愛知県豊田市の小馬寺
酒処「まこ」でテレビを観ていたら,突然以下のようなテロップが流れた。
「市史などによると、小馬寺(こまでら)は白鳳時代(7世紀)の創建で、
中世には700~800人の修行僧がいたと伝わる。
1971年の矢作ダム完成に伴い、寺を世話していた集落の大半が水没。
住職も離れ、廃寺となり、忘れ去られた状態になっていた。
本堂は平成に入って倒壊したものの、庫裏(くり)は荒れた状態ながら残っている。
江戸末期から明治初めに建てられたとされる高さ約15メートル、
ケヤキ造り4層式2階建ての山門も残る。
周囲には石垣や石階段、幹まわり約19メートルの巨木があり、
江戸以前の茶わんやつぼのかけらが転がっているのを見ることができる。」
その後,急いで帰宅したが,残念ながら番組は終わっていた。
以下のリンクは,インターネット検索で得たものである。
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https://blog.toyota-miraijuku.com/2016/11/08/komadera/
https://www.youtube.com/watch?v=dumt2x6ga9s
https://4travel.jp/travelogue/11198383
https://ja.wikipedia.org/wiki/役小角
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180915003090.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/牛地町
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テレビに取り上げられると,関心を持つ人が増え,それだけならいいのだが,
勝手に現地を訪れて荒らす人が出てくるのが心配だ。
ぜひ表面採取の後は,豊田市教育委員会が正式な発掘を行ってほしい。
白鳳に遡ろうかという古い遺跡である。また,城の役割も果たしたらしい。
やって損なことはないと思いますよ。(o^-^o)
PS 番組の中で「680年」とか「1300年前」という言葉が出てきたと思うのだが,
それは各サイトには出てこなかった。
高さ15mの山門
平成に入って倒壊した本堂と荒れた庫裏(くり)
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