« 「東偏」から「正方位」への変化について | トップページ | 新々アパートの建設 9/22・9/23 »

2018年9月22日 (土)

久米官衙遺跡よ,お前も「南朝尺」か?

川瀬さんから教えていただいた久米官衙遺跡の「尺」を調べてみることにした。
福原長者原官衙遺跡で「南朝尺」を発見したので,ここでも「もしかしたら」と思ったからである。

まず検索・訪問したのは「文化遺産オンライン」というサイトだった。

文化遺産オンライン

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202786

ここで,「回廊状遺構の長さが,東西125m,南北140m」という情報を得た。
小数点までは付いていないが,とりあえず2,45m(南朝尺の1尺)で割ってみる。

125÷2,45=50,1
140÷2,45=60,1

おーーっ.ごく整数に近いではないか(しかも,両方とも「十の位」だ)!
これは超々々々いい感じ!(今「話題」のモーニング娘。)

続いて,いよいよ発掘報告書に向かう。
回廊状遺構についての特集だし,細かい数値も確認できるかもしれない。

file:///C:/Users/koenumtakaharu/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/11668_1_史跡久米官衙遺跡群%20(1).pdf">調査報告書2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

⑦造営尺について

これまでの調査研究によって、遺跡群Ⅱ 期における建物の造営尺の尺長は、0.304m程度であった 可能性が考えられる。これは、下図に示す回廊状遺構の問の構造と規模の分析から判明した数値で、 隣接する回廊北方官行における建物配置(図 9)に 関し てもこの尺長で説明可能なことから、来住に
おける遺跡群Ⅱ 期の造営尺として暫定的に 使用している(『 年報 13』 )。

ただし、Ⅱ 期の冒頭における地割の設定と 主要施設の外周規模の決定に際しては、この尺長の 1.2 倍の1尺 =0.365mほ どの測地尺(大尺)を用いた可能性も検討している(p.210)。 一町四方の区画 地の一辺長は、区画溝の外周の平均で110m強程度であるが、これはおよそ300大尺に相当する。回廊 北方官衡など 細い溝で外周を囲われている施設については、溝に柴垣や板塀といった返蔽構造物が埋 め込まれていたと 考えられるので、地割の設定基準はこれらの心心距離を基本としたと 想定される (図 8)。 ここでいう1町 ≒110m強 という数字は、布掘りの溝の外周を基準とした距離であるので、 実際はこれよりも若干小さな値となる。よって、0.304mの360尺、0.365mの300尺 にあたる109。4~ 109.5mを 、計画上の1町 と 考えて差し 支えないものと 理解している。

ちなみに、来住廃寺における初期の調査の際には、伽藍配置や建物構造の想定に関連して、高麗尺 (来住廃寺1次)と 唐尺(来住廃寺2次 。 3次)が使用された可能性を前提に検討作業が行なわれて いる。来住廃寺に関しては、その後、造営尺について検討を加えること ができるだけの情報が得られ ていないことか ら 、評価を保留しておく。なお、官衛遺跡群を 構成する個別の建物の検討過程で、奈 良時代頃の唐尺とされる尺長(0.296m前 後)に近似する数値が導き出される場合がある。全体の中 では少数ではあるが、遺跡群Ⅲ期に所属する建物から 抽出される傾向が高い。当地においては、一般 的な唐尺の定着以前に、やや尺長の長い造営尺が採用されていた可能性がある。

なお、遺跡群I期 の政庁については、この造営尺や唐尺での説明は難し い。建物の規模や配置状況
から、 1尺 =0.288mあ るいは0.346m程 度の造営尺を導き出し 、構造復元を試みている(p.182)。

・……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんやらわからん議論をもちだして,「引き分け」に持ち込もうとしている感がある。
そうはさせない。私は先日の福原長者原官衙遺跡の八脚門の資料に,
久米官衙遺の八脚門の数値がでていないか資料を探した。
すぐ見つかった。

Dscn3539

福原長者原より,東西62cm大きく,南北は1m38cmも大きい,全国19位の大きさだ。
(福原長者原の8脚門は,26位相当)

実測値がどこかに出ていないものか。
手に届きそうで届かないものを感じる。

« 「東偏」から「正方位」への変化について | トップページ | 新々アパートの建設 9/22・9/23 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 遺跡の大きさを知って使用尺を特定しようとの意図は良いのですが、手当たり次第にデータを得て、それが正確なものかどうかも吟味しないで考察する、悪い癖が出ています。

 文化財オンラインのデータは不正確です。
 回廊遺構の全体像や数値を知るには、やはり発掘報告書を参照することが不可欠です。

 造営尺についての考察の元データは、「史跡久米官衙遺跡群調査報告書」2006年刊ですね。
 ダウンロードできるサイトアドレスは
 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/12161

 この報告書にかなり詳しいデータが載っています。
● 回廊の大きさは
  北辺(北回廊):99.7m
  南辺(南回廊):103.6m
  東辺(東回廊):97.8m
  西辺(西回廊):98.2m
●溝の大きさは
  北辺:109.9m
  南辺:107.5m
  東辺:107.3m
  西辺:111.0m
 
 つまり区画溝はほぼ110m四方。回廊の大きさはほぼ100m四方です。
 回廊の柱間距離については、この報告書に詳しく書かれているはずです。
 文化財オンライの記述はどこから出ているのでしょうか。不正確な数字で尺は割り出せない。

●南門については以下の記述があります。
  南回廊の中央に門が位置する。桁行3間(9.12m)× 梁行2間(6.38m)、N-95.5° 一Eの東西棟
である。桁行の柱間は10尺(3.04m)の等間、梁行は10.5尺(3.19m)の等間であると理解している。

 柱間距離は、3.04mと3.19mであると。
 実測図はp20に掲載してあります。 詳しいものはp80の図65だ。
 
 ブログに書くときは、きちんと調べ、これだというデータを得たら、出典(文書名とダウンロードできるサイトのインターネットアドレス)を明示して、他の人がすぐ点検できるようにして、公表すべきだと思います。
 これは久米官衙遺跡だけではなくて、東偏建物について示すときも同じです。
 検証に使った元資料のダウンロード先のアドレスを載せておけば、読者は誰でも再検証できますから。

肥さんへ
肥さんの計算には間違いがあります。
この遺跡の使用尺度を考察してみました。

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/09/post-175d.html

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 肥さんの計算には間違いがあります。
この遺跡の使用尺度を考察してみました。

私も飯能・日高サークルで気が付きました。
どうもすいません。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

どうもすいません。
計算が間違っている上に,
資料を探す努力が足りませんでした。
その調査報告まではたどっていたのですが…。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「東偏」から「正方位」への変化について | トップページ | 新々アパートの建設 9/22・9/23 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