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肥沼さんへ
画像と本文の掲載。ありがとうございます。
Ⅱ期の「単弁細弁蓮華文軒丸瓦」が天平期・8世紀中ごろというのは、これが平城宮のこのころの軒丸瓦が伝わったものだということですね。これなら了解。平城宮の8世紀中ごろの瓦に、なんと1世紀前の単弁瓦がリバイバルしていることは知っていました。ただし7世紀中ごろの物と違って、弁の数が多くなってより装飾的な形で。
さらにⅠ期の「花葉文軒丸瓦」などの植物文の瓦を7世紀後半とした理由が、このⅡ期の瓦群の存在故だということもわかりました。
平城京瓦の前の時期の瓦だから、すなわち8世紀中葉よりも前だから、7世紀末から8世紀前半と(これなら政庁Ⅰ期とⅡ期の前半に寺院創建が重なると判断していることがわかりました。肥沼さんの想定が正しかった)。
つまり「花葉文」を含む植物文の軒丸瓦の年代を決める資料が出土していないということ。寺院遺構が掘られていないからですね。
だから「素弁」に属する瓦が大和などに比べて1世紀近くも遅い時代のものに比定された。
そしてもう一つわかったことは、この「植物文」の瓦は福島県内の他の寺院でも使われていて一定の系譜があるということ。
ただしその系譜の比定は間違っていると思う。文様が細かく精緻なものが最初で、泉廃寺のようなすこし文様が簡素化されたものがその模倣でのちの物。
こんなことが実際にあるでしょうか。簡素なものが最初で、精緻な文様な後でしょうが。考古学者の頭の中って、おかしなものです。
きっと彼らの既成概念の中には、統一権力によって一定の様式をもった官衙や寺院が、全国一斉に作られるという出来事がないのでしょうね。つまり中央が地方に一定の技術者集団を派遣して、一斉に全国統一仕様で官衙や寺院が作られる、こうした事態は想定されていない。
文化は中央から地方に向かって徐々に広がる。模倣によってと。
残念ながらⅢ期の有蕊弁蓮華文軒丸瓦は、掲載された画像が小さすぎるのと断片であるためにどんなものかはわかりませんでした。
投稿: 川瀬 | 2018年10月 1日 (月) 18:01
川瀬さんへ
コメントありがとうごさいます。
〉 画像と本文の掲載。ありがとうございます。
お役に立てたならうれしいです。
〉 残念ながらⅢ期の有蕊弁蓮華文軒丸瓦は、掲載された画像が小さすぎるのと断片であるためにどんなものかはわかりませんでした。
これも再チャレンジして,最大限拡大してみました。
断片だからやはり厳しいかな?
投稿: 肥さん | 2018年10月 1日 (月) 19:17
肥沼さんへ
画像の拡大ありがとうございます。よくわかります。
「蕊」は音は「ずい」、訓は「しべ」。要するに花のおしべ・めしべのそれです。
素弁蓮華文軒丸瓦の蓮の花弁の部分が輪郭だけで、その中に花のしべ(上に丸が付いているからおしべだとおもう)が浮き彫りになっていました。
だから「有蕊弁蓮華文軒丸瓦」。
そのⅠ類は蓮子が五つでしべが3本で花弁がハート型。Ⅱ類は蓮子が五つでしべが3本で花弁が宝珠型。Ⅲ類は連子が五つでしべが2本で花弁が丸型。
要するに普通の単弁蓮華文は、花弁の中に一筋の盛り上がりを付けてしべを表わしているものを、よりリアルに、しべの形を浮き彫りにした形式をいうのですね。単弁蓮華文軒丸瓦よりもより装飾的だ。
ということならばこれが9世紀の所産というのも理解できる。
たしかこれを9世紀としたのは、焼いた窯から出土した須恵器の年代が元だとこの本を書いた方の博士論文にはあった(これも確認をお願い)。
こうやって検討してみても時代がよくわからないのが、Ⅰ期の「植物文」、とりわけ「花葉文」だね。
発掘者はⅡ期の単弁細弁蓮華文軒丸瓦が天平期の平城京の瓦と同じだから、これを8世紀中ごろとし、それより前の時期の瓦だから7世紀末から8世紀前半とした。
8世紀前半は8世紀中ごろの直前だからという理由だろうが、なぜ7世紀末からと限定したのだろうか。もっと前に遡れないのだろうか。それとも7世紀末とする明白な証拠があるのだろうか。
謎が出てきました。
1:政庁Ⅰ期を7世紀末と比定した根拠は何か。
2:軒丸瓦のⅠ期の植物文・花葉文を7世紀末からとした根拠は何か。
肥沼さん。是非この本を精査して、この二つの問いに発掘者がどう答えているかを確認してください。
投稿: 川瀬 | 2018年10月 1日 (月) 23:42
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 謎が出てきました。
1:政庁Ⅰ期を7世紀末と比定した根拠は何か。
2:軒丸瓦のⅠ期の植物文・花葉文を7世紀末からとした根拠は何か。
肥沼さん。是非この本を精査して、この二つの問いに発掘者がどう答えているかを確認してください。
はい,今週はこの『南相馬に躍動する古代の郡役所~泉官衙遺跡』に取り組んでみます。
投稿: 肥さん | 2018年10月 2日 (火) 00:38