今から23年前,北京の天壇公園を訪れていた私
今から23年前(1995年)に北京の天壇公園という場所を訪問した。
ところがその当時は,天壇公園にはまったく関心はなく,
西安の大雁塔や城壁,そして唐歌舞のディナーショーを観た後,
北京での楽しみは,万里の長城や天安門広場,動物園のパンダといったものであった。
(まあ,それがフツーかと思いますが・・・)
天壇公園という意味のわからないだだっ広いところを炎天下歩き,バテていた。
また見慣れない円形の建物「祈年殿」などを背景に写真を撮り,それ以来記憶は途絶。
(円形の建物が「天」を表し,ペアの「園丘壇」が「地」を表すのかな)
今回「天」とか「地」とかを祭る人工的な建物を作ることによって,
都をコンパクトに南北・正方位の形に作れるようになったという情報が川瀬さんよりもたらされ,
「あー,あの時の天壇公園が,実はそれに関係するものだったのか・・・」と,
23年ぶりに思い出され,人生長く生きてると,たまにはいいこともあるなと思った。
https://www.arachina.com/beijing/attraction/tiandanpark.htm
私が撮ってもらった写真も載せましょう。
60-23=37(歳)
1番上の写真が「地」を表す「園丘壇」から撮ったもので,
ずーっと向こうにある「祈年殿」まで,炎天下を歩いたという次第。
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コメント
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肥沼さんへ
説明にこうあります。
>内壇の内側は、南北二つの部分に分かれる。北部は、紺色の瑠璃瓦に金色の玉をもつ円形の殿堂--祈年殿、それと祈谷壇(祈年壇の土台の部分)を主とする建築群。旧正月に豊穣を祈る祭礼に使われた場所だ。南部は、漢白玉(大理石の一種)で築かれた祭天台--圜丘壇を主とする建築群。夏至には雨を乞い、冬至には天を祭る行事に使われた。
だから「祈念殿」も「園丘壇」もどちらも「天」を祀る祭壇ですね。
「地」を祀るところは別にある。
>天壇は昔、天を祭った場所である。北京にある「壇」建築(日壇、月壇、地壇、社稷壇、先農壇)の中天壇の面積はきわめて広い。
と冒頭に説明がありますから。
検索してみると「地壇公園」は北京の北側にある。
投稿: 川瀬 | 2018年9月 3日 (月) 16:48
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 検索してみると「地壇公園」は北京の北側にある。
ひょえー,23年間勘違いしていました。
「夢ブログ」に書きます。
投稿: 肥さん | 2018年9月 3日 (月) 22:55