早朝の「東偏遺跡」探し
夜は弱いが朝には強い肥さんである。
「夜明け前」から仕事(奈良文化財研究所のデータベース検索)を始めた。
一応大丈夫そうなところをアップしてみる。
Ⅰ 東偏5度や8度の部(4件)
(1) 陣内廃寺 東偏5度 熊本県熊本市 8世紀? 法起寺式
(2) 小倉廃寺 東偏5度 大分県宇佐市 7世紀末葉 不明
(3) 上坂廃寺 東偏8度 福岡県京都郡 7世紀末葉 法起寺式
(4) 勝呂廃寺 東偏8度 埼玉県坂戸市 7世紀後半 不明
Ⅱ 東偏10度・18度・25度の部(4件)
(1) 法鏡寺廃寺 ほとんど東偏18度 7世紀後半 不明
(2) 虚空蔵廃寺 東偏25度 7世紀後半 法隆寺式
(3) 弥勒寺跡(宇佐神宮境内) 10度・15度・18度 大分県宇佐市 8世紀前葉 薬師寺式
(4) 立願寺廃寺 熊本県玉名市 20度 白鳳~奈良 不明
今回「廃寺」を中心に狙いを定めたが,非常に確率が良かった。
法起寺式・法隆寺式・薬師寺式は,回廊内に塔を入れている古式の寺院なのである。
そして,作業をしている間に,「廃寺」とは「廃れた寺院」という意味ではなく,
東偏している(九州王朝系なので)「廃れさせられた寺院」(寺米をあげないとか等)
ではないかという新たな仮説が出てきた。ご検討下さい。
先日の信濃国分尼寺に続いて,今回は小倉廃寺や勝呂廃寺の登場を見ました。
私の中での九州王朝の実在の確信が,今回の作業を通してさらに生まれてきました。
あの世の古田さんにも喜んでいただけると思います。
皆さんのお住いの地域の「廃寺」に注目して下さい。
「廃寺」はあなたに発見されるのを待っているかもしれませんよ。
※ 今回の8つが入ると合計が31になりますが,
豊後国分寺が前見た資料と奈良文化研究所のデータベースが違うので,
後者に軍配を上げて「合計30」ということにしておきます。
都道府県の数以上(50)を目指していますので,
ぜひご協力をお願いいたします。
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肥沼さんへ
念のため再検証してみました。
●陣内廃寺 東偏5度
●小倉池廃寺 東偏10度
●上坂廃寺 東偏5度
●勝呂廃寺 角度不明
肥沼さんが図った建物は寺地北方のE地区の大型掘立柱建物。
この建物の方位は東偏8度。
だが寺院の何かは不明。
この南西のA地区から基壇が見つかっているが一部で方位もわからない。そして何であるか不明。
寺院の方位を問題にできる段階でない。
●法鏡寺廃寺
調査区位置図3だと、第2遺構も第1遺構もほぼ正方位。
図2だとどちらもかなりの東偏。
つまり肥沼さんが見た図2の方位は磁北。 だから正方位。
●虚空蔵寺 東偏30度
●弥勒寺 伽藍中軸線は東偏15度
●立願寺廃寺
東偏20度のものと正方位のものが重なる。正方位が上にあるようなので後世。
やはり「急ぎ過ぎ!」「焦りすぎ!」で調査が雑になっています。
じっくり時間をかけてやってください。
わからないときは、無理やり結論を出さずにあとでやる。明日にする。など時間をかけること。どうにもわからないときは相談してください。
投稿: 川瀬 | 2018年9月10日 (月) 00:24
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 ●勝呂廃寺
寺院の方位を問題にできる段階でない。
この地域を「郡衙」地域として考えてみました。
まず,古い瓦のほか法輪も出土しているので,
付近に寺院があったのは間違いないと思います。
そして,四面庇と言われている建物は,その寺院とペアの「郡(評)衙」ということではないでしょうか。
多磨寺と大國魂神社の下に眠る「むさし評衙」みたいな関係で。
少しだけ離れているからこそ,かえってそれらしいペアだと考えました。
「それは妄想だ」といわれるなら外しますが,「キープ」にしておくぐらいはいかがでしょう。
〉 ●立願寺廃寺
東偏20度のものと正方位のものが重なる。正方位が上にあるようなので後世。
正方位が上にあるので,下の東偏20度のものが当初の方位ということではないのですか?
