地壇公園
川瀬さんからもご指摘いただきましたが,天壇公園と地壇公園は別の場所にあって,
世界遺産になっている天壇公園が観光客でにぎわっているとしたら,
地壇公園は市民の憩いの場といった感じらしいです。
失礼いたしました。
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地壇公園
地壇は方沢壇とも呼ばれ、明清時代の皇帝が地の神を祀った所である。
天壇は、天の神を祀る場所で、「天は円、地は方」という古代思想に基づき
地壇は方形が基調とされている。
明の嘉靖9年(1530年)に建てられ、方沢壇、皇祗室、神庫、祭器庫、方沢亭、
斎宮、神馬殿などの建物を備えた。中華民国1925年に市民に開放され、京兆公園と名づけられ、
後、名称を市民公園に変更し、1957年に今の地壇公園と改名された。
1981年から修繕され、1984年再オープン以後、現在の地壇公園の姿となった。
地壇公園は、北京市民にとっては春節の廟会でお馴染の場所である。
廟会は例年、旧暦の除夕から旧正月の7日まで行われ、
園内には北京の伝統的な食べ物の屋台が並び、民間芸能の出し物で賑わう。
地下鉄安定門駅から北に向かい徒歩で5分の距離だが、
廟会の時だけは人が溢れかえり、駅から地壇公園西側入り口までの移動は困難を伴う。
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