誰のための「エビノコ郭」か
奈良の橿原考古学研究所の附属博物館に展示されている「エビノコ郭」の模型です。
右の図の飛鳥浄御原宮の南東に作られた建物が,今回話題にする「エビノコ郭」です。
https://narayado.info/nara/ebinokokaku.html
9間×5間のエビノコ大殿(おおどの)!
しかも,南門ではなく,西門である。
西(九州)からのお客様が入るにふさわしい門だと思う。
http://unebiyama.blog.fc2.com/blog-entry-167.html
上のブログの建物の様子では,宮内の他の建物よりエビノコ郭の大殿の方が「立派」に見える。
(正殿でさえ.7間×4間とのこと。それに対して,9間×5間で,玉砂利付きである)
ということは,大和の天皇(その頃はまだ大王)より「立派」な方が入ったのではないか。
つまり.白村江の戦いで敗れてはいるものの.まだ主権者ではあった九州王朝の天皇が
入っていたのではないか.という驚くべき結論になるのである。
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肥沼さんへ
肥沼さんも私と同じ結論に到達したようですね。
そうです。「エビノコ郭」はどう見ても宮の本体の正殿よりも大規模だ。つまり天武の居する後飛鳥岡本宮の正殿より大きいのですから、こちらには天武より偉い人物が住んでいたとしか考えられない。でも一元史観ではそんな人物は居ないので、ここに天武は居を移したと読み、書紀が書いたように「エビノコ郭」こそ「飛鳥浄御原宮」だとした。
私は「書紀天武紀持統紀宮関係記事の精査」で次のように論じました。
http://kawa-k.vis.ne.jp/2017806tenmu
①二年春正月丁亥朔癸巳、置酒宴群臣。二月丁巳朔癸未、天皇命有司設壇場、卽帝位於飛鳥淨御原宮。
※これは明らかに近畿の王天武の行動である。そして彼が即位したのは飛鳥淨御原宮と書紀は記す。
この宮のことは、書紀天武紀上の最後、壬申の乱終結後の記事として初めてでている。
すなわち、
「九月己丑朔丙申、車駕還宿伊勢桑名。丁酉宿鈴鹿、戊戌宿阿閉、己亥宿名張、庚子詣于倭京而御嶋宮。癸卯、自嶋宮移岡本宮。是歲、營宮室於岡本宮南。卽冬、遷以居焉、是謂飛鳥淨御原宮。」である。
天武は「倭京」に戻って最初は嶋宮におり、その後岡本宮に移った。「倭京」とは倭の国の都、飛鳥を指していると思われる。
この文章の形は不審である。明らかに天武の行動なのに、主語が省略される形式となっている。天武紀の他の箇所ではすべて天武の行動のときは主語を明記している。
あるいはこれは九州王朝の天子の行動だったのだろうか。
九州王朝の天子が車駕で桑名⇒鈴鹿⇒阿閉⇒名張⇒倭京と移動した。
であるならば、なんと天武は近江朝廷に反旗を翻したとき、九州王朝天子を陣営に迎え入れており、その「錦の御旗」の下で近江朝廷と戦ったと。つまり「壬申の乱」とは、九州王朝に反旗を翻して近江朝廷を名乗った天智=大友政権を倒すために、本家九州王朝天子を旗印にして天武が起こした行動ということになる。
考えてもいない事実の出現!
そしてそのあとの文章も不審である。岡本宮の南に宮室を造ると記しながら時期を明示せず、同じく時期を明示せずに冬にこの宮室に移ったと書いておいて、宮の名は飛鳥淨御原宮と。
しかもこの文でも「營宮室於岡本宮南」の主語も、「卽冬、遷以居焉」の主語も省略されている。
ということは、岡本の宮の南に宮室を造営させたのもそこにこの冬に遷ったのも九州王朝天子であったということを意味する。
天武は近江朝廷を倒すために九州王朝の権威を頂いたのだ。
この岡本宮の南の九州王朝天子のための新たな宮室の名は飛鳥淨御原宮だと書紀は記す。
このことはこの記事が、書紀編者の造作である可能性を示している。
つまり天武が即位した宮を、九州王朝の朱鳥元年改元とともに完成した飛鳥淨御原宮であるかのように見せかけるために。
岡本宮の南に新たに作られた宮室。
飛鳥京の遺構と照らし合わせてみればこれは「エビノコ郭」以外にありません。
投稿: 川瀬 | 2018年10月 8日 (月) 23:40
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 肥沼さんも私と同じ結論に到達したようですね。
それはうれしいですね。
〉 岡本宮の南に新たに作られた宮室。
飛鳥京の遺構と照らし合わせてみればこれは「エビノコ郭」以外にありません。
九州王朝説。主語有無。建物の上位下位・・・。
私たちには,いろいろな「武器」があります。
投稿: 肥さん | 2018年10月 9日 (火) 01:32