投稿: 肥さん | 2018年9月10日 (月) 02:42
勝呂廃寺:
四面庇の掘立柱建物。郡(評)衙の中心建物。この発想は良いと思います。
したがってこの郡衙が東偏5度なのだから、ペアの郡寺も東偏5度。
この可能性はあります。
「東偏の街」の一部として残しておくなら良いでしょう。
立願寺廃寺
だからわたしも正方位が後世。東偏20度が最初と書きました。
投稿: 川瀬 | 2018年9月10日 (月) 09:23
追伸
数を目指しても意味はありません。
この作業を完成させるには、全国調査が必要です。奈良文化財研究所のデータを使って、全国の古代寺院と古代官衙遺跡を調べ上げて、東偏のものがどこにどれだけあるかという、データベースを作れば良いのだと思います。
そうすると地域ごとの特色も出てくると思いますよ。
もしかしたら東偏は九州王朝の直轄地にしか出てこないかもしれない。
そしてそれぞれの遺跡の変遷の歴史の傾向もわかってくると思います。
東偏⇒正方位⇒西偏というかたち。
正方位⇒西偏というかたち。
西偏⇒正方位⇒東偏というかたち。
きっといろいろあるので、地域の特色も出てくるでしょう。
データベースがあれば、そこからさまざまなことが考えられます。
肥沼さんは東偏が九州王朝のものとの証拠として作業しているようですが、すでにこの可能性は見えているので、これを証明するたの全国調査としてじっくり時間をかけてやることだと思います。
投稿: 川瀬 | 2018年9月10日 (月) 09:35
肥沼さんへ
一つ忘れていました。
勝呂廃寺の方位について。
奈良文化財研究所データベースの図の方位は「磁北」ではないか。
グーグルマップで「勝呂廃寺」を検索すると、四面庇の掘立柱建物の柱穴の位置にモニュメントを建てて保存されている。
この建物の方位を見ると正方位なのですよ。
ということはこの遺跡。
郡衙かもしれない四面庇の掘立柱建物群:正方位、なのでその後に建てられた、もしくはそのそばに建てられた寺院も正方位なのかもしれません。遺構が無いので判断できませんが。
ここには東偏の建物や街路は存在しなかった可能性があります。
そういえば武蔵国分寺も、正方位と西偏の建物ばかりです。
やはり報告書の図面で方位を確認する際には、当該遺跡の住所を確認してグーグルマップでその場所を確認し、報告書図面の方位が「磁北」か「真北」かを確かめる慎重さが求められます。
投稿: 川瀬 | 2018年9月10日 (月) 14:29
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 肥沼さんは東偏が九州王朝のものとの証拠として作業しているようですが、すでにこの可能性は見えているので、これを証明するたの全国調査としてじっくり時間をかけてやることだと思います。
「一日一県」の調査に切り替えます。
これまでは,「可能性のありそうなもの」を優先してきましたからね。
〉 グーグルマップで「勝呂廃寺」を検索すると、四面庇の掘立柱建物の柱穴の位置にモニュメントを建てて保存されている。
この建物の方位を見ると正方位なのですよ。
なるほど,九州王朝時代の残骸である相輪や瓦+大和王朝の正方位,西偏の遺跡であると考えるわけですね。
図面に「真北」なのか「磁北」なのか示してほしいなあ。
「自分で調べろ」ということですか。
投稿: 肥さん | 2018年9月11日 (火) 02:04