北秋津の発掘現場 10/1
今年の7~8月は,「上安松の発掘現場」ということで,
何回もその様子を報告していたが,
その調査団はさらに西に移動し,
うちから自転車で5分ほどの北秋津を発掘していた。
学芸員の何人もが前からの顔見知りで,
私のことも覚えていて下さり,
特にSさん(美原中の卒業生)とは親しくさせていただき,
遺跡の説明もして下さる。
今回は,縄文時代の集石遺構が主なようで,
残念ながら住居址は見つかっていないが,
9か所の遺構のうち4か所から炭化した木が出ているという。
これは石を火で熱して,熱い石を利用して
蒸し焼き料理を作っていたのかもしれない。
その作業場が,河岸段丘の下にあるので,
住居址は河岸段丘の上にあるのかもしれない。
昨日最初に出かけたのはその辺りで,
重機を使って試掘の溝を掘っていた。
道路や住宅あるいは商業施設の開発が見込まれ,
幼い頃駆け回った野山が,姿を変えようとしているのかもしれない。
【河岸段丘より上の場所】
【河岸段丘より下の場所】
以前発掘に関わっていたKさん(三ケ島中の保護者)の息子さんが,
やはり親の血を引いたのか,他の埋文センターで発掘をされているらしい。
「その方は,私が担任した生徒です」と言ったら,皆さん驚いていた。
(だって,Sさん,Yさん,Hさん次いで,4人目になるからね)
有名人でいうと,勅使河原先生も知り合いですが・・・
発掘をやっている人なら誰でも知っている文時代の研究者。所沢市在住。
以前,三ケ島中で選択社会の時間に来ていただき,
その時の生徒が,例の作曲家・阿部海太郎君だったというおまけ付きである♪)
« ノーベル医学生理学賞に,本庶佑(ほんじょたすく)さん | トップページ | 草野心平 詩一覧 »
「古田史学」カテゴリの記事
- 払田の柵の柱の年輪年代について(2021.01.25)
- やはり入手しておくか(2021.01.22)
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
- 郡山遺跡Ⅱ期と多賀城Ⅱ期の「石敷き」(2021.01.18)
コメント