて討論し、それを史料によって確認して認識を深める授業を行っていました。この六つのポイントは同感ですね。
 とくに①の討論の重要性と、③のコンテンツの重要性は特に大事だと。
 つまり③はどんな題材をどんな切り口で討論させ、どんな結論に到達させようかということの大事さだ。教材の大事さと言ってもよい。教材自身に知的興味を引き起こすものがなければ、どんなに技術を使って展開しても面白くない。そして課題を選択するだけではなく、なぜ自分はこの選択肢を正しいとしたのかと討論することが、実は認識を深めるカギだということですね。
 前に肥沼さんの「方位」についての授業書案を書いたときに、「つまらない」と書きましたが、この二つの要素が特に欠けていると感じたからでした。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんと岩瀬さんは意見が合いそうですね。
ただ,仮説実験授業は,ただ単に「一斉事業の方式」ということだけですと,
魅力が半減してしまうと思います。
5年間で去られたというのも,そうですが,
もっと長いスパンで人生に影響を与えている感じがします。
岩瀬さんには,その部分が伝わらなかったのかなぁ,と思いました。

肥沼さんへ
>ただ,仮説実験授業は,ただ単に「一斉事業の方式」ということだけですと,
魅力が半減してしまうと思います。

 では肥沼さんは仮説実験授業の魅力とはどこにあるとお考えなのでしょうか。
 岩瀬さんは離れた理由を次のように書いています。
>仮説実験授業の課題が見えてきて緩やかに離れたけれど
 課題が何かを書いていないのですが、どこか問題点というか限界点を見つけられたのではないでしょうか。
 岩瀬さんの書き振りからして、その課題とは以下のものだと思っています。
 わたしは板倉さんの日本歴史の授業書を見て思ったことは、「どうして討論をしないのだろうか」ということでした。ただ問いに対して選択をさせただけ。ここがすごく不思議であり疑問でもありました。「もっと生徒に自由に討論させるべきである」と。
 岩瀬さんが①のところで「仮説実験授業では子どもの討論が重要である」とおっしゃっているにもかかわらず、社会科の授業書ではその討論がなかったと思う。
 これは実際に理科でやったときには実験の結果などを予想したり、結果の意味を討論できるが、歴史や地理や公民では無理と考えられていたからなのでしょうか。
 肥沼さんの授業書でも討論はなかったと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  では肥沼さんは仮説実験授業の魅力とはどこにあるとお考えなのでしょうか。

私は無理やり討論させられるのは好きではないです。なので,ディベートは嫌いでした。
意見を言いたい時には言えて,言いたくない時は黙っている権利を認める。
これが仮説実験授業の「討論」の在り方です。

社会科の授業書で討論が少なければ,たくさん授業書がやれていいではないですか。
要は,討論のための討論ではなく.より内容を楽しめたり,深めたりすることが
討論の本来の価値なのではないかな.と私は思っています。
生徒たちの授業評価や感想には,討論の多い少ないはあまり関係なかったと思います。

川瀬さんは,ディベートの授業がお好きなのでは?


>川瀬さんは,ディベートの授業がお好きなのでは?

残念ながら大嫌いです。討論のための討論ですから。
 私はそんなものをやっていないことは実践記録を見てくれればわかります。

 でも討論は認識を深めるには不可欠です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 >川瀬さんは,ディベートの授業がお好きなのでは?
残念ながら大嫌いです。討論のための討論ですから。

それを聞いて安心しました。

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